先輩に乾杯!

(18)探検部出身はやっぱり"秘境"好き?!
 フリー添乗員 浅井 美香さん

浅井 美香さん
▲取材当日は、「平塚七夕」の初日だった

あさい・みか
 1969年神奈川県大磯町生まれ。県立平塚江南高校を経て88年4月第一文学部入学。卒論は「乳加工文化の歴史的研究」。92年3月同学部東洋史学専修卒業。同年4月(株)ミキツーリスト入社。1995年10月からフリーの添乗員となり現在に至る。(株)アルファ所属、主任添乗員。著書『旅する世界は万華鏡』(2002年2月発行 (株)デジタルパブリッシングサービス)
 元探検部で、イリアンジャヤでは全身ノミに食われながら膝上まで重い泥水につかって泳ぐようにジャングルを歩いたり、カナダのユーコーン河をカヌーで下ったりしたというから、大柄・ガッチリ骨太でガハハと大声で笑うような女性を想像していた。ところが、現れたご当人は小柄・痩身で静かな物腰。アスリートみたいだなと思ったら、中学・高校では、ホントに陸上部だったのだ。また、1カ月前は、日本中を熱狂させたW杯関連の仕事で目一杯スケジュールが埋まっていたそうだ。早稲田では、スポーツ系、語学系、経済系etc.多様な学生が、世界を飛び回る旅行関連の仕事に憧れている。特に女性に強い添乗員志向も。さて、どんな人が向いているのだろう?

<富士山初登頂は幼稚園。自然はあって当たり前、登山は生活の一部>
 「両親が山好きだったので、小さい頃から一緒に登っていました。大磯育ちの私は自然が一杯の中で山猿のように育ち、中学・高校の陸上部時代は、リレーからマラソンまでこなしました。早稲田へは、推薦だったので受験勉強に時間を取られず、ぎりぎりまで走り込んでいたので体力は十分の状態で早稲田に入学。だから探検部への入部もごく自然で、男の子もヘタヘタになる新人合宿も、それほどキツイとは思いませんでした」

<「探検部」と、語学修得。すべてサバイバル系で最後まで残った!>
 「探検部は冒険部ではないので、日常活動すべてがトレーニングの積み重ねとして重視されます。ユーコーン下りもイリアンジャヤでの調査も、語学・地理・歴史・宗教と多岐にわたる勉強が必要で、さらに体力・気力を要求される。日々厳しい訓練が続き、次々と新人も辞めていく。男ばかりの探検部で『女だから何もできない』と思われるのが嫌で、私は必要以上に肩肘張って頑張っていました。推薦入学者は後輩への影響を考え、成績もソコソコ良くなくてはならず、5年生6年生が普通の探検部なのに留年もできない。その上、語研で取った英語やドイツ語でも、最後には私を入れて3人しか残らないサバイバル授業もありました。少しでも時間が空けば遠征費用捻出のためのアルバイト。結局、4年間がすべてサバイバルレースのようで、あの負けてたまるかという精神がその後のすべてを支える原点になりました」

<殻にこもって助けを求めない人に助けは来ない!>
 「私は秘境専門というわけではなく、ドイツ語が使えるオーストリアやスイスなどのトレッキングやドイツや東欧の仕事は嬉しい。ただ、人があまり行きたがらない辺境の旅など喜んで受けるので、いつのまにかちょっと変わった国に添乗することが多くなりました。けれど、この仕事をするようになって、初めて、自分1人でできることには限界があり、世界中どこへ行っても親切な人が必ず助けてくれるのだと、学生時代の私のように何でも1人で解決しようと、助けを求めない人に助けは来ないのだと悟りました。外圧に対しては、『なんとかなるさ』と開き直れるいいかげんさも必要。現地の人やお客様に助けられることも多いのです」
 「添乗員には、ある程度以上の語学力や体力も必要ですが、一番求められるのは、あたりまえの常識です。お客様は年配者や社会人が圧倒的に多いので、いきなりフリーの添乗員を目指すよりは、普通の会社に勤めて世間や組織に揉まれてからでもよいのでは…。感謝して誰かの力をいただく謙虚さが大切だと思います」

(2002年7月25日掲載)