先輩に乾杯!

「司法試験崩れ」からいかにして「法務教官」となりしか
尾崎 文門さん


おざき・ふみかど  1973年神奈川県生まれ。1993年4月社会科学部入学。1998年3月同学部卒業。2001年4月より法務教官として多摩少年院勤務、現在に至る。
 相変わらずの不況である。大卒後すぐに就職する人が減り、就職留年や資格取得希望は増加。ダブルスクールやインターンシップや留学など何にでもトライし、履歴書を埋める傾向も顕著だ。一方で、夢破れ深い挫折感に陥り、引きこもる学生も増えている。同じ状況にあっても今回登場の尾崎氏のように外へ向かう人と内向する人はどこが違うのか? 結論は出ないが、キーワードは自分や家族を含む「人間への信頼」なのかもしれない。

〈教員はウザい、公務員なんて「エ〜ッ」って感じで…〉
 「中高一貫校の落ちこぼれだった僕は、自分の責任は棚に上げて『教え方が悪い』『制度が変だ』と、教育に対する漠とした不満を常に抱いていました」。だから教師嫌いで常に視線は優等生より切り捨てられる方へ向く。少年犯罪への関心から何とかこんな子供たちを救いたいと、純情一途の少年は「少年犯罪専門の弁護士になろう」と決意する。一浪して早稲田へ。法学部に振られ社会科学部にひっかかった。法学系の科目をなるべく多く取り、教職や公務員なんて「へッ!?」って感じで、司法試験サークルに所属した。高2からハマッた六大学野球観戦でシーズン中の週末は常に神宮球場にいた。「早稲田オタク」とも言える程の知識を駆使してキャンパスツアーの名ガイドにもなり、案外お気楽な大学生だった。

〈司法試験にさっさと見切りを付けてバイト生活へ〉
 4年になると内心焦ってくる。周囲は一流企業の内定を取る者やマスコミに決まったと喜ぶ者が次々に出てくる。大学院への進学を決めた者や司法試験勉強を続ける者などの真面目な勉強ぶりにも拍車がかかる。彼も1年留年して勉強、さらに卒業後も1年は続けたが、限界を感じ「見切りを付けるなら早いほう良い」と判断し、先の見通しもないまま司法試験を諦めた。当然のように親はその甘さを突き「今後一切援助はしない!」と激怒。抜け殻のようになりながらも、まずはバイト探し。当時大流行したポケモンカードのキャンペーンスタッフになりイベントをして全国を回ることに。子供たちの熱い視線が嬉しい。「やっぱりこれだ」と、子供に関わる仕事への以前の熱い思いが込み上げてきた。あんなに嫌っていたはずの教職もいいかなと思い始めた。「親はありがたいものです。自宅から追い出しもせず、結局は僕を信じて黙って見ていてくれましたから」。バイト中に偶然みつけた「法務教官募集」のポスター。「法務? 教官? これ、いいかも」と硬派の血が騒いだ。

〈「法務教官」は何を目指し、どんな人に向いているのか〉
 法務教官とは、法務省矯正局に属し少年院などで職業補導等を通じ少年たちの犯罪傾向の除去を目指す国家公務員だ。教職系の勉強が必要で、司法試験とは別世界。彼は背水の陣で受験に臨み、「運良く合格しました」。運を呼ぶのも実力のうちだが、「採用試験は筆記よりも面接を重視されたようです。どんな生き方をしてきたかを問われ長時間に渡る厳しいものでしたが」。
 「法務教官は、まず『人間好き』であることが条件です。犯罪を犯した少年たちの50%が幼児期に虐待を受けていて、心が深く傷ついており、教官は『話し上手よりも聴き上手』が必須です」。教官の態度が鏡のように少年たちに反映する。「熱はさめれば終わり。だから、熱意に頼らず誠意ある仕事を」目指し奮闘中。
 早稲田っぽく在野精神に溢れ、自分で考える姿勢を忘れない彼のような国家公務員が増えれば日本の将来は明るいのだが…。

(2002年5月30日掲載)