先輩に乾杯!

博士学位を取得して何故か美容師になった
石川 浩一 さん

石川 浩一さん
■いしかわ・こういち
1968年埼玉県生まれ。1988年4月人間科学部入学。1999年3月大学院人間科学研究科博士後期課程生命科学専攻修了。指導教授は小室輝昌教授。論文題目は「カハールの介在細胞の細胞組織学的研究」。同年4月美容専門学校入学、同時に都内の美容室で勤務を開始。今年10月免許取得、現在に至る。
 このコーナーに所謂エリートは不要。「小さい頃から成績優秀、何でも一番で挫折の経験ゼロ」なんて人は、多くの読者にとって「進路に迷った時の参考」にはならないからだ。だから「博士学位を持つ美容師さん」の情報も最初は「?」。若くして博士学位を取得すること自体が、「親族一同大騒ぎの自慢の息子」ではないか。余裕ついでにスタイリッシュなカリスマ美容師を目指すなら、トレンディードラマみたいで"臭い"。「チョー頭のいいキムタク」では困るのだが…。

〈人間科学部が、「生物」好きのプータローを救った!〉
 実際の石川氏は「キムタク」というよりも「アニマル悌団」のおさる似の顔で(失礼!)、一応茶髪だけれど雰囲気も都会的とは言いがたい(失礼失礼!)。でも、子供時代のあだ名は「博士」?「いいえ、小・中・高と成績は"オール3"程度。手先が不器用だったので図工は2でした」。エッ!?博士、そりゃないぜ。本物の博士がそんな成績だったなんて?いきなりの先制パンチ!!
 「目的もなく大学に行くのはイヤ」と、受験勉強もせず「偏差値50くらいの」高校を卒業。自分で納得しないと動かないという性格だが、英語はおもしろいから中学時代からラジオ講座の英会話だけは成績と関係なくずっと続けた。留学でもするかと、資金集めのバイト生活に。「留学先で何の勉強をするの? 英語だけじゃ無意味!」と高校の担任に言われヘコむ。道路工事のライト振り、お弁当仕分け、新聞配達などアルバイトを転々とし、稼いだお金は使い切る まさにプータロー生活2年目の秋、さすがに将来何も見えないぞと、大学受験を考えた。その時、子供の頃から動物好きの「生物」好きだったのを思い出す。文系でも「生物」ができ、受験科目も「英・国・小論」ならイケる!と、家の近くの人間科学部を受験し運良く合格できたのだ。

〈中途半端じゃやめられない! 結局は博士課程修了まで〉
 大学はおもしろかった。学部時代は、いいかげんなサークルでよく遊び、塾で教える楽しさも味わった。研究室にもはまって修士進学を決意。大学院時代は「ひたすら大変」で遊ぶ暇もバイトする時間もなかったけれど「研究を中途半端で終える気になれなくて」博士課程に進学。動物の解剖と膨大な量の組織標本作成作業の連続で、たまに会心作を顕微鏡で見てその美しさに見とれるのが唯一の楽しみ。「研究者に必要な資質は、その学問に対する情熱とひたすらの忍耐力です」

〈博士学位を取得して何で美容師に? 指導教授は大反対!〉
 美容師になったきっかけは「おまえは美容師にむいている」という知人の言葉。それまで床屋派の地味な石川氏には思いもよらない一言。ちょうど進路を決める時で、「人と直接かかわる仕事がしたい」「このへんで大きな軌道修正をしたい」という漠然とした気持ちが刺激された!人生は意外と何気ない一言で決まるものなのだ。しかし、これまでの研究活動が全く生かされない生活に指導教授は弟子の行く末を案じて大反対。「将来は独立して店を人に任せ、僕は何か人の役に立つ仕事をしたい。研究生活は老後の楽しみに取っておきます」

〈後輩に一言〉
 僕の職業観を一言でいうと「なにをやっても大変。ブルーカラーでもホワイトカラーでも同じ」。僕の場合、高校卒業後すぐに美容師をめざしていたら、大学で学びたいとか、もっと遊びたいなどとすぐに挫折していたでしょう。学生生活で養った多少の忍耐力と世の中への理解力といろいろ遊んだ満足感で、嫌なことにもくじけずにここまできた。学生生活10年間のどの1年も大切でした。
 美容師はサービス業なので、他人と、どうつき合えばいいのか分からない人や少し対人恐怖症的な人にもオススメです。客の欲求に応えるという点で"命令遂行能力"を高めるのに適した仕事です。

(2001年11月22日掲載)

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