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2001年度後期分 目次



美術展評 「フランス王家3人の貴婦人の物語展」

 先日、伊勢丹美術館で11月13日〜11月18日まで開催された『フランス王家3人の貴婦人の物語展』を見に行った。この展覧会は、封建的な男社会の中でそれぞれの生涯を生き抜いた、ルイ15世の妾という身分でありながら当時の影の権力者であったポンパデュール夫人、ルイ16世の妃であり最後は断頭台の露と消えたマリーアントワネット、そしてナポレオンの愛妃ジョセフィーヌの3人の女性の生きざまと彼女たちが生きた時代背景とにスポットを当てたものである。

 展示品は絵画から家具、彼女たちが着飾った衣服、香水瓶や化粧道具といった身の回りの品々と多岐にわたり、それらから彼女たちの豪華絢爛な生活が思いおこされ大変興味深いものであった。しかし同時にマリーアントワネットの遺書や遺髪などの展示からは、きらびやかな生活だけではなかった波乱万丈な人生をも垣間見ることができるのであった。

 この展覧会が非常に印象深いものとなったのは、私がフランスを訪れてから初めて目にした展覧会であったからだろう。第2外国語でフランス語を選択したことや、将来美術史を選考しようと考えてることなどが相重なって、以前から多くの芸術家が愛したフランスの地を訪れてみたいという願望があり、それを実現したのが今年の夏休みであった。美術品などを鑑賞する上で、描かれた光景を実際自分の目で見、訪れているとそれまでの自分には見えなかったものが見えてくる。旅で得た収穫は予想以上に大きいものであった。

 ところでこの伊勢丹美術館はまことに残念なことに、今年の3月をもって閉館するそうだ。伊勢丹美術館の他にも、小田急美術館や3越美術館が閉館したのも記憶に新しい。デパートに併設されている美術館は買い物がてらに気軽に立ち寄ることができ、よく利用していたので実に残念である。不況の中、こういった施設を存続させるにはたくさんの苦労があると思うが、私たちの心を豊かにしてくれる文化施設を守っていきたいものである。
(第一文学部1年 落合朋子)

(2002年1月17日掲載)


フリートーク「フランス人に対する新たなイメージ」

 日本人のフランス人に対するイメージはかなり偏っていると思う。本稿では私が見たフランス人の知られざる面を知ってほしい。これは私がフランス留学した際、述べ10人(男性4人、女性6人)のフランス人とルームシェアリングをして得た体験に基づく。フランス人は以下の3点が特徴的である。
(1)柔軟、(2)優しい、(3)きれい好きではない

(1)柔軟
 手巻き寿司をルームメイトに作ってあげたとき、4人中2人は海苔が苦手であった。そこで彼らは青菜を海苔の代わりにして、具を巻いて食べていた。
 もう1つはバス停で、回送バスに手を挙げて停め(バスの運転手もよく停まったと思うが)運転手に交渉して近くまで乗せていってもらう。
 以上のように何事にも型にはまらない柔軟さを彼らは持ち合わせているのに感心した次第である。

(2)優しい
 フランス人は、人助けすることに満足感を得る人が多い。例えば、ルームメイトの家族の家に泊めてもらい、帰りは私が1人で帰る時である。ルームメイトの中学生の妹が、朝いちでバゲットを買ってきて、サンドイッチを作って持たせてくれた。
 また、帰国前に大きな荷物を郵便局に運び込もうとしたら、近くにいた見ず知らずの中学生3人が「手伝いましょうか?」と声をかけてくれる。中学生でもこんなに優しい心を持っている。

(3)きれい好きではない
 ルームメイト10人中8人は日本人の感覚から見るときれい好きでないように思われた。例えば、シャワーは毎日浴びるが、5分で終わる。食器は洗剤をつけないで洗う。テーブルの上はいつもタバコの吸殻だらけ。また吸殻をコーヒーカップに入れたりする。野菜も果物も水洗いせずに食べる事が多い。
 早稲田のある教授はこう言っていた。
「被災地など(清潔でない環境)にボランティアで行って最後まで元気に援助活動しているのはフランス人だ」
 もし機会があればフランス人と生活を共にして新たなフランス人のイメージを発見してもらいたい。

