とっておきの話

2002年度前期分 目次



わたしの「臥遊」

江南の水郷風景(筆者撮影)
江南の水郷風景(筆者撮影)
教育学部助教授  内山 精也

 とり立てて趣味と呼べるものはない。幾らか拡大解釈して「消遣(気晴らし)」ということならば、私にもそれらしき慣行はある。
 実益を兼ねるものでもあるのだが、中国諸都市の地図を広げ、かつて歩いた小巷を思い起こしたり、まだ見ぬ街角に思いを馳せることである。
 かつて上海に留学した関係で、江南の諸都市に特に思い入れが深い。蘇州、杭州、湖州、常州、無錫、鎮江、南京、紹興……。これらの都市は、おおむね千年二千年の歴史を誇る古都であるので、古今の地図を見比べる楽しみもある。千年昔の地図や文献に登場する路地の名を現代の地図の中に発見したときは、小躍りしたくなるほどだ。
 中国の読書界では今、レトロブームがおきており、民国時代の古い写真や往時の記録をふんだんに盛り込んだ、都市ごとの懐旧録が次々出版されている。この種の懐旧録も私の仮想の旅に彩りを添えてくれる。
 ここ数年の急速な経済成長によって、江南の諸都市は景観が一変しつつある。狭い路地に漆喰の白壁という街並みも、いまや大通りに高層ビルという組み合せに変貌した。
 職業柄、この変化はあまり歓迎すべきものではないが、わが仮想の旅にあっては、それがただちに旅立ちを逡巡させるマイナス要因になるばかりではない。それどころか、最新の地図を眺める目に驚きと刺激(時に落胆)を与えてくれるので、「旅立ち」を促す動機として働く場合もある。
 所詮は仮想の旅、現実の景観に一切が左右されるわけではない。古今東西、融通無碍に所を移し、「旅」に倦んだら即座に中断する。ものぐさ者の私には、まことに格好の「旅」形態である。私は下戸なので、地図上の「臥遊」がさしずめ、今の私の「忘憂物」である。

 次は商学部の小川利康先生。この3月まで1年間、北京の胡同を練り歩いておられました。

(2002年7月25日掲載)


ママチャリでサイクリング

自転車で走ってみたかったドイツの街
自転車で走ってみたかったドイツの街
文学部教授 岡崎 由美

 健康診断で「いやあ、これじゃ、朝が辛いでしょうねえ。世間では怠け者みたいに言われるけれど、意志の力でどうなるという問題じゃないですからねえ、辛いですよ」とお医者さんに同情されるほど、低血圧だった(ただし、寝つきは異常によろしいので、家族は誰も同情してくれない)。

 低血圧解消のため、少しは運動しなさいと勧められたが、テニスもスキーもゴルフもたしなみはない。水泳はほとんど浮いてるだけ。早朝ジョギング……朝起きられるなら、こんな苦労はしないわけで、ごねまくったあげく、結局、お手軽ではあるが、休みに夫と自転車でひとっ走りしてくるのが、楽しみになった。

 我が家のすぐそばを多摩湖サイクリングロードが通っており、桜の季節、青葉の季節、紅葉の季節と、四季を通じてなかなか気持ちのいい道である。花小金井から多摩湖まで、片道8kmほどの道を走るだけで、武蔵野の自然を満喫できる。お買い物用のママチャリで走っているから、多摩湖の上り坂では進んでいるのか止まっているのか分からないが、ほどよく汗をかいて、途中で見つけた酒屋でビールを買い、スーパーで夕食の買い物をして戻ってくる(これって、サイクリングなんだろうか)。

 半日くらい走っても、途中で古本屋や美術館に入ったり、神社やお寺で郷土史のにわか勉強をさせてもらったり、たまたま見つけた銭湯で汗を流してから、帰り道の居酒屋で一杯やったり、寄り道ばかりなので、たいした運動にはなりそうもないけれど、気分は爽快。夫と一緒に走っていると、頭の中で「bicycle built for two」なんてメロディが流れていたりするわけですよ、ふふふ。

