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2002年度前期分 目次



フリートーク 「travel holic」

 19歳の夏に貧乏旅行をして以来、すっかり旅の麻薬にはまった私は、それからも大学が休みになるごとに、バイト代と今まで撮った写真の売り上げを抱えて、どこかに出かけて行った。春・夏・冬と1年の3分の1は海外で過ごす。アメリカ、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、バングラデシュ、インド、マレーシア、シンガポール、中国、ネパール、チベット自治区。一人で行くと言うと驚く人がいるけれど、何のことはない、そんな女の子は世界中に散らばっている。

 独りで行く楽しさは、すぐ友達ができることにある。それぞれ個人旅行者なので、行く先があえば一緒に移動した。レンタルバイクで南の島を一周したり、ランドクルーザーで5日間ぶっ通しでヒマラヤ越えをしたり、アジアの安いドミトリーの部屋の人たちと毎晩語り明かしたり、そんな日々が私を成長させ、そしていろいろなことを教えてくれた。世界に起きてるいろいろなこと。戦争のこと、将来のこと、みんなの奥底に眠っている価値観や差別、寂しいときの切り抜け方も、私にとって大切なことはいつも旅の間に教わった気がする。

 私は帰国子女でもないし、英語もあまりうまくないけれど、いろんな国から来た人と英語で話すことにも抵抗はなくなった。素敵なものは素敵だし、同じ「旅」という麻薬にはまっているもの同士では、音楽でも映画でも世界のどこかの話でも、盛り上がることが共通しているのだ。

 そして私はこの夏、次なる大陸を目指す。ヨーロッパ、中東、そしてアフリカ。帰ってくれば、早稲田祭2002という素敵なイベントがある。私は写真の個展をやるのできっとそこには旅のような出会いのドキドキあって、東京で私の帰りを待っているはずだ。私にとって世界は依然、狭いし、そして広い。
(第一文学部4年 嶋内佐絵)

(2002年7月25日掲載)


フリートーク
「入門ラテン語」の受講動機〜千載一遇の好機〜

 理科離れが問題になっているという。期末試験が近づく頃には、「難しいだけで将来何の役にも立たない。四則だけで十分じゃないか」などと陰口を叩かれる。

 語学に関しても、修辞文法の軽視をはじめ、即応性のないものは避けられるようだ。しかし、即応性があると思われるものは、往々にしてその場凌ぎに過ぎず、また、そういったことは、いくらでもイヤでも学ぶことになろうから、今はさまざまなことに触れ、いろいろな思考を巡らさないことにはかえって損である。普通の語学校では扱いを望めない、「将来に学ぶ機会の無い」古典語の講座は大いなる魅力だ。

 羅甸(ラテン)語の活用は細かい。講師の宮城助教授は、新しい言葉が出てくるたびに、活用変化を口で唱えて確認される。そうしなさいと言われ唱えていると、自然と頭の中へ入っていく。英語を習いたての頃も、はっきりと、詩を読むように動詞の活用や派生語を唱えつつ覚えていた。さほど気にかけていなかったが、実は訓練の「基本」だったのである。英語の勉強をする機会が、列車内や特定の(英語以外の)授業中に限られるようになって、忘れていた。また英語と日本語とは素直に比較できなかったが、もうひとつ外国語を知ることで(本庄の第二外国語は中国語、朝鮮語の選択科目受講者のみが学ぶ)英語をまた違った目で見られるようになった気もする。無論、語源として羅甸語を考えるのも面白い。

 「古典文学、哲学を原書で読むという魅力は希臘(ギリシア)語にはかなわない」と先生は仰ったが、羅甸語は学術語として多くの偉大な学者が(嫌々)学び、その筆書を記すのに用いられた。妙な話ではあるが、正直に言えば、少しばかり「あやかりたい」というのも受講動機の1つである。それで論じる中身こそが問題なのであろうが。
(本庄高等学院3年 松崎 健)

(2002年7月18日掲載)


フリートーク アサガオを育てる暇のない「ゆとり」

 小学生の頃、理科の授業の一環として学年ごとに植物を育てた。1年生のときがアサガオ、2年生はヒマワリ、3年生はヘチマ、4年生はジャガイモだったと記憶している。5・6年生のときは植物栽培があったかどうかは記憶にないが、メダカの飼育があった。地域性にかかわらず、当時の小・中学生は植物栽培や動物飼育を通じて生命の連鎖を体験する機会があったように思う。夏休みに自宅に持ち帰ったアサガオが開花するのを見るために早起きをしたことを懐かしく思い出す。