(アジア太平洋研究科国際経営学専攻博士課程2年 内田 亨)

(2001年12月13日掲載)


早稲田大学バレーボール部発祥の地の記念碑 建立

 現在の早稲田大学体育局バレーボール部は、1934年に、体育会公認の排球部となるまで、「早稲田奉仕園排球部」と呼称する任意団体で、1931年にスタートしたのである。
 その訳は、当時、入学生の中に極東選手権大会(現在のアジア大会)代表選手に選ばれている際立った学生がおり、その学生が中心となって、同好の士を集め部の創設に努力するが、最初の難題はコートの確保にあった。
 かかる時に、たまたま早稲田奉仕園の園長を務めていた宣教師ベニンホフ先生と接する機会があって、先生にコート事情を相談したところ、先生は学生達の情熱を理解し、また、学生達は先生の温情に感銘を受け、のちに奉仕園友愛学舎に入舎し生活を共にすることになった。余暇には、英会話、賛美歌、聖書などの指導をうけ、その傍ら奉仕園運動部員として、奉仕園バレーコートにて、ひたすら練習に励んだのである。これが「早稲田奉仕園排球部」の所以である。
 入学以来学生たちにとっては、この奉仕園時代の学生生活が、一番意義深かったようである。
 その後、排球部の活動は創部2年目にして早くも高専大会優勝、秋季大学リーグ戦準優勝の成績を収め、翌年の体育会バレーボール部公認年度に於いては、春季大学リーグ戦優勝、日本選手権準優勝、また翌々年には、関東秋季リーグ戦優勝、関東大学選手権優勝、日本選手権優勝という名実ともに日本一の王座を成し遂げ、なお引き続いての年次においても、常勝早稲田の勢いはとどまるところがなかった。
 このような、早稲田バレーの覇業は、やがて日本バレー界の中心的役割と、その発展に大きく貢献することになった。
 斯くして1931年に「早稲田奉仕園排球部」として門出したバレーボール部は、今年で70周年を迎えることになり、この記念行事に因み、このたび先輩の偉功を後世にとどめたく奉仕園構内に「早稲田大学バレーボール部発祥の地」の記念碑を建立することになった。
(バレーボール部OB 元高等学院教諭  杉山 信)
ウィークリーフラッシュ952 参照

(2001年12月6日掲載)


■ フリートーク「記録」

 最も速く走る家具は、エド・チャイナとデビット・ダヴェンボードが特注して作ったソファー型の車「カジュアルソファー」で、最高速度140kmで走る。ケン・エドワーズは1分間で24匹のゴキブリを食べた。アルフレッド・ウェストは1本の人間の髪の毛を17回裂いて18本にするという離れ業を8度も成功させた。世の中にはさまざまな記録がある。これらは『ギネスブック2001』による。

 来年3月に退職される伊藤順藏先生は、早稲田大学校歌を公式に歌った回数が、とてつもなく多い。学生時代、教員時代合わせて約50年間在籍していたうちの30年間を応援部部長として過ごされた。入学式、卒業式、応援部の合宿、六大学野球やその他のスポーツなどを合わせて計算すると2,800回近く歌っていることになる。正確に数えたならば、おそらくそれ以上だろう。ギネスブックものである。

 アメリカ留学中に日本の新聞を読んでいると、「日本語が読めるとはすごい」と驚かれた伊藤先生。その日本人離れした風貌は、彫りが深く、威あって猛からず、泰然とされている。70歳を過ぎた今も、よく食べよく飲み元気ハツラツだ。

 先日、私も伊藤先生よろしく元気ハツラツに飲食していたところ、元応援部主将・宮沢里志さん(1992年商卒)と知り合った。その宮沢さんに伊藤先生の魅力を熱く語られ、改めてその人望の篤さに驚いた。

 皆に愛され、惜しまれながらも退職される伊藤先生に拍手を送りたい。

 ちなみに、最も長い拍手は、ウィーン国立歌劇場での「オテッロ」演奏後の1時間20分である。伊藤先生への拍手は、それに負けず劣らず行いたい。

※伊藤順藏先生…1931年長野県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。現在人間科学部教授で、バスケットボールを教えられている。
(ニ文2年 本間裕人)

