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シリーズ・アイルランド紀行<3回連載>
第2回 植民地のなごり
文学部教授 虎岩正純

虎岩正純教授は本学文学研究科出身。学部時代はT.S.エリオットを中心とするイギリスのモダニストに専ら集中した。1973年から75年にかけてイギリスに在外研究員として滞在したとき、周縁から中心を見ることを学んだという。今の関心事はポストコロニアリズムの視点から植民者の文化を見直すことである。現在、アイルランド文化研究所の所長を務めている。
※今回のシリーズは、テーマカレッジ担当教員(アイルランド文化研究所の研究員)がリレー形式で執筆している。


モハの断崖
▲モハの断崖
アイルランド人は美しい土地を取った
 アイルランドはイギリスの植民地だった。この認識がアイルランド理解のさしあたりの原点でなければならない。独立して100年も経っていない、ヨーロッパのなかでも古い文化を持っていた民族だけれど、ヨーロッパで一番若いと言っていい国家。「国をどう立て直していくか」が、いまだに問い続けられている古くて新しい国。大英帝国という植民主義国家の植民地だった国にみられるどうしようもない構造的な貧困がいたるところに見られ、それが時間や空間のゆがみを与え、そしてそのゆがみがアイルランドをロマンティックに見せている。貧困と不毛は美しいのだ。元アイルランド大使のシャーキーさんはかつて自嘲的に、イングランド人は豊かな土地を取り、アイルランド人は美しい土地を取った、と言って笑っていたことがあった。モハの断崖、バレン地方の白い岩だらけの凄絶な風景、それらは不毛であるがゆえに美しい。なにも産まない土地は飢饉の記憶と結びついてもいるのだ。
 わたしが毎年のようにアイルランドへ行くのは、詩人のシェイマス・ヒーニーやポール・ダーカンたちと会うということもあるが、アイルランドの底のほうに澱んでいる貧困に身体的に触れて確かめたいと思っているからではないか、と思いはじめている。それは、植民地主義がどのように土地を奪い、言語を奪い、富を奪ったか、を確かめることである。

英語を話す娘たち
 ゲールタハトというゲール語しか話せない人々が住んでいると言われる地域がある。とくにそこを目指していたわけではなくて、バイキングの襲撃に耐えながら、修道僧たちが石の室を作りそこでキリスト教信仰を守った岩山の孤島スケリッグに上陸したくて、船着場のあるちっぽけな港町ポートマギーを目指していたときのことだった。大都市間はあっという間に走破できるが田舎道は曲がりくねっていて、地図の感覚と合わない。迷ったかもしれないと思い、山道を歩いている3人の娘さんたちに声をかけて道を尋ねた。そのあたりはゲールタハトだから英語が通じないかも知れない、と思いながら、悪戦苦闘するこちらのさまを思い浮かべながら待ち受けていると、おろしたての未使用の銀行券のような、クリスタルのように明晰な英語が返ってきた。はじめはイングランドからの旅行者かと思ったが、ローカルな土地感覚をもったゲールタハトのお嬢さんたちだった。言語は宗教とともに植民主義の最大の武器であるが、英語は共和国最後の砦のようなゲール語使用地区にも侵入をはたしている。アイルランドの憲法でゲール語は第一公用語と定められているのである。ゲール語教育も熱心だし、放送でもゲール語の時間を設けていたりもするが、現実にはゲール語使用者の数は5%未満といわれている。

ゲール語で書かれた標識
▲ゲール語で書かれた標識
Made in England
 こうした理想と現実のアイロニカルな関係は、いたるところに見える。共和国の道路標識は公用語のゲール語と英語が併記されているが、ゲールタハトにはいると標識から英語が消え、ゲール語だけになる。土地の人たちは標識などなくても動けるのに、外から来た不案内の人たちはゲール語が読めないという滑稽な状況がある。貧しい町村を貫いて建設が進む道路ばかりがピカピカで、そのくせ、農作物以外のありとあらゆるものを外国から買いこんで生活している。小学生の物差しにも三角定規にもビスケットにも Made in England の印があって、普段使うものくらい自分で作れよ、と言いたくなるが、自立できなくなるようにするのが植民主義の本義であり、アイルランドはその構造からあるいは意識からまだ抜け出していない。「イングランドの困難はアイルランドの好機」という言葉があるが、そのくせ、よくも悪くも、どこかでイングランドに大きく依存しているような気がしてならない。自国語になってしまった英語の辞書を一冊も自分たちの手で編纂したことがない、などはその最たる例である。どのように自立していくか、まだ答えがでていない。

次回は及川和夫教育学部助教授


(2001年10月11日掲載)

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