 こうした植物栽培や動物飼育は、現在では行われていない学校が多いと聞き、大変残念に感じた。想像するに、その最大の理由は「ゆとり」教育であろう。公立学校の完全週五日制が実施され授業に確保できる時間は大幅に減少した。また、いわゆる「ハッピーマンデー法」により月曜日の祝日数が増え、時間割上月曜日に当たる科目の年間授業時間数を補う工夫が必要となった。修学旅行等の行事すら削らざるを得ない状況下で、植物栽培などに時間をかけられない、というのが学校側の正直な気持ちであろうか。

 しかし、これでは「理科離れ」に拍車がかかるだけである。水をやらなければ枯れる、棒を立ててやらねばツルが巻き付けない…。一見学力とは何ら関係のないアサガオの栽培過程でも、そこに植物の面白さ、生命の不思議さを見出す子供は少なくないだろう。また、教室で飼っているメダカにミジンコを餌として与え、食物連鎖の仕組みを肌で感じることは、教科書上にピラミッド型に示された食物連鎖図よりもはるかに説得力があるはずだ。(すべての学校がそうであるとは言わないが)そうした機会を奪い、授業時間の確保に明け暮れる姿勢は、本来の「ゆとり」教育の趣旨から掛け離れたものである。

 きっかけとしての興味・関心なしにその道のエキスパートは育たない。二世代先、三世代先を見据えた教育の「仕組み」を再検討することが急務であるように思う。
(法学研究科科目等履修生 楠亭)

(2002年7月11日掲載)


パリの旅人

ティネリールのトドラ渓谷にて
ティネリールのトドラ渓谷にて
 カサブランカ行きの飛行機は翌日の早朝発だ。乗り過ごしてはまずいので、前夜、パリの中心地から14q南に位置するオルリー空港に泊まることにした。硬い長椅子に手すり付き。夜を過ごすのは予想していたとおり、少し厳しそうだ。どうして夜を過ごそうかと手をこまねいていると、大きな黒いバッグを抱えた白人が現れた。僕の隣に座る。彼も寝苦しい夜を感じているようだ。

 いつの間にか、僕は彼からタバコとコーヒーを貰っていて、親しげに話し出している。彼のバッグからはいろいろなものが出てくる。50代後半であろうか。顔に染み出た皺はその苦労の多さを物語っているようだ。彼はアルジェリア人。フランスには出稼ぎに来ているという感じだ。「フランスが好きか」と聞くと、「あぁ、好きだよもちろん。でも、とても複雑なんだ」と答えた。彼はアルジェリアに育った。彼の幼少の同朋は、アルジェリアからカナダの大学に行き、そこで医学を修めた。今は仕事も終え南国でバカンスを楽しんでいるという。「C'est la vie.」彼は言う。――「それが人生というものですよ」

 彼はどう見ても俗に言う成功者には見えない。目に力もない。疲れ切っているといった印象だ。どのくらい話していただろう。2人とも話し疲れて眠ってしまった。

 翌日、彼に別れを告げ僕はカサブランカに発った。まぶしいほどの日差しとアラビアの雑踏の古い町、メディナの中に紛れ込む。「Avez-vous une chambre libre!?」――「空いている部屋はない?」宿探し。また旅の続きが始まる。終わりのない旅の中、さまざまな人生が交差する。

 「C'est la vie.」この言葉に、一瞬僕の周りの時間が止まるのを感じた。

(第一文学部3年 モリタナオキ)

(2002年7月4日掲載)


18歳、女2人旅

NYの摩天楼をバックに
NYの摩天楼をバックに(筆者は右)
 私は海外旅行が大好きで、大学生になったら多くの国を見て回ろうと考えていた。そして去年の夏、アメリカに女友達と2人で行くことを決め、ツアーでなくすべてを自分たちで手配し、生まれて初めての個人旅行を計画した。

 両親の心配をよそに18歳女2人旅が始まった。しかし最初の目的地ナイアガラで両親の心配が的中。なんと銃を持った警官に不法侵入者として逮捕されそうになったのだ! とはいっても穏やかな田舎町、お巡りさんも優しく、片言の英語でも分かってもらえたが、突然の出来事にすっかり参ってしまった。

 2都市目のNYでは、超高層ビルや多様な人種、車だらけの道路と、温室育ちの私にはすべてがショックだった。初日は怖くて本当に帰りたくなったが、慣れてくるにつれ不思議とNYが大好きになっていった。超かっこいいビルやショッピング街、本場のミュージカルに美術館。NYは最高にイケてる所なのだ!

