先輩に乾杯!

「専業農家の嫁」になったイギリスからの帰国子女
森見 香穂里さん


▲苺畑にて。「農業、いいですよ」

■もりみ・かおり
 1970年兵庫県神戸市生まれ。第一文学部史学科日本史学専修(鹿野政直ゼミ)。父の転勤で、6歳時に東京、高校1年時からはイギリスで3年間を過ごし、早稲田大学入学。在学中は戦後思想史部会や、途中までワンダーフォーゲル部に所属。その後、「中国帰国者の会」という日本語を教えるボランティア活動に参加。卒論は「宮澤賢治の農村活動」。94年、「社団法人農山漁村文化協会(農文協)」入社。96年、茶や苺、稲作を中心とした専業農家に嫁ぐ。現在、主婦・2児の母親・農作業の3足の草鞋を履く。
 傍らで、2人の子供たちが遊ぶ。田んぼ・お茶・苺、台所にはカマド、風呂は薪で炊く。お茶請けは働き者のお姑さん手作りの「干し柿・干し芋・カキモチあられ」(美味!)。社会科の資料集に載っていそうな筋金入りの農家で暮らす森見香穂里さん。
 思慮深い。ぽつり、ぽつりと静かに語る様子は、当コーナー御用達の「!」や「!!」とは無縁。「いつの間にか」「なんとなく」来た道だと言う。しかし、流行や思いつきで決断する人ではない。思いを確かめながら、一歩ずつ歩き続けて「運命」に辿りついたのだ。
 流行や人気企業といったきらびやかさは全くない。ラクな生き方でも、誰もが簡単に真似できる生き方でもない。けれど、まさに「地に足のついた確かな生き方」が、ここにある。

<神戸生まれの東京育ち、その上イギリスからの帰国子女。どこが故郷という感覚もない。日本のあちこちに分け入ってみたい>
 イギリスのインターナショナルスクールでの3年間が刻み付けた思い。「とにかく自分の根っこが確かめたかった。大学時代は青春18切符や船で、北海道から沖縄まで旅しましたが、東京をもっと見ておけば良かった。あの頃は外に目を向け過ぎていたのかなぁ」

<自分で動いて、実感を得たい――歴史、旅、山登り…「これでいいのか自分」「これでいいのか日本」ひたすら悩み続けた日々>
 「ある秋、山登りの帰りに農作業をしている人に声をかけたら、冷たくされて。ショックだったなぁ」。都会育ちで、農業は全然知らない。そこでなんとなく全農に電話をし、キャベツ農家のアルバイトをすることに。「単純な肉体労働かと思えば、案外難しくて、奥深い…」。
 でも、職業にしようとは露ほども思わなかった。「出版か、歴史の先生かな、と」。歴史の勉強、旅や山登り…。「根っこ」を探して、関心のあることは、自分なりにすべて試し、悩み続けた。

<出版社に就職、農村行脚。「うちの嫁に!」とモテまくるが、「私は、一生仕事を続ける!」。しかし、「運命」の出会いが>
 出版業界希望。ただ学生時代を通して得た「農業は大切」という漠然とした思いから農業系を目指した。業務内容も分からずに就職したら、新人は営業。旅館に泊まり込んでは周辺の農村を巡る。「売り込みと、途中拾ったニュースを小さな記事にするの。長靴と作業服着て、原チャリで畑を回ってね。人見知りだから毎日ドキドキしたけど、農家の人は言葉が少なくても、飾らず受け入れ、話を聞かせてくれた」。就職し、自分の足で立つことで気持ちは楽になった。
 嫁不足に悩む山形ではラブコールしきり。半年後、名古屋近県を回ることになって、「この辺は他の仕事もあるし、恵まれているから、ぱったりとモテなくなっちゃった」。しかし、ご主人と出会い、結婚することに。「寿退社、まさか自分がするなんて、ねぇ(笑)」

<「中途半端に知っていたから」飛び込めた。農家の嫁、子育て、農作業。そして分かった。「私は、この役割で行こう」>
 嫁ぎ先は専業農家。「農文協に決まった時と同じく、実家の母は怒りましたが、その時は迷わなかった。今思うと、農業を全然知らなくても、逆にもっと知っていても飛び込めなかったと思う。子供が産まれて実家の母もガラリと変わり、私自身も今、しみじみ実家のありがたさを感じています。2人目の子供を産んで、やっと自分の居場所を作れたような。自然と、これでいいんだ、って」
 農家は仕事と暮らしの境目がない「ごちゃ混ぜ暮らし」。農作業はサボれば自分に跳ね返るから時間の余裕はないが、子供がいても、年寄りでも分担できる仕事がある。「農業は、一生続けられる仕事。働いている実感があります。農業、いいですよ」

(2002年4月25日掲載)