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早稲田大学バレーボール部発祥の地の記念碑 建立

 現在の早稲田大学体育局バレーボール部は、1934年に、体育会公認の排球部となるまで、「早稲田奉仕園排球部」と呼称する任意団体で、1931年にスタートしたのである。
 その訳は、当時、入学生の中に極東選手権大会(現在のアジア大会)代表選手に選ばれている際立った学生がおり、その学生が中心となって、同好の士を集め部の創設に努力するが、最初の難題はコートの確保にあった。
 かかる時に、たまたま早稲田奉仕園の園長を務めていた宣教師ベニンホフ先生と接する機会があって、先生にコート事情を相談したところ、先生は学生達の情熱を理解し、また、学生達は先生の温情に感銘を受け、のちに奉仕園友愛学舎に入舎し生活を共にすることになった。余暇には、英会話、賛美歌、聖書などの指導をうけ、その傍ら奉仕園運動部員として、奉仕園バレーコートにて、ひたすら練習に励んだのである。これが「早稲田奉仕園排球部」の所以である。
 入学以来学生たちにとっては、この奉仕園時代の学生生活が、一番意義深かったようである。
 その後、排球部の活動は創部2年目にして早くも高専大会優勝、秋季大学リーグ戦準優勝の成績を収め、翌年の体育会バレーボール部公認年度に於いては、春季大学リーグ戦優勝、日本選手権準優勝、また翌々年には、関東秋季リーグ戦優勝、関東大学選手権優勝、日本選手権優勝という名実ともに日本一の王座を成し遂げ、なお引き続いての年次においても、常勝早稲田の勢いはとどまるところがなかった。
 このような、早稲田バレーの覇業は、やがて日本バレー界の中心的役割と、その発展に大きく貢献することになった。
 斯くして1931年に「早稲田奉仕園排球部」として門出したバレーボール部は、今年で70周年を迎えることになり、この記念行事に因み、このたび先輩の偉功を後世にとどめたく奉仕園構内に「早稲田大学バレーボール部発祥の地」の記念碑を建立することになった。
(バレーボール部OB 元高等学院教諭  杉山 信)
ウィークリーフラッシュ952 参照

(2001年12月6日掲載)