 次に向かったサンフランシスコはのんびり過ごすことができたが、LAに向かおうとしたその日、最大の事件が起こった。それがNYテロ事件だった。

 空港で飛行機全便がキャンセルになったと聞き、何が何だか分からなかった。日本に電話をして事態をつかんだ時はショックで言葉が出なかった。3日前に世界貿易センタービルを見てきたばかりだったからだ。とりあえず今まで泊まっていたホテルに戻り、飛行機が飛ぶまで待機することにした。結局サンディエゴに住む友達が車で迎えに来てくれ、予定を変更して帰ってきた。

 すごいことが次々起こった旅行だったが、すべてを自分たちで対処してひと回り成長できた旅だった。今春にはヨーロッパを周遊し、今年の夏はアメリカで働いてきたいと思っている!

 学生の皆さん、旅に出よう!!

(教育学部2年 鈴木沙貴子)

(2002年7月4日掲載)


早稲田生に出会う旅

頂点極めました!
頂点極めました!
 世界中に早稲田の学生がいる。昨年の夏海外旅行に行ってこう感じた。

 念願のピラミッドをこの目で見られることになった。エジプトの夏は暑く、乾いていた。スフィンクスの前にいると学生らしい日本人が2人こっちに歩いてくるところだった。ここで私はもう1つの夢に挑戦することにした。

 「一緒にピラミッド作りませんか?」組み体操のピラミッドなんて日本人にしか通用しない。一瞬ビックリされたが案外すんなりOKしてくれた。その2人組はなんと早稲田生だった。しかしこれでは2段しか作れない。そこにさらに日本人の学生が来た。これで8人。3段のピラミッドを作り、私は自分が頼んだくせに1番上に乗った。下の男性陣はうめき声をあげたがおかまいなし。最後に「キャンパスで会ったらよろしく」と言ったら「いや、もう会わないと思います」と言われた。そりゃあそうかもしれない。会った瞬間ピラミッドを作らされ、1番上に乗るような女にはもう会いたくないだろう。しかし私はもう1度会えたらいいなと思っている。

 移動して次にトルコの田舎で早稲田生に会った。イスタンブールでもアンカラでもなくトルコの中部地方である。なんという偶然。

 同じ頃、対米同時多発テロが発生し、早稲田生も犠牲になったというニュースがあった。ショックだった。彼もいろんな夢があって海外に行ったのだろう。

 早稲田の学生は元気だ。早稲田の角帽は、大隈重信が早大生が世界のどこに行ってもひと目で分かるように作ったと聞く。現在、角帽はかぶっていなくても、大きな志を持って世界で多くのことを吸収していると思う。今度はどこの国で早大生に会うのだろう。とても楽しみである。

(第一文学部3年 萩原 晶子)

(2002年7月4日掲載)


インドでホームステイ

インドの象徴タージマハル
インドの象徴タージマハル
 それは全くの偶然だった。たまたま入ったカルカッタの服屋で出会ったインド人のおじいさんと意気投合し「うちに泊まっていきなさい」と誘われた。2カ月かけてタイ、インド、ネパールを貧乏旅行している途中で、お金のない僕は「宿泊費と食費が浮くな」と喜んで(少し不安に思いつつ)ついていった。都市からやや離れた郊外の住宅地で、外国人は僕以外には見当たらず、みんな珍しそうに僕を見る。家に着くと、私はクルタ(インドの普段着兼パジャマのようなもの)を着せられ、夕食をご馳走になった。予想はしていたがやはりカレーだった。基本的に食事は1日3食カレー。具が魚、羊、鶏、豆と変わり、それにライスもしくはナン、そしてヨーグルト風味のサラダといった具合。おいしいがとにかく辛く、水なしではとても食べられなかった。

 旅行者など全く訪れない町なので、僕は好奇心旺盛なインド人たちの注目の的だった。町中を歩いていると、食堂からインド人が「ジャパーニー! カム、カム」と僕を招き入れ、チャイとお菓子をご馳走してくれる。するとどこからか人が集まってきて質問攻めにあう。そんなことを繰り返しながら、1週間滞在した。旅行者慣れしていないインド人と触れ合うのがとても新鮮で、かつてないほどの下痢に襲われたこと以外は楽しく充実した1週間だった。

 インドは好き嫌いがはっきり別れる国だとよく言われるが、どちらにしても1度訪れてみるといいと思う。今回の僕の体験は偶然のものだが、インドに行けば必ず、圧倒されそうになる人々のエネルギーを肌で感じることができるだろう。

(人間科学部3年 大野裕樹)

(2002年7月4日掲載)


タングルウッド音楽祭とマエストロ征爾

小澤征爾さんと一緒に
小澤征爾さんと一緒に(後列一番右が筆者)
 7月になると、ボストン郊外のレノックスで2カ月にわたるボストン交響楽団の「タングルウッド音楽祭」が始まる。音楽監督の小澤征爾氏の弟「小澤幹雄氏と行くタングルウッド音楽祭」というツアーが1996年から始まり、私は2001年まで3回ほど参加した。