 次回は、ご家庭をこよなく愛するパパ、教育学部の内山精也先生です。

(2002年7月18日掲載)


ワインがとり持つ趣味としての人生

ブルゴーニュの南、マコン近郊のソリュトレの断崖とぶどう畑
ブルゴーニュの南、マコン近郊のソリュトレの断崖とぶどう畑
教育学部教授 福田 育弘

 この欄は趣味について書くのだそうだと引き受けてから分かった。うーむ、趣味か。  小説を読むのが趣味だったが、これは「職業」の一部となり、今では線を引いたり、場合によっては授業のためにノートをとりながら小説を読む始末。映画や音楽もとりあえず好きだが、趣味という感じではないし、いまではこれも「表象」文化の一環として「職業」領域にからんできてしまっている。

 飲んだり食べたりがもともと好きで(嫌いな人っているのか?)、大学院時代の3年の滞仏を機にワインに興味を持ち、文献をあさっているうちに、ワインに関する文章を書いたり、ワインに関する歴史書の翻訳を出すことになり、さらには「飲食の表象」なるテーマカレッジまで立ち上げるに及び、これも完全に「職業」になってしまった。

 第一、飲んだり食べたりと言っても、食にうるさい人のように、休みになったからといって、家で手の込んだ料理を作るわけでもなく、人より食い意地の張った単なる呑ん兵衛というに過ぎない。

 昨日偶然、次の原稿を依頼した、文学部で中国文学を講じる岡崎由美先生に会った際、文学畑の人間はもともと好きなことを「職業」にしてしまっているから、無趣味ではないかと意見が一致した。しかし、これは裏を返せば人生のすべてが「趣味」ということかもしれない。「趣味としての人生」か、悪くない。

 とすれば、人生の充実した時間として飲んだり食べたりが趣味であってもいいはずだ。

 特にワイン。実際休みになるとフランスのぶどう畑を車で飛ばすことが無類に楽しい。しかも、気が向いたら生産者を訪ね試飲し、日本用のストックも買える。そして、日本に帰り、授業の準備と雑務に追われながら、夕食やときにはオフの日の午餐に、グラスを傾け、あの伸びやかなぶどう畑の風景に思いをはせ、翌日の授業でワインを語る。やはり、人生が趣味なのかもしれない。

(2002年7月11日掲載)


「猫族」頌

「猫族は、暗闇への恐怖と沈黙とを探し求める」(ボードレール)
「猫族は、暗闇への恐怖と沈黙とを探し求める」(ボードレール)
法学部助教授 守中 高明

 日々の暮らしの中で人が口にする、何の意味もないが日常会話を円滑に機能せしめるのに役立ち、口にしてみると何とはなしに視界がクリアになったような気がする便利な二分法として、「あなたは犬派ですか、それとも猫派?」というやつがある。この分類は、たとえば80年代初頭に流行した「スキゾ/パラノ」や、90年代における思考停止のキーワードである「本質主義的/構築主義的」に比べて、やはり古典的かつ普遍的なものと言うべきであり、何の意味もないと知りつつ孤独に断言すれば、私は断然「猫派」である。

 およそこの世の中に、猫ほど優美な生き物はいない。その美と高貴をいったい何と形容するべきか――「猫」と発音したとたんに、私のけっして貧しくはないと信ずる言語能力が、しかし、対象の魅力の底知れぬ深みを前にあっさり敗北を認め、あらゆる表現を放棄してただ沈黙を選ぶのみなので、先人たちの例を引くほかない。はるか古代エジプトで人々はどうしたか。猫の姿をした女神「バテスト」を崇めるある街の人々は、猫を愛し、偏愛のあまり、火事が起きたときも消火の努力をする代わりに、「猫が火の中に飛び込まないよう」監視したという(火事のとき、実際に猫が火に飛び込もうとするか否かは、古代人に訊いてほしい)。フランス近代詩の王たるシャルル・ボードレールはどうか。『悪の華』の詩人によれば、猫こそは「もろもろの学と悦楽との友」であり、「熱烈な恋人も、眉のきびしい大学者も/〔…〕/等しく猫族を愛する」(福永武彦訳)。あるいは、内田百閧フ場合。この狷介で気弱な審美家は、あるとき戻らなくなった一匹の愛猫の思い出のために、知とは一切無縁の哀切な呟きに浸された一冊『ノラや』を書き残した――「いい子だ、いい子だ、ノラちゃんは」……。