(2001年11月29日掲載)


書評 『セカンド・ライン』 重松清 著 朝日新聞社 定価本体1,400円+税

 「エビスくん。会いたいな、ほんま、ごっつ会いたいわ。どこにおんねや、君はいま」(新潮文庫『ナイフ』所収)

 重松清は、泣かせる作家である。彼は、緻密にもその術を心得ている。それは、月産700枚のフリーライター時代を経て「作家」になった技術の結晶でもある。文章をカネにすることを生業としてきた重松にとっては、感動させてナンボといった感じなのであろう。

 この『セカンド・ライン』を読まれれば、重松独特の「泣かせる」世界の底辺には、彼自身の逃れられない「泣けない」世界が横たわっていたことに読者は気づくに違いない。しかし、さまざまな逃れられない現実を少しずつ乗り越えて、重松は文章を書いてきた。だからこそ、温かみのあるものを書けるし、彼は常に読者の側に立っている。

 重松は早大時代、「怠惰な学生だった」と述べている。しかし、大学三年から『早稲田文学』の編集に携わるようになったことを転機として、彼の人生は変わっていく。今までの「中途半端」な学生からの脱皮である。しかし、重松自身は、「中途半端」であることを否定的に捉えていない。むしろ、作品中には、積極的に「中途半端」な存在が肯定的に描かれる。それは、40歳を目前にして、ようやく中途半端な過去の自分を認めることのできた結果なのであろう。中途半端な存在に媚びるでもなく、見捨てるわけでもない。そんな重松の初のエッセイ集が朝日新聞社より刊行された。重松清の名前を知らない人も、一度手にとって読んでいただきたい一冊である。
(政治経済学部一年 廣井彰人)

(2001年11月22日掲載)


10月歌舞伎『大願成就 殿下茶屋聚(たいがんじょうじゅ てんがちゃやむら)』を鑑賞して

 早稲田ウィークリーと国立劇場の共同企画による歌舞伎公演無料招待で、10月25日の「大願成就 殿下茶屋聚」を見た。これは慶長14年にあった実際の仇討ちを脚色した芝居である。
 仇討ちという極めてドラマチックなテーマに加えて、父親を殺害された主人に伴い仇討ちに出た召使が、敵側に寝返り、なんと主人を殺したり金を奪ったりと悪の限りを尽くすという物語である。
 もともと歌舞伎では残酷さや陰惨さを美しく見せるという様式美があり、主役の吉右衛門は軽薄・残忍・無節操でありながらどこか小心で人の良い小悪党という役柄を見事に演じていた。
 仇討ちを遂げ「めでたし、めでたし」という幕切れはやはり、当時の庶民の拍手喝采で終わったことであろう。今回はほとんど全幕の通し狂言であり、ともすると分かりにくくなる筋書きを良く理解することができた。最後は主要人物勢揃いの上、大願成就の悦びを国立劇場開場35周年のお祝いに転じて、めでたく幕を引くという明るい終わり方も印象的であった。
 私は歌舞伎座には結構通っているが、国立劇場で歌舞伎を見るのは初めてであった。歌舞伎座では普通、芝居の見せ場の幕をいくつか上演するというハイライトのプログラムが多いが国立劇場では「通し」という物語全部を上演する方式が多いようである。そのため歌舞伎座には一幕見席という、一幕だけさっと見る席が用意されており、前売り券を買うことなく、ふらりと行って見ることができ、とても便利なので私もずいぶんと利用している。でもじっくりと物語を楽しむためには、やはり通し公演が良いと思う。
 今回の席は2階の中央で舞台全体と花道がよく見え、せりふもはっきり聞こえ、とても良かった。良い企画を立てていただき大感謝である。今後もこのような企画を続けていってほしい。
(第二文学部思想宗教系専修1年 河合 勝美)

(2001年11月15日掲載)


書評
「死の起源 遺伝子からの問いかけ」田沼靖一著
「遺伝子vsミーム」佐倉統著

 人は困難に直面し挫折した時、押しつぶされそうな時、究極の問題に突き当たる。

 人はなぜ存在するのか?何のために生きるのか?人類の祖先も常に問うてきた問題だ。

 そんな疑問の一つにサイエンスで答えようとしている本が、「死の起源 遺伝子からの問いかけ」である。死は全ての人に来る、避けられないものである。しかし、死は遺伝子にプログラムされているという。つまり、人は死ぬべくして死ぬのだ。

 では、なぜ死ぬようにプログラムされているのか?

