先輩に乾杯!

弓道家にして理工学部数学科出身の落語家
林家 久蔵 こと 木村 朋幸 さん

林家久蔵こと木村朋幸さん
はやしや・きゅうぞう
1969年東京生まれ。1992年3月理工学部数学科卒業。室谷義昭研究室で卒論指導を受ける。同年4月林家木久蔵師匠の門下に。1995年11月二ツ目昇進。現在、都内の寄席をはじめ、全国各地の地方自治体主催の落語会などで高座を務める。明るい語り口が人気の新進気鋭の落語家である。
 どんな世界でも早稲田を出ただけでは一人前にはなれない。しかし、今回は学歴が全く役に立たず「早稲田出」を利用もできない世界にあえて飛びこんだ先輩を紹介する。近頃徐々に増えてきた「早稲田出の落語家」で現在二ツ目の林家久蔵こと木村朋幸さんである。生来の「コミュニケーション好き」の明るい性格と、気配り上手の芸熱心とくれば、近い将来きっと名を成すだろう。しかし有名になることより、「自分らしく生きる」とはどういうことか、久蔵兄(あに)さんの生き方は教えてくれる。


<難関「吉本オーディション」合格。バブリー就職はもォいらない!>
 10年前はまだバブル景気が続いていて、就職環境も今とは大違い。体育会幹部出身者なら「いきなり役員面接」、さらに理工学部出身者だったら「最初から最終面接」、その上に座持ち上手の宴会部長とくれば「いつでもどうぞ」という完全売り手市場だった。そんな時代に、弓道部の武道家にして名だたる宴会部長だった木村青年は、理工学部数学科をなんとか卒業し、小学生からの夢を実現すべく林家木久蔵師匠の弟子となったのである。きっかけは4年の夏、当時東京進出を狙い始めた「吉本新喜劇」のオーディションで、120人の強豪を押さえ、ただ一人合格を果たしたのだ。結局、東京人では言葉のハンディーがあると自ら辞退。しかし、これで「この世界でイケる」と確信。就職活動はキッパリやめた。周囲の反対にも迷うことはなかった。

<大原則!「やめろ」と言われて迷うなら、やめなさい!>
 子供の頃からのクラスの人気者は「落語家になる」と周囲に明言していた。しかし現実は、落語家の家にでも育たない限り、いざとなれば親も周囲も慌てる。「大学だけは卒業して」と迫り、「あれは単なる子供の夢じゃなかったの?」と。自分でも「後輩が相談に来たら『やめろ』と言います。経済的不安定を始め厳しい理由をいくらでも付けて」と言い切る。学歴・学閥に頼れない芸人、ミュージシャン、小説家等の「純粋個人営業」の志望者だけでなく、この原則は、人生の岐路に立っている誰にでも当てはまる。転職、進学、結婚等で、周囲の反対にもめげず「百も承知で」そちら側を選んだ時、これはもォ自己責任だ。自分の選択を、他人や時代のせいにはできないのだよ。

<将来儲かったら寒稽古用「早稲田の弓道場」を再建する!>
 早稲田を愛してやまない久蔵兄さんは、「指導教授・室谷先生、むりやり卒業させていただき感謝します。親孝行できました。小島順先生、単位をお情けでくださりありがとうございます。学院の浅沼先生の話し方を聞いて噺家になろうと決めました」と、ヨイショを忘れない。更に「故・稲垣先生、教えを守って、今でも弓を引き続けています」。そして「早稲田の弓道場、古式ゆかしくカッコ良かった! 授業の合間でも行けたし…。東伏見は屋内で冬でも暖かく"寒稽古"にならない。将来、稼げるようになったら、我が町・早稲田に昔の弓道場を再建したい!」

<シャレの世界では水を得た魚、芸熱心な人間好き噺家だ>
 噺家はシャレの世界に生きている。シャレがキツそうな「上下関係」も、「人や場を読めれば簡単です」と笑う。一般人には「?!」の楽屋オチも、分からないのはヤボで「シャレ」が通じれば粋(いき)になる。「人が好きなんで、仲間といると楽しくてしょうがない」が、「どうやって自分らしさを芸に出していくか、どんなに稽古を重ねてもいつも悩み続けています」
 粋な世界では、努力・根性・汗・涙が目に付くのを嫌う。「悲しくても噺家なら泣かず、笑いでシャレのめすほうがかえって深い悲しみが伝わります。悲しみが深いほどテンションは上がります。きっと明日は明るい葬儀になりますよ。本当にショックが大きかったですから…」。翌日は彼も所属する落語協会の副会長、大看板「古今亭志ん朝」の通夜だった。

(2001年10月25日掲載)

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