 ところで、わが家にも猫がいる。一方は黒いので「クロ」という(そのままである)。他方は京都の仁和寺の境内で拾ってきたので「ニン」という(安易である)。この二匹もまた、高貴にして優美な猫族の一員のはずである――そうであってくれれば、ほんとうによいと思う。

 さて、次回は、教育学部の福田育弘先生にバトンタッチ!

(2002年7月4日掲載)


ねこじゃらし いぬじゃらし

恋人の犬・グーちゃんと
恋人の犬・グーちゃんと。当方、眠ってます
文学部助教授 小沼純一

 「ところでさ、ぼくの<趣味>って、なに?」
 「ん……ねこじゃらし……かな」
 恋人の返答である。
 お好きなことがたくさんあってよろしいですね、などとよく言われる。好きなことが仕事になっている人なんて、滅多にいませんからね、という皮肉まじりのコメントもある。でも、そのあたりが微妙なのだ。数年前までは一般企業に勤めていて、傍らで文章を書いていた。どちらも本職だと思っていたが、趣味でアルバイトをしてる不良社員と考える人もいた。会社を辞めて、文章を書くことが、さらに学生に接することが仕事になってしまったから、趣味が転じて仕事になったと解釈されることも少なくない。
 音楽を聴く、音楽をめぐって考える。それが今やっていることだ。映画やダンス、演劇の中で音や音楽がどうなっているか、詩や小説でそれらがどう描かれているのか、この街や自然はどんなサウンドスケープなのか、というように、音・音楽をめぐることどもはどんなことでも入ってくる。かくして、仕事か趣味かの区分は限りなく不分明。ゴダールの映画やパパ・タラフマラの舞台を観るのは、楽しみであると同時にプラクティカルな思考の場だ。
 そこで「ねこじゃらし」である。歩いていて動くものが目にとまると、つい追ってしまう。猫や犬だと寄っていく。恋人の着眼はそこにあったようだ。夜昼かまわず、近所の猫を手招きしたりする。深夜帰宅途中で顔を合わせたりすると、かなり長時間話し込んでいる(単なる酔っ払いだ、って?)。
 犬はそこいらを自由には歩いていないので、じゃらす機会があまりない。でも、恋人のところには大きな犬がいるので、散歩をしたり、家の中でかまったりする。これほど大きい犬は飼ったことがなく、あ、なんか大きいのっていいな、などと愛着を強めている。ま、これも「趣味」なのかどうかは分からないのだけれど、ほとんど無償の楽しみであるのは事実だ。
 というわけで、次は、20年来の畏友、法学部の守中高明先生にバトンタッチ。

(2002年6月27日掲載)


音楽のバトンは海に潜る

正月に裸で泳げる石垣島にて
正月に裸で泳げる石垣島にて
理工学部助教授 菅野 由弘

 このリレーエッセイは「音楽が趣味」の先生が続いている。前回の毛利先生も現代音楽好きで、ロックは演奏までしてしまう趣味人、しかも事情通。昨年、私が以前に作曲した「天使のたまご」という作品のサントラ盤CDが、復刻再発売になる、という情報も、毛利先生からもたらされた。作者である私は知らないのに。そんな訳で「音楽」つながりでバトンを受けたが、よくよく考えると、私は音楽が本業、世間の分類上は「クラシック系現代音楽の作曲家」であり、理工学部でコンピュータ音楽と、表現工学を教えている教員なのだ。現代音楽が本業で、NHKの「大河ドラマ」の音楽などを書くのは趣味、と言えなくもないのだが、やはり無理がある。どう考えてもこれは無理。というわけで、話は海へ。

