えび茶ゾーン
 第975号〜第987号(2002年10月3日号〜2003年1月16日号)


2003年1月16日号

 英語研修コースのアドヴァイザーとして、この夏、早稲田、慶応、国立台湾大学の学生と一カ月間スタンフォードで過ごした。そのとき私がもった感想は、早稲田も慶応も日本人も台湾人もほとんど変わりないということだ。実際、会話はすべて英語でするので、国籍や出身校のことは気に留めもしなかった▼ところが、日本の学生は妙な偏見に凝り固まっていた。台湾人と取り違えられると怒る学生がいた。顔もファッションも同じだから英語を話せば間違えて当然なのだが、なぜかしら怒るのだ。そのくせその当人に何を研究するのかと問うと「差別について」だという▼もっと滑稽なのは日本人どうしの差別だ。「慶応の学生は早稲田より優秀で、しかも裕福な家庭の子弟が多い」。とどめは、同じ慶応の学生どうし、早稲田の学生どうし差別しあっていることだ。「SFCは慶応ではない」、「本キャンの学生が本当の早稲田の学生だ」▼嘆かわしいのは、アメリカのスタンフォード大学まで行って、台湾の学生たちの前で、このような議論を繰り広げていることだ。大部分のスタンフォードの学生は、早稲田大学や慶応大学など聞いたことがない。首都のトキョーの名は耳にしたことがあるのでトキョー大学はいえば分かる。だが、日本の大学など眼中にない▼このような日本の学生たちが、仮に英語をマスターし、海外経験を積んだとしても、果たして国際人になれるのかと思う。むしろ、人と人とのコミュニケーションにおいてそんなことよりも大切なものがあることに気付いてほしい。つまり、「オープンマインド」になることだ。
(TA)


2003年1月9日号

 今や誰でも持っていて便利な道具となった携帯電話であるが、その普及があまりにも急であったためか、正しいマナーを教えられることなく好き勝手に使われて いる気がしてならない▼電車内でのアナウンスのおかげか、さすがに携帯電話に向かって声高に話す人こそ少なくなったが、問題はむしろ携帯電話が発する強力 な電波による影響だと言われている。金属に囲まれた車内では電波の集中する箇所ができるとも言われており、医療用機器への影響の可能性を考えれば、混雑時でなくても車内では電源を切るくらいの配慮がほしい。「車内では電波の凶器、携帯電話」なのである▼一方、人ごみでの歩行喫煙の危険性はよく指摘されるが、「歩行携帯」も困ったものである。本人は会話に気を取られて周りの人にはお構いなし。聞きたくもない話を聞かされ、おまけにぶつからないようにとこちらが気を配らされるにつけ、いらいらがつのる。ひと昔前なら、戸外での電話は公衆電話という固定された場所に限られていたから問題なかったが、携帯電話で話しながら同じ方向に歩かれた日には、まったくやりきれない▼それに携帯電話を片手に持ち、画面を見(てメールを打ち?)ながら歩く姿は、お世辞にも美しいとは言い難い。歩くなら歩く、話す(メールする)ならば周りの人に迷惑にならないような所でしてほしいものである▼つまるところ、喫煙も携帯電話もマナーの基本は、何が他人を不快にさせ得るのかという想像力を養うこと、そして他人への優しさである。
(ち)