 著者によると、「進化のため」ということらしい。「進化とは何か?」と言われてもよくわからないが、進化とは熱力学第二法則、つまりエントロピー増大の法則に従っているということなのか?いずれにせよ、人間は進化の過程の通過点に過ぎないとなってしまう。

 これではあまりにも寂しい。トルストイは「人間はなぜ存在するのかは考えてはいけない。どうやって生きるかを考えるべきだ」と言っている。

 先人の洞察力には脱帽する。個人的には「人間は幸せになるために生きる」と考えている。「何をもって幸せとするのか?」それは各人に与えられたテーマとしよう。

 さて、人間は遺伝子に支配されているとはいえ、近年、自らの遺伝子をも書き換えられるようになった。人類の英知は遺伝子の支配をも凌駕しつつある。このような現象を考慮している本が「遺伝子vsミーム」である。ミームとは文化的情報の伝達単位と定義される。簡単に言うと遺伝子によらず次世代へと受け継がれていく英知といったところか。人間は遺伝子とこのミームという二つの乗り物と捉えらえられている。「人間を単なる遺伝子の乗り物でないとしたとき、人間観はどのように変わるのか」ということが書かれている。ミームの観点からすると、人類はどこへ向かうのか? 世界はどうなるのか? 困難に直面しても揺るがない自分の哲学を形成する上で、一度熟考してみてはどうだろう。

(理工学部応用物理学科助手 蒲澤 和也)

(2001年11月8日掲載)


フリートーク 「蟻の哲学」
―五百井先生!ありがとう。忘れません先生の教え―

 日本の友達から「五百井(いおい)先生が体調を崩され、病院へ運ばれる途中に亡くなられた」という知らせがあった。昨年夏の終わり頃に日本から帰ったばかりの私に、この知らせは驚くばかりで信じられなかった。先生が病気を患っていることは知っていたが、普段の授業での先生は元気一杯で、病気であるようにはまったく見えなかったのだ。

 私は数年間の社会人経験を経た後、自分の知識不足を実感して、会社の休職制度を利用し、日本の早稲田大学大学院へ進学した。留学の目的は、海外での生活を通して自分の生活視野を広げることと、これを機に自分の考え方を見直すことであった。

 大学院では、五百井先生の「ビジネス思考法と構築」というゼミで学び、卒業前には博士課程への進学を悩んでいた。先生は私の過去を詳しく知らないので、適切な答えは出せないとおっしゃったが、先生の理論である「四層構造」と「因果連鎖図」を用いて私の悩みを分析してくれた。

 「人生は蟻と同じように、歩いては立ち止まり、次の行き先を考えるものである」
 物事に対して決定を下すとき、覚えておかなければならないのは、まず進む方向を決め、次にそれを達成する方法を考えるということだ。

 目標を決めてから実行に移し、問題にぶつかったら他の方法を考え、再出発するのである。そのためには、常に自分の思考力、挑戦力と行動力を養わなければならない。この理論は私の仕事復帰に大きなヒントを与えてくれた。

 先生はもういなくなってしまったが、彼の大きな髭、明るい笑顔、そして彼の話は依然として私の心に残っている。

追伸…人差し指と中指を使って、蟻が歩く姿を表現して説明してくださった先生の姿が、今でも記憶に残っています。忘れられません。

2000年3月アジア太平洋研究科修了生 張立貞

※原文は、台湾「自由時報」2001年2月19日に掲載された。
※五百井清右衛門教授、昭和34年早稲田大学生産研究所(現、アジア太平洋研究センター)嘱任、平成12年11月15日逝去。

(2001年11月1日掲載)