 私の趣味はダイビングだ。空を飛ぶスカイダイビングではなく、海に潜る方の。いわば潜りの作曲家で、誰にも信用されないのではないかと心配になる趣味だ。
 それにしても、海は美しい。まさしく目で見る音楽の世界。と同時に、潜ってみると、音的にも意外ににぎやかな世界なのだ。水中は「静か」というイメージがあるのだが、実は空気中よりも水中の方が音の伝播が速いので、ずいぶんとたくさんの音が聞こえる。
 今年の正月に、石垣島に行って来た。まさに楽園、潜る必要もないくらい海がきれいで、白い砂浜、そして珊瑚礁。砂浜の波打ち際まで魚がやってきて、5mも歩けば、上からでも熱帯魚が見えた。少し潜れば魚がやってくる。魚は追いかけると逃げてしまうが、待っていると、向こうから人間を見にやってくるのだ。好奇心旺盛で、かわいい生き物たち。いつぞや、釣り船の下に潜ったことがあった。魚が全然いないところに、寂しく釣り針がたれていた。こんな時は、干物でも付けてあげようか、などと、水中メモを使って話し合う。多くの生き物、そして人間たち自身のために、海は大切にしたいものだ。

 次は、文学部の小沼純一先生にバトンタッチ。この先生も「音楽」が専門。海に潜ったバトンはどこへ行くやら。

(2002年6月20日掲載)


プログレッシブ・ロック

毛利 裕昭先生
ここに写っていないシンセ、山ほどあります!
商学部助教授 毛利 裕昭

 3年前に大学教員になった時、自己紹介の趣味の欄に私は「プログレッシブ・ロック(プログレ)の作曲、演奏」と書いた。「プログレ」とは異論はあろうが大まかに言えば「クラシック、ジャズ、フュージョン、現代音楽などさまざまな音楽要素を取り込んでいるロック」である。このことについて書いてみたい。

 中学入学時のことだ。私の隣に座った同級生には年が少し離れた兄がいた。そのころやっと洋楽に興味を持ったばかりの私にその同級生は、プログレの楽曲(キング・クリムゾンとELPだったと記憶している)を収録したカセットを渡した。それが最初のきっかけである。プログレは感覚的に自分にフィットした初めてのカッコイイ音楽だった。バルトークやドビッシーといった近現代のクラシックが好きであった私にとっては、その要素がロックと融合しているというのは大きな魅力だった。近現代の和声に変拍子のリズムの要素がロックに見事に取り込まれているということである。

 とにかく音を出したかったので、即席のバンドに参加した。そのころの中高生は、手軽なバイトではシンセを購入はできなかった。楽器屋の迷惑も顧みず、店頭で長時間弾いたりした。心ゆくまでシンセを弾ける唯一の機会は、貸スタジオでの練習時間だけだった。こうして私は音楽に入り浸りになり、学校に親が呼び出され退学警告を受けるまでになってしまった。私は音楽をやめることができなかったが、何とか無事大学に入学することが出来た。大学に入って初めてシンセを購入した時のことを今でも忘れることができない。その機材は現在壊れているのだが未だに手元に残してある。

 その後、ライブハウスのオーディションを受けてライブ活動をするようになる。いろいろなバンドを通じて多くの友人が大学、会社、家族構成の変化という時間の流れを受け音楽をやめていった。完全にプロになった友人でも音楽不況のあおりを受け最近転職した話が舞い込む。こういった状況の中、私はプログレバンドをしつこく続けている。最近はライブを控えざるを得ない事情があったが、そろそろ活動を再開しようと思う。仕事には定年があるがこれは一生涯現役でありたい。

 次は現代音楽の作曲家でいらっしゃる理工学部の菅野由弘先生にバトンタッチします。

(2002年6月13日掲載)


ファインマンファン


「ファインマングッズ」の数々
社会科学部助教授 戸田 学

 仕事柄、いろいろな研究者と会う機会が多い。彼らの共通点の一つを挙げるなら「ゴシップ好き」ということになるのでは、と密かに思っている。

 研究者の多くは比較的狭い世界に棲息しているので、どこの誰が何をした、といったことは素早く伝わるし、その種の情報に通じていなければ新しい研究をすることも出来ない。そして本来の研究動向に付随して、さまざまな個人情報が面白おかしくやり取りされているのも事実だ。もちろん、これらには必ずしも品が良いとは言えないものも多い。だが、研究者の人柄や性格を知ることは研究の中身を知る上で有益であったりもする。論文でしか知らなかった研究者に直接会ったり、逸話を聞いたりすると論文の書き方にその人なりの個性が感じ取れて面白い。しかし、同じ分野の研究者同士だと興味本位になりすぎるのでなるべく自制するようには心がけている。