2002年12月12日号

 外国から帰ってくるといつも感心することがある。電車の中でみなよく眠っていることで、これには性差も年齢差もないようだ。朝も夜も席に座った人はほとんど気持ち良さそうに仮眠をしている。そういえば、会議中もまた音楽のコンサートでも居眠りしている人が多い。もちろん、大学の授業中にも寝ている学生は多いし、中には実に楽しそうに夢を見ている幸福な学生もいる。まことに平成の日本は平穏である。デフレの経済、不良債権問題あるいは失業の不安はまだまだ遠い未来のようで、暖かい所では皆よく眠っている▼私はほとんど電車や会議で眠らない。見知らぬ人に囲まれて寝入ったら私の財布が危ないし、降りる駅を乗り過ごす可能性もある。また会議での居眠りは講演者に失礼なので、必死に質問を考える。だから、授業中に気持ち良さそうに眠っている学生を見ると羨望と同時に心配する。学生のときにこんなに緊張感がなくて大丈夫なのだろうかと▼十年位前に中国の大学で十日間ほど集中講義をしたが、学生たちの目の輝きが忘れられない。アメリカ西部のカレッジで教えたときも居眠りする学生はいなかった。なぜ日本の学生は授業中に眠るのか。食べ物の違いからくるのかもしれない。あるいは夜のアルバイトやサークル活動のために学生が疲れているのかもしれない。大学の四年間を企業人となる前のモラトリアム期間と錯覚している学生が多い可能性もある。しかし中国人や韓国人が猛烈に勉強し、働いているときに、ぬるま湯につかった日本の将来は本当に心配である。
(SH)


2002年12月5日号

 ある学生からこんな話を聞いた。大隈講堂の前で、夜のニュース番組の有名な女性キャスターからインタビューを受けた。突然のことだったが、よく見ている番組だったこともあって、誠意を込めて応えた。その日の夜に放映されると聞いて、家族とともに楽しみにニュースを見た。ところが番組の中では、自分が話した内容とはまったく異なる文脈で編集されていたので、ショックを受けた。ほんの数秒間の「テレビ出演」だったが、何とも後味の悪いものだったという▼この学生の話は、テレビというメディアがいかにメッセージを創作するものであるかということを端的に物語っている。学生がメディアを通して訴えたことが、本人の意思とは異なるコンテクストで再構成され、全国ネットで発信されていたわけである。はたしてメディアは事実を伝えているのかと問うてみたくなる▼携帯電話やパソコンを通して、手軽に多くの情報を獲得することができる時代である。しかしながら、おびただしい量の情報を単に受容するだけではなく、クリティカルに受け止めることの重要性をもっと自覚しなければならない。これは、メディア・リテラシーの問題でもある▼拉致に関する報道が、連日ニュース番組で放映される。かの女性キャスターも、溌剌として拉致被害者の「真実の声」を伝えようとしている。それを目にすると、かつて彼女からのインタビューに誠意を持って応えた早稲田大学学生のショックを思い出して、何とも複雑な気持ちになるのである。
(MM)


2002年11月28日号

 文学部のホームページで話題をよんでいたBBSオープンカフェが、後期の授業開始日をもって閉鎖された。BBSは、実は文学部ホームページ開設当初から設置されていたのだが、昨年の4月、オープンカフェの名でリニューアルされると、学部当局者や教員がどんどん実名で書き込む特異な掲示板として、他に類例を見ないコミュニケーションの場を現出した。学部をめぐるさまざまな問題が暴露され、議論されて、いくつかの改善も実現している。受験生と大学とのやりとりも見ものであった▼一方で、インターネット上の掲示板は、匿名性に隠れた逸脱や人権侵害の噴出が不可避である。事実、夏休み前のカフェは「荒らし」の暴風雨にさらされていた。管理者は辛抱強く対応されていたが、誰もができることではない。9月に学部役職者が交替し、いままでカフェ店主をつとめていたKK先生やTM先生が退任されると、新しい学部当局は到底継承できないと判断したのであろう。それが唐突な閉鎖となったようだ▼カフェ閉店の結果、文学部ホームページに繰り返してアクセスする興味は、少なくとも私に関しては全くなくなってしまった。ホームページの命は、どれほどリピートアクセスをよべるかに尽きる。オープンカフェが果たしてきた情報発信とアンテナ機能は極めて大きかったと評価したい。一年あまり運営に当たられた関係者に敬意を表する▼さて後に残された学内のオープンなBBSは、語学教育研究所ホームページのみとなった。健闘を期待したい。
(養目)