 ボストンからもニューヨークからも車で3時間のタングルウッドは避暑地として夏は大いに賑わう。ここで3泊してコンサートを聴く。日差しは強くても、木陰に入ると涼しい会場では、点在するホールを囲む広い芝生でくつろぐ大勢の人が思いっきり夏休みを楽しんでいる。

 屋根だけのシェドと呼ばれる大ホールでは、午前中に翌日のコンサートのリハーサルが行われる。公開だが、そんな時も私たちは征爾氏のはからいで前列の特別区域で聴かせてもらえる。指揮者、ソリスト、オケの面々のやりとりが、目の前で繰り広げられる。そして夜は当日のコンサートを聴く。いい思いをいっぱいしたが、やはりマエストロSEIJIの人気と多くの人から尊敬され愛されている様子を目の当たりにして日本人として嬉しかった。その征爾氏も今年、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任したので、タングルウッドはゲスト出演だけになるそうだ。

 自然の中で催されるコンサート。音楽が聞こえると、小鳥が美しい声でさえずり始める。タングルウッドは小鳥まで音楽が分かるのか、そんな気分にさせられる。「赤毛のアン」に出てくる家を思わせるようなロッジも快適だし、朝食の食材も新鮮で豊富、美味だった。

 昨年は征爾氏最後のタングルウッドなので行った。ニューヨークから入ったのだが、その時に見たワールド・トレード・センターがまさか1カ月後になくなってしまうなど、想像すらできなかった。

(第二文学部2年 明石玲子)

(2002年7月4日掲載)


フリートーク 「映画=興奮剤の構図」

 『映画』とは何か?

 中学校2年の大晦日に映画監督を志して以来、ぶち当たっている問題だ。故郷の友にも東京の友にも将来の映画監督を公言し、加えて今年決まった留年。この問題を解決し、自分がなぜ映画に惹かれるかを解明し、自分らしい映像表現を開拓すべき「時」がいよいよ迫ってきているようだ。

 『現実逃避』。それが絞り出した映画を求めるワケだった。
 「ベストキッド」「グーニーズ」「ネバーエンディングストーリー」――勘違いカラテ・サクセスストーリー、一度は夢見る宝船探し、あり得ないファンタジーの世界を子供の頃は繰り返し観ていた。映画は現実逃避欲を満たしてくれる存在だ。毎日眠りから覚め、今は学生という名の仕事をこなし、飯を喰らい、そしてまた眠りにつく。来年も10年後も50年後もきっとこんな毎日だろう。だからこそ、映画を観るのだろう。

 「インサイダー」――とある米国タバコメーカーの社員が解雇を契機に、巨大組織に立ち向かう恐怖と化学者としての使命感との板挟みになりながら、インタビュー番組でタバコの害についての告白をする映画。「正義」を信じた者たちを描いた映画。後にこの映画が実話に基づいている事を知らされ、ひどく胸が締め付けられた。

 『道しるべ』。自分の映画の定義はそう変わった。
 映画はよりよく生きるべき道を指し示す存在だ。映画は向上心をあおる興奮剤だ。ある映画にこんな台詞がある。
 「何かいい話があって、それを語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない」

 自分の人生も、まだまだ捨てたもんじゃないらしい。
(教育学部4年 靖和圭忠)

(2002年6月27日掲載)


フリートーク 「W杯と学生世代の在り方」

 日韓両国でサッカーワールドカップが現在行われている。今大会の成功のため、両国間では交流行事が多数行われた。これにより、日本では朝鮮文化(大韓民国を主としている)、あるいは両国間の歴史が少なからず浸透したであろう。このことは確かに意義深いのだが、視点を変えてみると両国間の関係が単なる「流行」として捉えられているのではないだろうか。

 皆さんもご存知のように、日本と朝鮮半島の歴史は古く、朝鮮文化や中国招来の文化などが朝鮮半島を経由して日本に伝えられてきた。しかし明治維新以後は一転し、「富国強兵」という国家目標の下、日本が強国となるための踏み台として朝鮮半島を扱い、悲惨な結果を招いてきた。現在でも戦後補償問題、歴史認識問題、在日問題などで両国間は揺れ動いている。このような歴史的背景がある中で、今、W杯により日韓関係にスポットが当てられた。だがW杯が閉幕したとたん、それに付属していた朝鮮文化・両国間の歴史を忘れ去ってはならないと思う。

 学生である私たちの世代は、今後30から40年間日本の各分野の将来をさまざまな形で確実に背負っていかなければならない存在だ。そして、今後も日韓関係は重要なものであることに変わりはないだろう。そのような環境の下に生きる世代が単なる「流行」として朝鮮問題と向き合うことには疑問を感じる。むしろ、W杯を一つの機会とし、自分たちに何ができるか、今後何をすべきかを考える期間として、また将来、朝鮮半島と日本の関係をさまざまな分野で構築する上での起点としてとらえるべきだと考える。