 その点、別分野の天才たちの逸話は気軽に聞けるし、何かしら研究や生活のヒントを与えてくれるようにも思えて楽しい。特に留学時代のベストセラー『ご冗談でしょう、ファインマンさん』以来、物理学者ファインマンに関するものは、そのほとんどをコレクションしている。本、画集、CD、 カセットだけでなくファンクラブにも加入している。もっとも、日本のファンクラブは現在活動休止状態ではあるが。

 そんなファインマンファンとして一番印象に残っている彼の言葉を一つだけ紹介しておこう。「このところ僕は何一つ重要な仕事をしてないし、これからも大した仕事は全然しないに違いない。だが、昔はとにかくそれが楽しくてやったものだ。だから、これからは何事もただ楽しむためにやろう、と決心したんだ」。これを読んでからは、座右の銘となってしまい、とりわけ、研究に取りかかる時はいつも繰り返し唱えることにしている。リラックスして研究出来るので便利だが、いまだに大した仕事ができないのはそのせいかもしれない。

 それでは、次回は商学部の毛利裕昭先生にお願いしたいと思います。

(2002年6月6日掲載)


日本サッカーは世界に通用するか!?

ボールではなく、半導体中の電子を追いかけるのが専門
ボールではなく、半導体中の電子を追いかけるのが専門
理工学部教授 竹内 淳

 ワールドカップが迫ってきた。おそらくマスコミは大騒ぎし、日本が得点すればアナウンサーは絶叫、負けでもしたら日本列島が海に沈んだかのような落胆が国を覆うだろう。

 さて、私は応用物理学科の教員なので、「物理」をサッカーに「応用」して解説してみたい。それも高校の物理で十分である(高校の物理? という方には、たとえば拙著「物理が苦手になる前に」(岩波ジュニア新書)をお勧めしたい)。とりあえず、運動量保存則という自然法則が宇宙を支配していることを丸呑みしてほしい。これは、選手同士がぶつかる瞬間の「体重×スピード=運動量」が大きい方が相手をはねとばすという法則である。これがもろに効くのは、接触が頻繁に起こるラグビーで、体格で劣る日本が世界で勝てない最大の原因はこの自然法則にある。

 サッカーの場合、ラグビーほどではないが接触が頻繁に起こっている。FIFAが選んだ2000年の世界のトップテンと代表的な日本人選手を比べると、残念ながら体重で5kg軽く、身長は8cmも低い。中田や小野も軽くて小さいのである。しかも、三浦や武田らのJリーグ発足時の代表選手からほとんど向上していない。身長は運動量保存則には関係ないが、ヘディングの高さやゴール前の密集内で視界を確保する重要な要素である。1つ幸いなことは、世界との体格差が他のスポーツに比べて小さいことで、今後、世界水準の体格を持った選手の育成は可能だろう。

 さて予測だが、スピードの公式データはないので、世界のトップ選手はほとんど同じだと仮定しよう。体重については公表される対戦国データを使っていただきたい。おそらく体重は、全ての対戦国が日本を上回るだろう。とすると、予想は簡単。一つでも勝てば、体格差を超える技術の大変な優秀さを示すことになる(接触の回数を減らす早いパス回しによる)。だから仮に負けてもむやみに悔しがらず、冷静に選手の動きを観察し、健闘を称える心の余裕を持ってワールドカップに臨みたいものである。

 さて、次回は、社会科学部の戸田 学先生にバトンタッチ。

(2002年5月30日掲載)