書評『使いみちのない風景』 文・村上春樹 写真・稲越功一
中央公論社 定価本体514円

 我々は日々さまざまな風景を目にする。そして、自分の目から脳に入っていく数知れぬ風景のいくつかを「心」という部位に流し込み、蓄えておく。「心」に訴えかける風景は人それぞれ違うわけだが、その風景はその人にとって何らかの理由でその人の潜在意識への刺激となっているはずである。

 現在、カメラという便利だがどこか無愛想な機械が存在し、我々は大いにその恩恵を受けている。しかし、我々が生きていく中で我々が「美しい」だとか「珍しい」だとかの理由で撮る写真の中で果たして何枚がそれをそっくりそのまま後の自分に伝えてくれるのだろうか。例えば、大隈講堂の写真。自分が、受験で早稲田に来て不安な気持ちで大隈講堂の写真を撮ったとする。そしてその後無事早稲田に合格でき、歓喜と感動を胸に大隈講堂を撮ったとする。この2枚の大隈講堂も写真となった以上全く均一な「大隈講堂」なのである。写真は少なくともその時の気温や、そのときの撮り手の心の内までも写しとってはいない。思うに、写真というものは、撮った時の自身の心情を思い出すきっかけとはなるものの、撮った時の心情をそのまま描き写し出す程すぐれた紙切れではないのである。アルバムに挟まった写真を見て、感慨にふけったり、思い出に浸るときというのは、写真というスイッチによって開かれた「心」の中の扉の中へと入り込んでいるときなのである。

 これからの人生で、我々はさまざまな風景と、さまざまな思いを胸に出くわすことになるだろう。しかし、これらの風景は、全くもって「使いみちのない風景」なのである。でも、目というシャッターを押して心に写し出された風景というものは、紙切れとなり写し出される写真のように時の経過とともに色あせることもない。ふとしたきっかけで鮮やかに蘇ることができる柔軟性をもっている。「使いみちのない風景」のストックをどんどん増やしていきたいものだ。たとえUselessだとしても。
(政経1年 小林麻友子)

(2001年10月18日掲載)


書評『洗脳原論』 苫米地英人著 春秋社 定価本体1,500円

 人間は地球上で唯一抽象思考ができる生物である。そのおかげで僕たちは高度な文明社会を築き、現在の生活を送っている。抽象思考とはないものを考える能力のことを言う。しかしどうやら僕たちはないものを考えられるばかりではなく、感じることもできるらしい。苫米地英人による『洗脳原論』はこの視点から書かれた洗脳論である。

 洗脳という言葉を聞く機会はある。しかしそれが実際にどういうもので、なぜ起こるのか、実際に科学的に存在するものなのか、それをきちんと教えてくれる人は今まで誰もいなかった。筆者は哲学者でもあり認知科学者でもあり人工知能の研究者でもあり、機能脳学者でもある。こうした科学的知識をもとに、筆者は五年前からオウム真理教信者の脱洗脳を手がけてきた。『洗脳原論』では、洗脳の理論的研究と脱洗脳の実践的事例の二つを通して、洗脳のメカニズムがはっきりと分かる。技術的裏づけがあれば、誰にでも洗脳は起こりうるのだ。人間は実際にはないものを感じることができるため、バーチャル・リアリティー(VR)のイメージに恐怖したり、身体的に反応を起こすことができる。このイメージを強烈に埋め込むことによって、人間の心と体は操れる。洗脳の基本的原理はこうしたものだ。

 この理論と実際が本では語られるのだが、読んでいくにつれ、僕たちが洗脳に対して無防備であることが明らかになる。洗脳は誰にでも起こりうる(それは意志の強さなどと本質的に関係ない)のに、僕たちはそのことに対して無自覚であり、何の知識ももたない。

 洗脳はVRを介入的に与えることによって起こるが、見渡してみると僕たちの生きている世界にはVR的なものがあふれている。言うなれば、この世界に生きているだけで洗脳にかかわってしまう可能性があるのだ。僕たちはこの事態に対して、知的武装する必要がある。
(一文3年 山澤英三郎)

(2001年10月11日掲載)