 学生の間は自由な立場、方法で発言できる機会が与えられている。特に早稲田大学はそれが顕著であろう。ただ、機会を生かすには問題材料を発見し、自らの力で「考える」姿勢が必要だ。この投稿が皆さんにとって一つの問題材料となれば幸いである。
(社会科学研究科修士課程1年 北 敬二郎)

(2002年6月20日掲載)


フリートーク 「心と頭をフル活用!」〜ワセダ・カルチャー・トーク、ピーター・フランクル氏の講演を聴いて

 講演の中で最も印象に残った部分は、「あるアルメニア人数学者が国際会議で発表をしたが、その人の英語はとても下手で聞き取るのが大変であった。しかし彼はすぐれた専門知識を持っていたので、聞き手を十分惹きつけた。逆に英語がペラペラであっても知識が薄っぺらであったら、人を惹きつけることはできないだろう」。という箇所であった。この部分に彼の言語観が集約されているように思う。

 つまり、まず一個人としてきちんとした意見・信念を持つこと。母国語でまとまった意見を持たない人が外国語できちんと話せるわけがない。あくまでも言葉は手段なのであって、言葉ができること自体をひけらかすのが言語習得の目的ではないのだ。次に自分の言いたいことを外国語話者に伝えたいと思ったならば、誠心誠意相手に伝えようとする熱意を持ち、言語能力に妥協せず語りたいことを語る姿勢を曲げないこと。そのためには、日々の訓練を積み重ねることが必要なのである。

 心と身体と頭を動かし、常にアンテナを張り巡らせ、日常生活の中でさまざまな題材を見付け出して、その題材について外国語でまとめる訓練を繰り返す。例えば、格言・ことわざ・キャッチフレーズなどに興味を持ち、意味を正確に把握して表現力を磨く。そして機会があるごとに使ってみる。また、自分で自分の時間を管理するという姿勢を言語習得においても貫く。このような姿勢で彼は11カ国語もの言語を習得してきたのだろう。

 最後に、彼によれば40歳の時に残りの人生に対していい基盤作りができていることがベストとのこと。もう手遅れと思わず、肝に命じたい。
(日本語研究教育センター  日本語教育研究講座受講生 米田京子)

(2002年6月13日掲載)


フリートーク「3月国立劇場歌舞伎鑑賞会に参加して」

 少し古い話になる。ウィークリーの国立歌舞伎招待企画に運良く当選し、3月22日に新作歌舞伎「冬桜」「秋の河童」を鑑賞する機会を頂いた。

 最初の演目「冬桜」は、これまで知っていた鉢の木の話に、さらに登場人物の考えや感情といったものが色濃く演じられていたのが印象的だった。特に主人公である佐野源左衛門常世の持つもののふ武士としての心が強く表現されていた。その中で最も感動したのが、仇に土地を奪われた常世と、雪の中一夜の宿を乞うた執権北条時頼とのやりとりである。幕府に訴え出よとの時頼の勧めに対して、どうせ訴え出てもという悲観的な考えではなく、そうした考えにより、ともすれば鎌倉を見失う常世自身の心こそが討つべき邪悪のものであるというくだりであった。常世のもののふ武士としての心、鎌倉を一途に思いやる誠の心、こういった心をぜひ持ちたいものだと思った。

 歌舞伎は現代において日常生活では味わうことのできない昔の風情に触れられるという点で好きであったが、今回の歌舞伎鑑賞を通してそうした風情だけでなく、現代にも通じる心、あるいは精神の在り方という面において非常に勉強になった。

 また、「秋の河童」は「冬桜」とはまた一風異なり、主人公の常次にしか見えない透明な河童の表現が非常に面白く新作らしく斬新で、観客も皆喝采であった。一番驚いたのが、小スクリーン上に河童のキャラクターの姿が映し出され常次と会話したり食事をしたりする場面である。これまでの歌舞伎では全く見たことのない仕掛けであり、歌舞伎の新しい一面を見た気がした。

 このようにこれまでの伝統を大切にしつつ、また新たな発想によりいろいろな形を見せてくれる所も歌舞伎の魅力なのであろう。なかなか個人では歌舞伎に親しむ機会も持てない中で、こうした招待企画は歌舞伎の魅力に触れる絶好の機会であり、まだ歌舞伎を見たことのない人はぜひ一度見に行かれることをお勧めしたい。
(理工学部2年 金城 均)

(2002年6月6日掲載)