. 2002年11月21日号

 「歩行禁煙」という学内にある表示があまり有効に機能していないのではないか、という複数の学生の声を耳にしました。この言葉を思い出しながらキャンパスを歩いてみたところ、わずか5分ほどのあいだに、歩きタバコをしている人を10人ほど見かけました。表示以前と以後の変化を示すデータが手もとにないので、表示の有効性については分かりません。しかし、決して少なくないというのが現状ではないかと思います。一方、分煙というマナーをお考えになってか、喫煙所で喫煙をされる方が少なからずいましたので、喫煙所については有効に機能しているようです▼学内全面禁煙にした方が良いと言うつもりも、また、東京都のある区のように罰金を徴収するべきだ、と言うつもりもありません。しかし、先の学生たちを含め、「歩行禁煙」や分煙を強く望む小さな「声」がキャンパスにかなりあることを想像するのは、とても大切なことのように思います▼喫煙との因果関係の証明された病気で最愛の肉親を亡くされたある方は、タバコの煙を嗅ぐと気分が悪くなられ、程度の差こそあれ、アレルギー体質の方もいます。また、キャンパスを歩いていて、タバコの火を皮膚に、あるいは衣服につけられたという方もいます。「歩行禁煙」の表示からは、さまざまな嘆きの「声」が浮かび上がってくるのです▼ところで表示といえば、「投球等厳禁」についてはほとんど守られているようですが、これは、「厳禁」という言葉を用いて長期間表示をしていた効果によるものでしょうか?
(H)


2002年11月14日号

 歴史的な日朝首脳会談では、北朝鮮側が日本人の拉致事実を認め、謝罪するとともに、真相究明と再発防止に協力することを約束した。しかし、拉致被害者のうち八名が死亡しているという予想外の知らせに私たちは驚愕し、ご家族の悲しみの深さに言葉を失ってしまった。拉致事件でも、ある著名な研究者が、横田めぐみさんについて、元工作員の証言だけでは確たる証拠がない以上、行方不明者として扱うべきことを主張していた▼同じように、オウムに肩入れしていた宗教学者は、サリンのプラント施設を建設した教団を執拗に擁護し、宗教差別や魔女狩りだと批判した。研究者にももちろん誤りはあるし、自分自身を顧みても失敗ばかりではなはだ心もとないかぎりだ。しかし、事実が白日の前にさらけ出され、オウムが人類の救済どころか、教祖と一部幹部の暴走により組織的な犯罪集団でしかないことが明るみに出された後も、その宗教学者は決して自らの過ちを認めようとはしなかった▼いくら専門の研究者とはいえ、限られた情報の中でその判断や分析を誤ることはありうる。しかし、過ちが分かった後の研究者としての態度こそがまさに問題とされなければならない。いくらなんでも、自らの過ちに蓋をし事実を謙虚に認められない者が学問の自由にあぐらをかいて、時代や世の中のせいにするのは許されないだろう。国家的犯罪や人権侵害は、学問の自由や思想信条の自由を超える問題だ。自分の言葉と発言に責任をもつということが、社会に何かを発信する研究者に課せられた最低限のモラルではなかろうか。
(M・T)


2002年11月7日号

 日々教室内外で教えている大学教員だが、「教え方」については教育実習があるわけでもなく、実際には教員になってから自分で考えなくてはならない。それが「若手」の教員と呼ばれる、実際にはそれほど若くもない頃の大きな悩みとなる▼そのような頃の私のささやかな体験。まだ幼かった息子と公園に行った。公園にはコンクリート製の「富士山」がそびえたち、挑戦者を待っていた。息子は目を輝かせ、頂上目指して走り出す。が、山肌がすべるので、何度やってももう少しのところで落ちてくる。何とか頂上に立たせてやりたいと思った私は息子と一緒に走り出し、もう少しで頂上という所で彼のお尻を強く押し上げてやったのである。が、その結果、息子は勢いあまって顔面から山に激突、悲惨な姿に。「しまった、ほんの少しでよかったのか」▼目を輝かせ頂上を目指している人には「ほんの少しの助け」で十分である。「余計な助け」は逆効果になる。「教え方」に悩んでいる頃には身の回りの何でもがヒントになるものだが、そのとき得た教訓はそのまま私にとって「上手に教える秘訣」になった▼それ以来私の教員としての基本は変わらない。早稲田の学生なら皆、頂上を目指し目を輝かせているはず。失敗してもまた挑戦しているはず。だから、教員はほんの少し、だけど非常に精度の高いお手伝いをすれば、すべてうまくいくはず。私はこれからもこの基本を変えたくないし、皆さんもこの基本を変えなくていいように今のまま頑張ってほしいなあ。
(Eureka)