書評『東電OL殺人事件』佐野眞一著  新潮社 定価本体1,800円

 「東電OL殺人事件」が起きた当時の世間の過剰な反応は今も記憶に新しい。大学を卒業後女性総合職として東京電力に入社した被害者は、昼はエリートOL、夜は売春婦という二重生活を長い間続け、ある日円山町の小汚い一室で何者かに絞殺されるのである。本書はこの事件の被害者である女性の心象に映った風景、裁判の経過、そして事件の被告人であるネパール人男性の冤罪の可能性を綴った力作である。

 私がそもそもこの事件の被害者に興味を持った理由はその見事なまでの「堕落」ぶりであった。時には路上でのセックスさえも厭わず自らに厳しいノルマを課し、売春婦へと「堕落」していく彼女の生き様を前にして私は言葉を失い、感動すらしたのである。人間なら誰しも、自分を何処までも貶めたいという隠れた欲望を持っている。恵まれた家庭に育ち、社会的地位も経済力もある彼女は他人に比してその思いが強かったのだろうか。または大学在学中のエレクトラ・コンプレクスに近い感情を持つほど溺愛し尊敬していた父親の死がその後の彼女の人生に大きなを影を落としているのであろうか。真相は闇の中であるが、彼女のその「堕落」ぶりは、私には街中でたむろし小犯罪に勤しむ少年達を嘲っているかのように感じられるのである。

 私は本書を読んで、この事件の被害者のその痛々しいまでの激しい生き様に涙した。男性社会の中でもがき苦しみ、その行き着いた先が「売春婦」という選択肢であったのならばあまりに悲しい。かつての友人は彼女の奇行を「精神のバランスを崩した」と表現しているが、私にはそうは思えない。むしろ彼女は明確に自らの行動を把握し、理解していたではないか。そして通常人には到底理解出来ない崇高な信念と理想を掲げ、自らを追い込むかのように「堕落」への道を突き進んだのではないだろうか。彼女にはそう思わせるだけの「何か」を私は確かに感じるのである。そして私はそうした彼女の甘美で退廃的な生き様にどうしようもなく惹かれ、自分と重ね合わせてしまうのである。

(法4年 河村英紀)

(2001年10月4日掲載)


■フリートーク「物理のおもしろさ」

 20世紀は物理学が大きく発展しました。特にミクロの世界を切り開いた量子力学、時間や空間の概念を変えた相対性理論、複雑な現象を扱う複雑系物理学は以後の物理学のみならず科学の発展に大きく寄与し我々の日常生活も大きく変化させました。コンピュータ、携帯電話、スペースシャトルなどは最たる産物でしょう。

 ところでこれだけ発展しても我々は自然に対してまだまだ無力であることは「地震、雷、火事、云々」という言葉が未だ日常的に用いられていることからも十分理解できると思います。ただ落雷予報は物理学から発展した大気電気学等のおかげで今では可能となりました。さらに人為的に落雷を誘導することさえできつつあります。一方地震に関しては長い間研究が行われていますが、予報ができる現象なのかそうでないのか、見当すらついていません。

 しかしながら近年電気的な方法で地殻から地上数百キロまで観測をすると地震の前に変化があることが見つかりました。地震が起こる領域である地殻のみならず地上数百キロまでの宇宙の入口までに現象が一度に及び、かつ地震前の現象となると、全くの新しい現象であるため根本から物理を考える必要があります。そして物理学研究者がこの根本を解明する可能性を持っています。さらに将来、この現象が解明され地震予報として使えるかもというのであれば科学のみならず、政治、経済、社会学も考慮した地震予報学というジャンルまで発展し、社会への貢献と向かうでしょう(話は逸れますが、これらの研究は地震災害に悩むアジアの国々との共同研究も必須であるため、物理、地球科学、政治経済からアジアまである早稲田大学ほど、長い間にわたって社会から切実に求められているこの重要な地震予報研究をするのに適した環境はないでしょう!)。

 そのようなわけで「物理」は、このようなところからも多岐にわたる新しい世界を切り開く醍醐味を常に持っているのです。
(理工学部物理学科助手 鴨川 仁)

(2001年10月4日掲載)