フリートーク 「煙草をめぐるルールについて」

 5月16日発行の本欄の投書を拝読しました。大学による分煙の措置にも関わらず、禁煙となったある研究指導室では喫煙を続ける人間がおり、迷惑だから大学は罰則を課して守らせるべき、とのご意見でした。

 私は、今回の分煙の措置には賛成ですが、投書された方のように大学が罰則を課して適用するという方法に賛成できません。煙草の健康被害は周囲にも及ぶとされ、嫌煙の権利も一理あります。一方で、合法である以上喫煙の権利を主張する人も多く、大学は随分苦心して、「分煙」という方針を決定したようです。禁煙を望む方には不本意かもしれませんが、「分煙」という方針にさえ反感を感じる喫煙者もいるのが実情と思います。

 投書をされた方は、これをきっかけに、従来喫煙が自由に行われてきた場所にも早速禁煙のルールを徹底したい考えのようです。しかし、前述したように、喫煙・禁煙には、一見小さなことのようでさまざまな思い入れがあり、簡単に全員が一方に移行できるものとは思いません。ルールである以上、方向としてはお望みのようになるのでしょうが、そのルールに喫煙者自身も納得していた場合の方が、ルールの施行も人間関係もスムーズになるのではないでしょうか。また、大学院生ともなれば、いちいち罰則を課しながらルールを守らせるというよりも、自分たちで周りと調整しながらルールを形成していくという感覚が重要だと思います。先生が子どもに校則を守らせるような感覚で、博士課程の学生までを扱わなければならないとしたら、みっともないことだと思います。

 喫煙に関して、ルールはいま形成の過程にあります。貴重な一歩を台無しにしないためにも、煙草を吸う人・吸わない人、それぞれ気持ちを調整しながら、ルールが「気持ちよく」守られる雰囲気を作っていくことが、煙草にまつわる「害」をなくすのに一番効果的だと思います。

(社会科学研究科博士課程 秋葉丈志)

(2002年5月30日掲載)


■ 書評『13階段』(高野和明著・講談社・定価1,600円)

 13階段…それは死刑台の代名詞として使われている。

 第47回江戸川乱歩賞受賞作である本書のタイトルもそれを暗示したものだが、現在の刑場にそのような階段は存在しないとのことだ。ともあれ、主人公たちの仕事は無実の死刑囚の冤罪を晴らし死刑台から生還させること。一千万円の報酬のかかるこの仕事に臨むのが、仮釈放中の男と元刑務官(看守)という設定にやや荒唐無稽の感があるものの、緻密な構成と迫力がそれを補って余りある物語に仕上げている。

 主人公二人には人を殺した経験がある。仮釈放中の男はケンカで偶然に相手を殺してしまった傷害致死犯であり、元刑務官は死刑執行に携わった過去があった。舞台となるのは房総半島の小さな町。死刑囚の男は、この町で起きた強盗殺人の犯人である。男は逮捕直前にバイク事故を起こして記憶を失い、そのため「改悛の情」を示すことすらできず死刑判決を受けたのである。そしてこの町は、かつて傷害致死犯の男が恋人と小旅行をした地でもあった。この偶然が必然へと変わった時、男たちの身に危険が迫る…。

 劇中黒幕に気付かれた方も、二転三転する展開と登場人物全ての行動が一つの結論へと収束していく巧みさに「うなる」こと請け合いである。また、メインテーマではないものの、現行死刑制度についても考えさせられる奥の深い作品である。300ページを超える本書を一晩で一気に読み通したのも、しおりを挟むことすら許さない圧倒的なスピード感に引き込まれたからに他ならない。映画やテレビの脚本家としての著者の経験がこのスピード感の源であろうか。

 著者の目標は「一流の娯楽職人」とのこと…。次回作にも大いに期待したい。
(法学研究科科目等履修生 楠亭)

(2002年5月23日掲載)


フリートーク 「禁煙の意味、わかりますか?」

 7号館の経済学修士研究指導室は禁煙であるにもかかわらず、灰皿が持ち込まれ、喫煙者の喫煙所と化している。初めて入った時には大学にもこんなところがあるのかと驚いた。部屋にいる人の半分以上がタバコを吸い、煙がもうもうとして換気も行われていないため、部屋は煙でかすんでいるのだ。喘息や心肺機能に障害がある人はその空気を吸っただけで動悸がし、胸が痛くなる。先日、事務所がその悪環境を改善するため、灰皿の撤去などの対策を講じ、状況は幾分改善したもののまだ喫煙を続ける人たちがいる。彼らは、灰皿を自分のロッカーに隠し持ち、タバコを吸いたくなると修士研究指導室にやってきて喫煙している。禁煙の場所ではタバコを吸ってはいけないということが、まだ理解できないのだろうか。