ネットワークに誘われて

ゼミ生の小川裕之くんが撮影しました。初めてのデジカメ使用でした
ゼミ生の小川裕之くんが撮影しました。初めてのデジカメ使用でした
商学部 池尾 愛子

 専門は何ですかと尋ねられると、最近は、現代社会科学論です、と答えることにしている。相手は趣味と思っているのか、まず納得しない。そこで、20世紀の経済学史を研究してきたのですが、社会科学的要素が多分にあったので、自然な延長上で研究の幅を広げています、と続ける。相手は疑いの眼を逸らさない。

 20世紀の最後の10年間を振り返ると、日本の経済学について社会学的研究をしてきた、というのが最も近い。日本の経済学者が最初に継続的な国際貢献をなしたのが、理論経済学(かつての数理経済学)の分野だったので、私の英語での研究は数理経済学の歴史から始まった。相対的に語学力が少なくてすむ分野である。

 しかし、国際比較研究に巻き込まれた。「日本での新古典派経済学の導入」「日本での経済学の国際化」「日本の古典派経済学」「日本の政治経済学」「日本におけるアダム・スミス」「日本の女性エコノミスト―山川菊栄、三瓶孝子、谷野せつ」など。遠慮したのは、「日本と中国の社会科学」をある事典に書くという話だけだ。

 コンピュータ・ネットワークの展開と、それに伴う事典プロジェクトのラッシュがあった。日常の通信手段は、ファクスから、電子メールとメーリングリストへと変化した。サーバの不調やコマンドミスによるトラブルもあった。皆が初心者の時代だった。国際プロジェクトに、ネットワーク利用は欠かせない。論文配布や大会参加登録、学会役員投票には、ウェブも利用されている。安くすむので、皆、趣味的に対応していく。

 だから、国際化の勢いは増す。私自身の関心にも、日本の経済学や社会科学だけではなく、若い社会科学者にどう育ってもらうかが加わっている。社会科学一般といってよいと思うが、ヨーロッパ大陸の研究者たちが、英語環境に対応できる若手の育成に熱心になっている。

 日本の将来を慮りながら、理工学部応用物理学科の竹内淳先生にバトンタッチ。

(2002年5月23日掲載)


鎌倉リス事情

花井先生
商学部 花井 俊介

 趣味らしい趣味も、特技もこれといってない。強いて言えば、運転免許がないので、タウン・ウォッチングよろしく街をぶらつくことくらいか。

 先日、用があって鎌倉に出かけた。通り過ぎる予定だったが、いい天気だったのでちょっと鶴ヶ岡八幡宮をうろついてみた。平日の八幡宮は、大銀杏のある階段と本殿辺りにこそ観光客がいたが、脇に入ると人影はなく、ひっそりとしていた。森林浴気分で木立の中に佇んでいると、ふと黒い影が頭上をよぎった。いったい何かと近視の目を凝らす。どうやらリスらしい。鶯色の大きな尻尾を揺すりながら素早く枝を渡って幹の向こうに消えた。へええ。リスがいたのか。鎌倉は変わってないな。などと勝手に(昔の鎌倉を知らないくせに)思いつつ、ちょっと嬉しくなった。

 ところがどうだろう。大銀杏に戻ると、またリスが現れた。2匹、いや3匹いる。全く人間を怖がらない。どころか、餌をねだって、観光客をしつこく追い回していた。これでは奈良の鹿である。家畜化されたその姿にだいぶしらけた。

 八幡宮から駅へと戻る道すがら、人気の多い若宮大路を避けて裏の細道をやはりいい気分で歩いていると、またまたリスが現れた。今度は電線の上だ。器用に線を伝って駐車場の屋根へと降り、最後はビルの影へと消えた。

 うーん参った。何か変だ。何かがおかしい。鎌倉のリスよ。アーバン・ライフを楽しんどる場合か。いいかげんにせー。ちょっと考え直せ。と思ったが、おまえらもな。と言われそうな気がした。人間同士のみならず、自然との同居もどうやら簡単ではないようだ。

 次回は、いいかげんにせー、などとは決しておっしゃらない、商学部の池尾愛子先生です。

(2002年5月16日掲載)