2002年10月31日号

 「2000年12月に日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」が東京で開催された。その最終判決がオランダのハーグで、昨年12月に出て「法廷」は終わった。ここ数年、その「法廷」にかかわってきた▼民衆の組織した裁判としてはベトナム戦争後、バートランド・ラッセル、サルトル、ボーボワール等が組織して、ベトナム戦争を裁いたラッセル法廷がある。戦後の極東国際軍事裁判でも、ラッセル法廷でも裁かれなかった武力紛争下における女性に対する暴力を、国際的に著名な裁判官が各国検事団から提出された膨大な証拠に基づき、国際法に依拠し、昭和天皇の有罪と国家責任を認定したことは民衆の裁判とはいえ画期的であった▼日本の女性がイニシアティブをとって、世界中の女性、裁判官、弁護士、専門家等が協力した運動の成果であった。「法廷」の目的は、十五年戦争期に性奴隷にされた女性たちの人権の回復である。武力紛争下の女性に対する暴力は現在まで続き、コソボでも東ティモールでも、私たちは女性に対するすさまじい性暴力を見てきた。裁かれ、処罰されることがなかったこうした性暴力を犯罪として裁き、不処罰の連鎖を断つことが、このような犯罪を防ぐと私たちは考える▼この「法廷」にかかわり、印象的であったのは、外国の大学院で国際法や、ジェンダーを学ぶ学生たちが「法廷」に参加したことで、その実行力、機動力、言語能力を伴うパワフルな活動は感動的であった。このような経験を教育の一部として組み入れる外国の大学院教育は羨ましかった。
(N)


2002年10月24日号

 大学町というのがある。パリのカルチエ・ラタンやボストン、オックスフォード・ケンブリッジなど、長い年月の間に、まるで熟成されたかのようにうまく出来ている。早稲田はどうだろうか。かつて都電が走っていた頃の賑わいが、街に欲しい。駅から学校までが通路にとどまらないような仕掛け、装置を、学生と町と学校ぐるみで考えるときがまさに今だ。たとえば、都電の路線を伸ばしたい▼排気ガスがなく、設備や建設も簡単、町をながめながらの通学。こうしたよさは、エコロジー時代にぴったりだ。現在の都電早稲田から新目白通りを外苑東通りまでレールを敷き、右折して早大通りへ出て大隈講堂まで。あるいは更に早稲田通りまで延長して地下鉄早稲田駅や新学生会館前に停留所をつくり、明治通りまで。ここで理工学部下にできる地下鉄13号線の西早稲田駅につなぐ▼早稲田通りをそのまま今の学バスコースと同じルートで走り、高田馬場二丁目を通り高田馬場駅と結ぶ手もある。ロータリーを時折スパークさせながら都電が走っていくのは実に風景として楽しい。都電が352km以上の路線を走っていた頃の町の表情を思い出す。単なる自動車道路となった早稲田周辺の道をもう一度、人が主役の道にしたいし、町の活気を甦らせたい。ことに夜、こうこうと光を放つ都電が通り抜けるときの光景は忘れられない。学生による、とびっきり素敵なデザインの提案を設計に反映させ、早稲田と一体となった町の活性化をみんなで考える。これは大きな舞台装置をつくるようなもので、実現できることだ。
(るさ)


