えび茶ゾーン 943号〜955号 (10月4日号〜1月17日号)  

2002年1月17日号

 冬が暖かくなった。わが家は、木造の一戸建てなので、冬は板の間が冷たい。子どもの頃は、いやつい10年ぐらい前までは、冬の朝早く起ると、寝室から居間までの板の間の廊下は、氷のように冷たくて、はだしで歩くのがつらく、バレリーナよろしくつま先立ちで走り抜けたものである▼ところが、今はどうだ。もう1月も半ばだというのに、例の廊下ははだしがつらいほど冷たくなく、昔は外気より寒かった家の中も、寝巻き1枚で歩いて震えが来ないほどである。だいたい、庭に霜柱が立たなくなったし、窓にも霜が降りて来ない。都市が温暖化しているというのは、たしかなようである▼ところで、同僚の研究室のドアにThe World at Nightというタイトルのポスターが貼ってある。これは、人工衛星から写した夜の地表の写真で、北半球の都市部のあたりは明るく白く、南半球は暗い部分が多い。東京は、他の大都市同様とても明るい。これによって、先進工業国がいかに多くのエネルギーを使っているかよく分かる。今のところ、エネルギーは化石燃料が多いから、使えば2酸化炭素が放出されて、どうしても温暖化の原因となる。「ああ、うちが寒くないのはこういうことか」と、大気の温暖化を衛星写真の街の明るさで視覚的に了解したという気分になった▼同じ写真で見ると、アフガニスタンのあたりは暗く、ニューヨークはとても明るい。わが家の廊下の冷たくないのと9・11のテロ事件の遠因とがつながっているように見えて、なんだか複雑な気持ちになる。
(CY)

2002年1月10日号

 大隈講堂の125尺の塔の上に4つの鐘があるのをご存知だろうか。1927年10月の開館以来時を告げ続けているそうである。現在は毎日6回、午前8、9時、正午、午後4、8、9時に奏でられている▼1年ほど前この鐘について、4つしかないのでメロディーが単調なうえ音が悪い、だれも足を止めて聞く人もいない、125周年を機に取替え、鐘の数を増やしたらどうかなどのご指摘・ご提案を受けたことがある▼関連箇所の職員や学生と調査を行った。確かに足を止めて聞く人はほとんどいない。音もいささかおかしい▼4つのうち1つの鐘を突く機構に不具合が見つかったので調整を依頼した▼個々の鐘の音の分析も行った。鐘の音は複雑で一概に善し悪しを論ずることはできない。音程も平均率から若干のずれがあることもわかった▼スピーカを使った鐘やオルゴールを模した音は巷にあふれているが、電気仕掛けとはいえ本物の鐘を突いている貴重な存在である▼人々の生活もすっかり変わり、鐘の音が時を告げるという役割はほとんどなくなってしまった▼それどころか昨今は親しまれた鐘の音や落ち葉焚きの煙を迷惑だからやめてほしいといった声すらあるようだ▼ご指摘・ご提案はありがたく、貴重なものであるが、誰も気にしていないのはむしろ早稲田の町に鐘の音が生活の一部として受け入れられている証と見ることもきるのではないか▼皆様はどうお感じだろうか。
(や)

2001年12月13日号

 最近ゆとり教育の是非やら、大学の独立法人化やら、教育に関する議論が喧しい。しかし、来年から月曜日に祭日を変に集中させたために、日本中の学校が1週間の時間割を組むのに、苦労している▼手近な例を見ても、日本の指導者たちが、一体どれほど学校教育のことを真剣に考えているのかどうかは、甚だ疑わしい▼ここに、一足先に、独立法人化に着手したタイの大学改革を、他山の石として紹介してみたい。タイでは2年前から、国立大学に採用する教員はすべて独立法人の職員として採用している。彼らは従来のような国家公務員ではないばかりか、任期制の適用を受け、5年ごとに契約を更新する必要がある。このような不利な条件の一方で、給与は既存の国家公務員たる教員より、3〜4割引き上げられている。高い給与が欲しければ、既存教員も独立法人の職員身分に変わることができる▼もう一つ注目すべきことは、教員の採用人事である。タイの大学全てが採用しているわけではないようだが、有力大のタマサート大では、完全公募制を採用している。公募は新聞の求人欄に掲載して徹底をはかっている。同大の教員は、公募の理由を、国民の税金で運営されている大学が、公募することなく、お手盛り人事をすることは、権力の私物化と何ら異ならないから、と説明する▼文系の業績を客観的に評価する手法が、確立しているとは思わはないが、日本の教育界、文部行政の悪しき伝統とも言える、有力者の我田引水を減少させるためには、タイの事例は、少しは参考にならないだろうか。
(篠)

