シリーズ・旅

シリーズ・アイルランド紀行<3回連載>
第1回 北アイルランドの夏
政治経済学部教授 三神 弘子

 三神弘子教授は本学文学研究科修了後に、ダブリンのトリニティ・カレッジに留学した経験を持つ。専門はアイルランド文学、特に現代アイルランド演劇。政治経済学部で、英語、教養演習「アイルランド入門」を、この春よりテーマカレッジ「アイルランドの文化」でアイルランド演劇、映画をテーマにした演習を担当している。  今回のシリーズは、テーマカレッジ担当教員(アイルランド文化研究所の研究員)がリレー形式で執筆する。



デリーのマーチの様子

これがランベグドラム
アイルランドとは
 ブリテン島の西に位置するアイルランド島は、国境線によって南のアイルランド共和国と連合王国に属する北アイルランドに分割されている。北アイルランドにおけるユニオニスト(プロテスタント系住民)と少数派ナショナリスト(カトリック系住民)の対立は根深いものがあり、1999年12月の自治政府発足後も、IRA(アイルランド共和軍)の武装解除をめぐって和平交渉は一進一退を繰り返している。

マーチの季節
 その北アイルランドの夏は、マーチの季節だと言われる。夏の間中、北アイルランドの通りからは、ユニオニストたちの行進には欠かせないランベグドラムという太鼓 と笛の音が聞こえてくる。彼らの間で、特に重要だと見なされているのが、7月12日に行われる、ボイン川でのウィリアム3世の戦勝を記念したパレードと、8月12日に行われる、城壁都市デリーでジェイムズ2世の圧力に屈することなく籠城を続けたアプレンティス・ボーイズの解放を記念したパレードである。
北アイルランドのユニオニストたちは、17世紀末に起こった二つの歴史的事件(デリーの籠城が1689年、ボイン川の戦いが1690年)を、まるで昨日の出来事のように記憶している。デリー籠城の際のスローガン「No Surrender」が示す不屈の精神は、ボイン川の戦いに象徴される勝利へと彼らを導くと考えられているのである。

8月11日 デリー
アプレンティス・ボーイズのパレードは毎年8月12日にもっとも近い土曜日におこなわれるが、今年は11日だった。丁度その頃デリーに滞在していたため、パレードをじっくり観察することができた。毎年、必ずといって起こる宗派間の衝突を避けるため、今年は、両派の代表による事前の話し合いが持たれ、プロテスタント側は特定のカトリック地域を避けて行進すること、カトリック側も不要な挑発は行わないことを互いに確認した上で当日を迎えた。幸い何事もなく、無事に1日は終わったが、それでも、通りの要所要所には、警官が緊張した面もちで立ち、いつ起こっても不思議ではない小競り合いに備えていた。

ランベグドラムの音色
アプレンティス・ボーイズの名を冠した組織はアルスター各地にあり、メンバーたちはマーチに参加するため、遠方からは貸し切りバスに乗ってデリーに結集する。マーチは、それぞれの支部の旗を掲げた旗手に始まり、ランベグドラム、笛の一団、黒服に山高帽で正装した男たちと続き、整然と進んでいく。コミュニティーで一番「マッチョ」な鼓手が力まかせにたたくドラムは、最高で120デシベルに達すると言われ、彼らの高揚感をいや増していく(ドラムの皮はしょっちゅう破れるので、すぐに修理ができるよう、鼓手の脇には張り替え用の皮二枚を捧げ持った少年が2人従っているほどである)。これを、プロテスタント、ユニオニストの文化、祭りなのだと言う彼らの主張も分からないではない。しかし、ランベグドラムの音はやはり威嚇的である。部外者の私でも脅威を感じる程であるから、カトリック系の人々が不快感を覚え、パレードを心穏やかに見ることができないのは無理からぬ気もする。1つの太鼓の音色がこのように違って聞こえるということが、アルスターの現実を物語っている。

観光と北アイルランド
 一方ここ数年、伝統的な編成に加え、17世紀当時の扮装をした人々がマーチに参加するようになった。これは紛争のイメージをできる限り払拭し、観光客を楽しませようと意図した結果だと言われる。実際、地元の人々に混じってかなりの数の観光客がパレードを見物していた。(もちろん、私もその一人)。しかし、観光客の多くは、歴史的ページェントを見るためにデリーにやってきたのではない。彼らが見たいのは、紛争という背景を持つマーチなのだ。皮肉なことに、紛争そのものが観光資源となり、確実に北アイルランドへと観光客を惹きつけている。

次回は虎岩正純文学部教授


(2001年10月4日掲載)