2002年10月17日号

 私たちの頭の中には「否定」が跳梁跋扈している、などというと、何やら穏やかならざる話と思われるかもしれない。しかし翻ってみるに、平生私たちは実に多くの場面において「否定」という論法を用いている▼たとえば、「目的」をもって生きるということ。これは積極的であって「否定」などとは一切無縁のようにみえる。だが、果たしてそうか。「目的」という未来の下に「今」という時間を従属せしめ、「今」を未来の手段に過ぎぬものとみなしている、そうとはいえまいか。だとすれば、それは「今」というものの否定と同義である▼「存在の意味が、つねにそのあとにくる時間に向かって外化されているとき、ひとはつぎつぎとより遠い未来の視座から現在をみるということになる。するとどのような未来のはてにもそのさきにはかならず死があるのだから、存在の意味も生きることの意味も総体としてむなしいということになる」〔真木悠介『時間の比較社会学』〕▼もとより事情は、時間に限ったことではない。そもそも言語にしてからが、森羅万象の多様性を「否定」し、人間の観点から秩序立てられたものに他ならない▼私たちは事程左様に「肯定」という流儀から隔たった場所にいるのである▼「存在する一切は他物と関係なしにそれ自体で見られる限り或る完全性を含んでいることを我々は知っています。この完全性はどんな物においてもその物の本質自身の及ぶ範囲まで及びます。」〔『スピノザ往復書簡集』畠中尚志訳〕
(YS)


2002年10月10日号

 今年の春は花粉症がひどかったり、桜の満開が早かったりとおかしなことが多かった。同じように違ったことは、サッカーのワールドカップがあったことだ。日本や韓国の試合はテレビで見るだけだったが、非常に面白かった▼サッカーの競技人口はどれくらいなのだろうか。相当の数であると思う。中学、高校といろいろな部活動を見る機会があるが、その活動人数は種目ごとに偏りがある。子供が自分で決めることよりも、親の好みで決めている子が多いようである。そうなると、少人数で寂しい会場もあれば賑やかな会場もある。が、どちらの会場も親の数は多い。「親を巻き込まなければ部活動が成り立たない」と言う指導者が多い。親離れしないのか、子離れしないのかなんとも和気藹々(わきあいあい)の親子関係である。私にはなかったが、冷めた目で見ている自分がおかしいのかと感じている▼運動部では部員の数がある程度そろっていないと、日々の練習や試合に気合が入らないし、どんなに科学的なトレーニングをしても怪我人が出ることもある。早稲田で運動部に入っている大学生の試合を見に行くと、どの協議でも中学生や高校生の親だけだと思っていたが、大学生の家族も案外会場に来ている▼毎年、夏にインターハイが開催され、また大学生の試合もあり、都合がつくかぎりはあちこち出かけていたのだが、今年は病気のために、初めて一カ月の入院生活を送り、何も見ずに終わった。何かおかしいと感じる自分を見なくてよかったと感じもした夏だった。
(K)


2002年10月3日号

 早稲田にインターナショナルセンターなるものがあることをご存知だろうか▼西早稲田キャンパス北門を出て右、図書館の斜め向かいの黄色いビルが、22号館インターナショナルセンターである。そこには、大学院日本語教育研究科、国際教育センター、語学教育研究所、日本語研究教育センターがある。インターナショナルと言えば、英語だ、語学だ、留学だ、と思いは巡るだろう。そうしたことに対応してくれるのが、国際教育センターや語研である▼しかし、早稲田には1,300人を超す外国人留学生がいるという事実も忘れてはならない。彼らの中には、日本語が初級レベルの人たちもいるが、母語話者以上に日本語が達者な人たちもいる。さまざまな国や地域から日本に来ている人たちと、日本語でコミュニケーションすることは本当に楽しいものだ▼ただし、自分が母語話者だからといって、日本語を教えてあげようという姿勢では本当のコミュニケーションにはならない。彼らとコミュニケーションするときの日本語は、あくまでも「国際共通語としての日本語」なのだ。だから、少しぐらい文法を間違えても、発音が悪くてもかまわない。コミュニケーションの中身が大切なのである。インターナショナル=英語といった意識を取り払って、国際共通語としての日本語でコミュニケーションしてみよう▼それにはどうすればよいのか。まずは、インターナショナルセンター3、4階に行ってみよう。そこから新しい体験が始まるだろう。 
(K)