2001年12月6日号

 新しい世紀を迎えたのがつい昨日のことであったような気もするが、今年も残すところあと1カ月となった。本当に月日の経つのは早いものだと思う。数年前から1年が短く感じられるようになってはいたが、特に今年の1年はあっという間であった▼そのためか、本来1年という長さは常に同じであるはずなのに、なぜ年齢によってこれ程までに感じ方が違うのかということを考えてしまう。少なくとも30歳頃までは、時間は歳をとるにつれてだんだんと長く感じられるようになるものと思い込んでいた。しかし、これは完全な誤りであったようである。こんなはずではなかったのにと思うものの、今となっては致し方がない▼そこで、何故そうなのかを私なりに解釈してみると、私が若かった頃と比べて現代では、世の中全体が慌ただしくなっており、情報の氾濫とともに時間の使い方も多様化し、それらに振り回されているためであろうかとも思う。また、年齢によって忙しさの中身に違いがみられるようになっているということにも思い当たる。つまり、現在の忙しさの大半は会議等に忙殺されているためであり、その結果、知的あるいは精神的な満足度が得られないというところに問題があるようだ▼残された時間は限られており、出来るだけ有効に使いたいと思うのだが、それもままならない自分が何とも情けない。毎日毎日を有意義に過ごし、満足度の得られる生活を送りたいと思う一方で、ゆったりとした中で何も考えずに過ごせたらいいなとも思うこの頃である。
(MU)

2001年11月29日号

 タコツボだの重箱の隅だの言われながら研究をしている▼そうはおっしゃいますが、壷にタコが入っていれば十分じゃないですか▼とはいうものの、講義を受けている学生は細かい話にトホホと思うこともあるだろう。当の本人もときに象牙の塔に食傷気味になる▼そこで肩の力が抜けるエライ人の言葉を少し紹介したい▼研究は、「ともあれ語られうるものは、明らかに語られうるものである。そして、論じえぬことについては沈黙しなければならない」(ウィトゲンシュタイン)のだが、「しかし、我々は語りえないことを語ることはできないし、口笛で吹くこともできない」(ラムジー)わけである▼どこもかしこも研究蓄積がやたらあるものだが、「マルクスについて書く者は、たいがいマルクスが誤解に包まれていることを強調するところから始める。それはまったく恥ずかしいほど凡庸なレトリックです。むしろ、マルクスは誤解されているどころか正解されていると言うべきです。ただ致命的な問題は、そのような正解が少しもおもしろくないということです」(柄谷行人)ということもある▼超絶技巧系論文を前にうろたえることは日常茶飯事だが、「神の存在さえ証明できるのだから、存在することが証明された均衡解にどれだけの意味があろうか」(森嶋通夫)と言い切ってくれる先生もいる▼とまあ、学究の道ははるかに続くが「長期においては、とケインズは言う。われわれは皆死んでしまっているはずだ」(岩井克人)である。
(KA)

