先輩に乾杯!

早稲田の中で育つ音楽魂! プロ指揮者として活躍する
野崎 知之さん

タクトを振る野崎知之さん
■のざき・ともゆき
 1971年東京都生まれ。94年早稲田大学教育学部数学専修(伊藤隆一教授ゼミ)を卒業後、桐朋学園大学に進学、同大学卒業、研究科修了。19歳のとき早稲田大学交響楽団(ワセオケ)でチェロ、22歳のときコントラバス、桐朋学園大学入学後に指揮を始める。桐朋学園大学在学中からコントラバス奏者として、都内のプロ・オーケストラの演奏会に出演。指揮者としては、98、99年、ハンガリー国際ラバフェスティバルで2年連続指揮ワークショップの修了演奏会でルーマニア国立ディヌ・リパッティ・フィルを指揮。2000年2月、ルーマニア国立ブラショフ・フィルを指揮。2001年9月イタリア・ペスカーラで行われた第6回マリオグゼッラ国際指揮者コンクールに入賞など。
 早稲田に音楽科・芸術科はないが、早稲田出の音楽家は多い。30歳で国際指揮者コンクール入賞、と聞くと、お金持ちの音楽家筋の出身で幼児から英才教育を受けた音楽エリートを想像しがち。でも、「サラブレッド」や「神童」じゃなくたって、能力と志の深さでプロの音楽家としての道を開いていけるのだ。

<ここでやらなきゃやるときはない! 家に負担はかけられないと、アルバイトで学費を稼いで、音大に進学>
 穏やかな人柄の内に秘めた芯の強さと情熱。「いい音楽の中に入ったときに得られるブルブル震えるような感動を伝えていきたい」。音楽の道へ進むことはごく自然な結論だった。サラリーマン家庭で、両親も特別音楽に関心が高かったわけではない。周囲は再考を促したが、「ここでやらなきゃやるときはない。ただ、私大理系に進学し、さらに音大では家も苦しいのは分かっていましたから、学費は自分の力でと、アルバイトで稼ぎました」。加えて、指揮者として、演奏家として、プロとしてやっていくために何をすればよいか、さまざまな人に相談。桐朋学園大学音楽学部演奏学科(コントラバス専攻)へ進学した。

<やりたいことができる幸せ。壁を1つ乗り越えれば、また次の壁がある。音楽の道では壁があり続ける状態が正常なんだ>
 音大に入学後、コントラバスの練習と並行して、指揮も始める。講義、個人レッスン、合奏などを通して技量を磨く傍ら、プロのオーケストラに参加するように。「コントラバスは音大への進学を決めた頃に始め、1年経たないうちにプロの舞台で弾いてました」。何気なく言ってのけるが、人並みはずれた努力があってこそ。

<自称「音楽家」は簡単だが、生活できて初めてプロフェッショナル。収入の半分以上は将来への投資>
 指揮者にとって指揮棒の振り方よりもどんな音を作るか自分の中に醸成することが重要。「リハーサルや本番はもちろんですが、出版されている譜面は後世の人が手を加えていることもあるので、作曲当時の楽譜はどうなっていたか最新の研究成果を取り寄せて調べることなども重要なんです。そういう準備にかなりの時間を割いています。だから、比較的時間の都合はつけやすいかもしれないけど、自分でスケジュールを作ってやっていかねばならないし、トータルで考えると時間が全然足りないですね」
 日々の積み重ねが実力につながる。気になる収入は「なんとか食べていける程度。でも、人並みのことはできないかも。5〜6割は楽譜や資料の購入など5〜10年先への投資で消えてしまいますしね」。

<いつまでも追い求めること。絶えずインプットして糧にする。早稲田での出会いが、人間の幅を広げ、音楽にもつながる>
 「ヨーロッパ留学も考えたんですが、日本でできることをもう少しやってからでもいいんじゃないかと言われまして。でも、いずれは住んでみたいし、毎年必ず足を運びたい」。しかし、コンクールに行くとその時期は仕事を受けられず、収入はゼロ。かつ、現地での生活費もかかる。「入賞したら世間の評価は変わるかもしれませんが、自分の中の音楽が変わるわけではありません。ただ、次のチャンスへのきっかけになるとは思う。いずれにせよ、どういうところで指揮したいかを自分で選べる状況にありませんから、社会から与えられたポジションでベストを尽くし続けるだけです」

(2002年1月10日掲載)

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