 このことをきっかけに禁煙であると公示してあるにもかかわらずそのルールが守れない人たちには、残念ながら何らかの罰則を課さなくてはいけないと最近思うようになった。自由の大学の代名詞でもある早稲田にとっては非常に不名誉なことだが、煙害によって苦しんでいる人たちがいる(実際に受動喫煙によって喘息の悪化や、いわゆるシックハウスの症状で入院した人がいる)のだから禁煙の場所での喫煙行為は立派な傷害罪にあたるはずで、罰則規定もいたしかたない。

自由とは、マナーをお互いにきちんと守りあえる世界で存在できるものだ。早稲田の自由という伝統を謳歌するためにも、喫煙は喫煙所で行うという最低限のマナーは守ってほしい。

(経済学研究科修士1年 匿名希望)

(2002年5月16日掲載)


フリートーク 「年の差」

 先日、銭湯に出かけた時のこと。湯船に浸かってリラックスしているところに、若者が入ってきた。入り口から迷うことなく浴槽に直進し、お湯の温度を足の先でツンツンと調べたかと思うと、脇にある蛇口を全開にひねり、その手にもったタオルと共に体を洗うことなく、そのまま湯船に進入してきた。

 別の日、ある私鉄に乗って出かける機会があった。プラットホームには当駅始発の電車を待つ乗客が脇に整列していた。そこに当駅始発の電車が滑り込んできた。乗客が順序良く乗り込もうとしたその時、どこからともなく初老の女性二人組が現れ、ドアが開くと同時に整列乗車をしようとしている乗客を後ろ目に、斜めからカットインしてきて、そのまま一番乗りで電車の中に飛び込んで行き、席を確保していた。「私は年輩だから当然よ」と言わんばかりの表情で罪悪感のカケラも感じていない雰囲気だった。列の先頭できちんと電車を待っていたサラリーマン風の男性は呆気にとられていた。

 比較的最近確立された常識に対しては、若者はそれを心得ている。年輩者はそれを無視する。反面、昔から守られているが昨今では影が薄くなりつつある常識に対して、年輩者は心を砕いている。若者はそれを無視する。

 時代の移り変わりに伴い、マナー自体も変わってゆくことは当然。だが、このマナーの年の差が事件を引き起こすケースもある。展開が早く、過ぎ去った時代はそれ以上により早く遠のいていく感がある現代においては、このマナーの年の差は拡がるばかりかも知れない。

 新しく環境が変わり、人との出会いも多いこの季節、自身の身の回りにあるマナーの年の差について考えてみるのも良いのかも知れない。

 もちろん、くわえタバコやポイ捨てなどは、年齢を問わず論外であるが…。
(社会科学部3年 小林 珠輝)

(2002年5月9日掲載)


フリートーク 国連フィジー選挙監視団に参加して

 「フィジー」と聞くと天国に近い島、リゾートを思わせるだろう。他方、2000年5月にはクーデターが勃発。この背景には、先住民族であるフィジー人と19世紀末以降、砂糖キビ畑の労働者としてインドから移民してきたインド系フィジー人との民族問題がある。

 同年7月に暫定文民政府が発足し、昨年8月25日から9月1日にかけて総選挙が実施された。国連総会の決議を経て国連フィジー総選挙監視団(UNFEOM)の派遣が決まり、日本政府も日本人国連ボランティア(UNV)の派遣を含む無償資金援助を行った。

 UNFEOMには、UNVの他、国連本部のオフィサーやスタッフ、参加国政府の外交官等が派遣され、団員の国籍数は22を数えた。今回の選挙では、日本のものと全く異なるプレファランス・システム(優先選挙制)が初めて導入された。この制度では死票が少なく、民意を反映できるといわれている。この他に、民族別の選挙区と民族を問わないオープンの選挙区に分かれており、各人2票投票する。

 私が担当した地区は、フィジー第2の大きさの島バヌアレブ島西部に位置するブア州だった。ここは、観光化されておらず、まだ、素朴な生活が残っていた。1週間におよぶ選挙後、投票箱は島の中心地に集められ、開票作業が24時間3日間行われた。複雑な投票システムに不安を抱いていたが、やはり10%以上の無効票が出ていた。

 選挙終了後、国連は全体的には大きな問題もなく、公平かつ民主的な選挙がされたことを国際社会に発表した。しかし、新内閣の組閣人事に問題が指摘され、違法性が問われることになった。これは、私たちにとっても大変残念なニュースだった。国民が新しい政府に対して、自由と平等をしっかり監視し、フォローしていくことが今後の課題だろう。それは、フィジー国民だけでなく私たち自身にも言えることだろう。彼らから日本の政治、選挙について質問されることにより、改めてわが国のことについても考えさせられた。