2001年11月22日号

 海外派遣の自衛隊大型輸送機の映像を見るたびに、かつてオーストラリア空軍の救援機に乗ったことを思い出す▼今から十二年前の、シドニーに住んでいた我々は冬休み休暇をリゾート地であるケアンズで過ごしていた。ところが国内航空のパイロットの全面ストライキが始まり、それは結局半年以上も続いた。レンタカーを借りてシドニーまで、2,000kmをドライブする気にもなれず、リゾートの多くの滞在者は混乱した▼やがて数日後に救援機が来ることになり、幸いその予約がとれた。機内へは、機体後部の大型扉がそのまま車両等を積載するための斜面となり、数百人がそこから乗り込んだ。山手線のような向き合う座席が並び、背もたれは赤いネット状のものであった。離着陸時には各自バンザイの形でネットをつかんでおかないと、体が横にずれるという注意があった▼子供たちはコックピットで、移りゆく下界の景色を楽しんでいた。突然8才の息子が爆弾発射ボタンはどこ?と聞いた。兵士は、これは輸送機だからボタンはないけど、第二次世界大戦でパプアニューギニアの日本軍に爆弾を落下させたことがある、という話を聞いた▼オーストラリアにとって、外国から攻められた唯一の国が日本であり、北部の都市ダーウィンは百回も日本軍の空爆をうけた、という事実がある。そのようなことを知ってオーストラリアに観光に出かけるのと、知らないで出かけるのとは大きな違いだ。国際的な視野で物を考えるきっかけはいろいろな所に転がっていると思う。
(MU)

2001年11月15日号

 私は高等学院の出身である。そう名乗るときに、なぜだか「恥ずかしながら」と付けたしたくなる。口に出して言ったことはない。以前は、自分に対して恥ずかしかったような気がする。最近では、学院出身者を見ていて、恥ずかしくなる。そこには若干の憂いと、多くの憐憫(れんびん)と憤懣が底流している▼理由がないわけではない。学院出身者に触れていると、受験の心配のない三年間、まるで自分で自分を飼い殺しにしてきたのではないか、との印象が拭えないからだ。なにしろ学部の四年間では、その後の、平均四十年以上も続くだろう人生を考えるには短すぎる。学部の三年目の終わりから就職活動に入って、たかが一部の能力と引き替えに職を得る、その仕草がじつに痛々しく、卒業生を送り出すたびに女工哀史的な気分になる▼そこで活きてくるのが、学部を加えて七年間という時間である。しかし学院生を見ていると、推薦入学と引き替えに、外部との関係の中で自分を果敢に開いて行こうとする覇気がさほど感じられない。断っておくが、昔からだ▼で、一つの提案。囲い込みを廃止する。学部への被推薦権を残したまま、外部受験を認める。その代わり、推薦を受ける際の動機を重視し、同時に学部側の拒否権をも明文化する。その結果、たとえ半数近くが他大学に進むことになっても、いいではないか。それは学院にとっても学部にとっても自らを考え直す好機となるのだから。そして同じことは、学部と大学院の関係でも言える。門のないはずの学校には、相応しいと思うのだが、いかが。
(開)

2001年11月8日号

 人々が小さな共同体を形成していた時、そこには口承された神話があった。宇宙はどのようにして成り、我々の祖先はどうして生まれ、その宇宙の中のこの場所に我々が村を作ってきたのはどうしてか。それに対する答えが神話であった▼いくつもの共同体を統一して国家を形成しようとした権力者たちは、その神話の力を利用しつつ、偽の「神話」を作り、国家の上に君臨させた。大和朝廷は、人々の間で語り伝えられていた幾つもの神話を拾い上げ、そこに新たな意味をかぶせ、天皇による天下支配を正当化するための「神話」を作った▼国家意識の上には広い意味での「神話」があるように思う。アメリカ合衆国は、法や国土によってのみ国家たり得ているのではない。テロ事件以来、多くのアメリカ国民が星条旗や国歌のもとで胸に手をあて団結を誓っている。それらは合衆国の「神話」に他なるまい▼我々が日本という国家を意識する時、そこにある「神話」とは何だろうか。千数百年の歴史を持つ国家と感じるなら、長年に亙って生き続けてきた「神話」があるはずだ▼オリンピックで、日の丸があがり君が代が流れ、そのとき日本が意識されれば、それは近代の「神話」であったに違いない。それを、法のもとに国旗や国歌に制定するのは「神話」の書き換えではないか。では新しい「神話」が目指す国家像とはどのようなものか▼国際化が進む中、この国はいかなる方向に進もうとしているのだろう。古代の神話を読みながら、この国の将来を思う。
(NM)