花より団子

たどり着いた趣味
たどり着いた趣味
文学部 新川 登亀男

 ひと昔前の見合いシーンではないが、ご趣味は、と聞かれると、何とも返答に困ってしまう。しかと答えられる趣味がないのである。世間では、それを無趣味というのだが、この語感はいかにもよくない。人間的な魅力に乏しい、性格が暗い、楽しみを知らない、個性的な能力に欠ける、などなど好印象は何ひとつ見付からないようである。

 そこで、何とか趣味を発見しようとあがいてみると、出ては消える趣味の数々。お定まりの読書や散歩にはじまって、古本屋めぐり、字を書くこと、車の運転、メール、切手収集、卓球、テニス、サッカー、とまだまだ続きそうである。多彩なご趣味を、と言われかねないが、そんなものではない。どれもこれも、かつては、一時は、と但し書きしなければならないほどに持続性がない。たとえ持続していても、余儀なくされたうしろめたさがつきまとうものもある。また、よくよく考えてみると本当に趣味なのだろうかと思うものもある。

 こんなことをあれこれ考えるのが、もしかしたら私の趣味であり、ささやかな特技なのかもしれない。しかもそれを、セーラー万年筆のブラック太字で原稿用紙に手書きするのが、つらくもあるが、無上の喜びでもある。だから、ワープロ原稿には未だに馴染めないところがあって、異次元にちょっと旅する程度である。しかし、これはこれで結構楽しい。

 読書にしても、果たして趣味なのかどうか怪しい。確かに、書物をひもとく時間は多いが、すべて受領のようないやしき根性で文を追うのであるから、晴耕雨読のようにはいかない。書物に囲まれながら、読書を願望することしきりなのである。

 ここまで書いてきて、じわりと浮上してきた趣味がある。恥ずかしくて、気付かないふりをしていたのかもしれない趣味だ。それは、食べることである。花を見れば、それぞれ違った食べ物に見えてくる。おいしそうな食べ物に出会うと、笑みがこみ上げてくる。しばしば、家の者からは呆れられるが、ほとんどの人は、その真相を知らない。これこそ至福の時なのである。趣味には貴賤なし、ですよね。

 次は、商学部の花井俊介先生にバトンタッチ。
(2002年5月9日掲載)


ディズニーの専門家?

筆者と長女
筆者と長女。ディズニー・ワールド(フロリダ州)MGMスタジオにて
社会科学部 有馬 哲夫

 私にとってディズニーとは趣味なのか、研究対象なのか自分でもよく分からない。本業のメディア論からは少し横道にそれているので、趣味なのだろう。しかし、ファンというにはほど遠い。夢と魔法と感動などと聞くと白けてしまう。
 トリビアルな知識ではディズニー・オタクに負けるかもしれないが、一方英語の文献をかなり読んでいるので、単なるオタクではとても知り得ないようなことを知っている。例えばミッキー・マウスはポール・テリーの『イソップ物語』にで出くるねずみがモデルになっていること。『アリス・コメディー』にでてくるジュリアスという猫もフェリックス・ザ・キャットを借用したものであること。
 趣味が高じて昨年ディズニー関連の本を3冊出した。ちょうどウォルト・ディズニー生誕100周年だったので、前から書きためていたものをまとめて発表したのだ。このためか、昨年後半からディズニー関連の講演や記事や取材の依頼を多く受けた。
 講演に関していえば、テーマパーク経営や幼児教育について話してもらいたいという依頼がいくつかあった。「専門ではないので」と断ると、「ディズニーの専門家ではないのですか」と不思議がられた。
 記事の依頼では「子供や女性の読者に夢と感動を与えるようなものをお願いします」というものが多かった。これも、私には書けそうにないので断った。
 一番閉口したのは、メディア関係者による電話取材で「東京ディズニーランドでまく紙吹雪は四角ではないということですが、どんな形をしているのでしょうか」などと聞いてくる。つとめて平静を装って「わかりませんね。どなたか専門の方におたずねになるといいでしょう」。と言うと、「先生はディズニーの専門家ではないのですか」。と言って電話が切れる。
 私ごとき浅学非才の身ではこのような世間の人々の期待にはとても応えられないので金輪際「ディズニーの専門家」になるつもりはない。ディズニーはやはり趣味でいい。
 次回は、文学部、新川登亀男先生にバトンタッチ!