(アジア太平洋研究科 国際関係学専攻修士課程3年 鈴木 貴子)

(2002年4月25日掲載)


フリートーク:私と早稲田〜早稲田ってどぉ番外編〜

 元々、早稲田にそれほど興味はなかった。しかし、大学入学後の夏、早稲田のオープンキャンパスで、応援団のデモンストレーションを見て以来、気持ちに変化が芽生えた。早稲田に関する雑誌を読みまくり、CDを買い、校歌、紺碧を毎日聞いているうちに、私は「早稲田狂」となった。生まれて初めて、校風に惹かれ、一瞬にして、早稲田に取りつかれた。ここ以外の大学は、あり得ないと思った。早稲田大学を目指し仮面浪人をしたが、結果は「都の敗北」、5学部全敗であった。
 早稲田には、いろいろな人がいる。拡声器を持って抗議する人、立て看板、「学生注目」の応援団も魅力的である。このウィークリーは大学の広報紙だが、学生の発行する数多くの雑誌があるのも早稲田の特徴だ。最近、早稲田の街を歩いたが、商店街会長・安井氏を中心とし、「いのちのまちづくり」、「エコサマー」を行っており、食堂や帽子店のご主人は気さくで、店には、サークルなどの代々の色紙が、飾ってあるのも素晴らしい。この街は、実に、すがすがしく、何か、昔懐かしい気風さえ感じられる。
 昨年のWASEDA EXPOは、涙が出るくらい嬉しかった。97年の学園祭中止以来の大学公認祭である。私自身も5年ぶりに参加した。そして、ラグビー早明戦での最後の逆転シーンは、何か、これからの早稲田の繁栄を象徴するようであった。私も思わずスタンドで歓喜の雄叫びを上げてしまった。いまだに、早稲田スポーツを見に行くのは、早稲田ならではの多種多様な人種が生み出す、あの独特の空気である。言葉では言い表すことの出来ないあの「空気」は、とてつもなくたまらなく、刺激的だ。
 あの受験の日から2年経った今だが、早稲田は、何も変わらないように思える。いや、このまま変わらないでいてほしい。
(日本大学国際関係学部国際文化学科3年 関谷倫和)

(2002年4月18日掲載)


フリートーク 「夢」―今の私にできること―

ご本人の希望により、非掲載にしています。
(2002年4月18日掲載)


フリートーク「理想の先生」

―スキ、キライ、好き、嫌い―

 数え切れない程繰り返した感情。これは私の担当教員であるS先生への感情。もちろん恋愛感情ではありません。でもちゃんと尊敬してますヨ。

 例えば、どんなに忙しくても学生が実験結果の相談に来ると、絶対に嫌な顔をせず一緒に考えてくれ、良いデータが取れても解析方法が分からず途方に暮れていると、天恵のようなアドバイスをくれる。そして学会発表の時には必ず会場にいてくれる。研究室の皆も、先生を第二の父親と慕っている。学会などで外部の先生や他の大学の学生さんたちと話すたびに「ウチの先生は良い先生だな〜」と再認識。

 でもね、完璧な人間はいないけれど…時間は守って下さいヨ!特に公の場に出席する場合は…。「僕は鷹揚だから」と笑って済ませるけれど、オロオロして待っている弟子達の気持ちも分かってください!

 けれどウチの先生は、周囲の心配も不安もいつも、この笑顔で全部乗り切ってしまう。呆れるけれど、憎めないキャラの持ち主なのだ。

 S先生は教育者として非常に優れた理想の先生だ。学生に苦労をさせたり学ぶ楽しみを味わせたり、いろいろ経験させた後、「この先生に出会えて良かった」と思わせる人こそ理想の先生ではないだろうか。学生がそれに気付く日は在学中に限らず、長い人生のいつでも良い。また職業教師でなくとも、相手の(互いの)志を高めさせることができる人も、理想の先生と言える。

 だがそのような人に巡り合うには、絶えず自分自身を磨かなくてはいけない。幸いそんな苦労もせず、私はS先生に出会うことができた。いつか人間としては先生のような人に、研究者としては先生と渡り合える人になって、よりたくさんの理想の先生に出会いたい。  とはいえ、現在までに先生を見習えたのは、遅刻グセと締切を守らない点ぐらい。自分のこれからを考えると気持ちまで重くなって先が思いやられる。先生も私のことで頭を抱えているだろう。かわいそうな先生!理想の先生は、理想の学生に出会わない限り、永遠に頭が痛いのかもしれない。S先生、まだまだ御苦労をお掛けしますが、どうかよろしく御指導願いますネ!
(理工学研究科物理学及応用物理学専攻博士後期課程2年  藤原 郁子)

(2002年4月11日掲載)