(2002年4月25日掲載)


我が家のカメとメダカ

クロとチッチです。
クロとチッチです。
商学部助教授 渡辺展也

 矢内先生からのバトンタッチでエッセーを書くことを引き受けたが、「趣味はあるよね」と言われて「まあ」と言った後ちょっと困った。趣味があまりないのである。強いて言えば、音楽を聴くことはわりと好きで学生の頃からよく聴いているが、エッセーに書くようなことはない。そこで現在我が家にいるカメとメダカのことを書く。
 そういえば、学生の頃エジンバラ行きの電車の中で携帯ラジオから聴こえてきたキンクスの「サニーアフタヌーン」は気持ちが良かった。
 さて、カメが2匹いる。いわゆるミドリガメで、名前はクロとチッチだ。
 クロは1999年の秋にロク(カメ)と一緒に来た。ロクは半年ぐらいで死んでしまった。お風呂に入った後、調子を崩したらしい。
 チッチは翌年の秋に来た。どちらも高校の文化祭のカメ釣りで妻と娘がとってきたのだ。来た時はどちらも似たような大きさだったのだが、クロのほうが一つ上ということとチッチがなかなか大きくなれなくて、今ではクロの方がだいぶ大きい。クロは身体は大きいのだが臆病で落ち着きがない。よく脱走してテレビ台の下で埃まみれになっていたりする。チッチは小さいけれど落ち着いていて、小海老が好物だ。妻が毎日水浴びをさせてやっていて、嬉しそうに泳ぐ。
 メダカは去年の秋に10匹ぐらいでやって来た。その後2回卵がかえって、今は20匹ぐらいになっている。身体が透き通っていて綺麗だ。
 ベランダに面した日の当たるところで、カメもメダカも気持ちが良さそうだ。
 次は、社会科学部の有馬先生にバトンタッチ!

(2002年4月18日掲載)


「音楽は魔物」


商学部 矢内 義顕

 昨年の11月末、高校時代の友人が所属する立川管弦楽団の定期演奏会に行った。そこで久しぶりに会った別の友人に、「お前、クラッシックの趣味あったっけ?」と尋ねられた。

 そう言われてみると、確かに…。この質問をした友人も、演奏会でオーボエを熱演した友人も、高校生のときからクラッシック好きだった。

 早稲田大学に入学し、古典語を噛り始めたとき、私の先生は授業の最初に「君は酒を飲むか?」と尋ねられた。「少しは…」と答えると、「飲んでもいいが、帰ったら必ず本を読みなさい」とおっしゃった。以後、そのお言葉に従って、今日に至っている。さらに「音楽は聴くか?」と尋ねられた。同じく「少しは」と答えると、「音楽は魔物だ、気をつけなさい」と言われた。

 その先生は大の音楽好きであった。ヨーロッパ中世の哲学を勉強しようと心に決め、中世関係の書物を読み漁り、中世音楽も聴きはじめた頃だった。しかし、先生のおっしゃる意味は分からなかった。

 何年か後、たまたま手に入れたバッハの『ミサ曲ロ単調』を聴いていたら、突然、言いようもない感動に襲われた。「音楽は魔物だ」という言葉が少し分かった気がした。

 それから、年末は『クリスマス・オラトリオ』、復活節は『マタイ受難曲』『ヨハネ受難曲』、そして教会暦に従って『カンタータ』を聴くことが年中行事になった。

 私が音楽を聴きはじめた頃は、レコード盤からCDへと移行していく時期であった。これだったら置き場所に困ることはないだろうと思っていたが、最近そうでもなくなってきた。

前回の澤田先生から、「次は矢内さん、お願い」と言われて、気軽に引き受けたものの、これといった趣味もないと思っていたので、何を書こうか迷った。私にとって「刺激剤」なのか、「鎮静剤」なのかは分からないが、これが私の趣味らしい趣味なのだろう。

次は、商学部の渡邊展也先生にバトンタッチします。

(2002年4月11日掲載)