2001年11月1日号

 所帯じみた話で恐縮だが、先日、昨冬仕込んだ味噌の甕(かめ)を開けた。日ごろあらゆる家事について手抜きをしているのだが、味噌だけは毎年自分で手作りしている。大豆を柔らかく茹でてすりつぶし、米麹、麦麹と粗塩を加えて甕に詰めるという一日の手間で、翌年には老舗の味噌にも決して負けない味が楽しめるというわけである。狭い我が家のこととて味噌甕は屋根裏の書庫に置いているため、発酵熟成の盛んな夏場などは特に、味噌の香りに包まれながら本が読めるという余禄までついてきて、「手前味噌」という言葉は実にうまい表現だとつくづく実感する▼ものの本によれば仕込んで数カ月したら天地返しをせよとあるが、面倒なので放りっぱなしである。そのせいなのか、きまって表面に白くカビがつくのだが、「煮沸殺菌した布巾で拭い取る」などはした試しがない。そのままつき混ぜてしまえばどうということなく、むしろ一層味わいが深まるように思われるのである▼新学生会館がいよいよ柿(こけら)落しを迎える。夕暮れ時、暖かい照明の灯った会館を行き交い談笑する大勢の学生たち。諸君が新しい味噌玉としてこれからの豊かな熟成の土台となるわけだ。少しばかり異分子が出たところで、土台が健やかでさえあれば、つき混ぜられて一層絶妙な香り高いワセダ文化が熟成していくはずである。長い間準備を進めてきた学生諸君の熱意によって、盛りだくさんのイベントが計画されている三日間の記念行事 WASEDA EXPOを、心から楽しみにしている。
(R)

2001年10月25日号

 先月末の土日に河口湖で合宿した。参加者は10年前のゼミの卒業生であった▼当時ゼミで紅一点の江戸さんがカナダから帰国し参加した。甲府の近くに住み、2人子供のいる塩島君、浜松市内に勤め、仲人をした小野君夫妻、NGOで働き前日ラオスから帰国した宮井君、長野県の上田で仕事していて、結婚を迷っているゼミ長だった山崎君、この5日前にフィリピンの工場から何とか帰国できた高澤君。これにゼミの担当教員であった僕も入れて、8人が4時過ぎに集まった。山梨県に詳しい塩島君が決めた、改装して間もないホテルであった▼三浦さんが結婚して改姓する2年前に東京で集まったが、塩島君は子供が生まれるため参加できなかった▼小野君夫妻の結婚式、高澤君のおシャレな結婚式の話で盛り上がった▼中央高速で西村君が大宮から「おお寒い」とバイクで駆け付けて来た。7時半であった。渋滞を考えバイクにしたのだ▼全員揃って食事し、お酒も相当飲んだ。「お客さん」と声をかけられ部屋を変えた▼高澤君のフィリピン工場の話、宮井君のベトナム、ラオスの話で、社会人の経験の広さと深さに感動し、学んだ▼翌日は塩島君の案内でブドウ狩りとワイン工場見学。奥さんと子供も合流した▼経済学者や評論家が「良き先生を育てるために、授業評価や他の基準で格差をつけ、処遇すべし」との議論が横行し、マスコミがこれを応援している。▼卒業生との交流が先生を育てる力であることは無視されている。この楽しさで教員が育つのだ▼この経験のない者は信じられないだろう。  
(東)

2001年10月18日号

 長く暑い夏の日だった▼部室引越しの最終日に、一号館地下の一室に楽器を積み上げて、一人の女子学生が籠城の構えを見せた。自分たちの演奏を録音したものだろうか、その部屋の壊れかけたカセットデッキからブルースが流れていた。バックビートでドラムスを叩くテクニックもおぼつかない、お世辞にもうまいといえる演奏ではなかった。そのことが余計に私の気持ちを憂鬱(ブルース)にさせた▼これが、君たちのいう自由闊達な早稲田文化なのだろうか。権威と戦う英雄を気取ってみても、それだけではブルースではあるまい。君は、何がアメリカ黒人にブルースを歌わせたのか、考えたことがあるだろうか。ディープ・サウスの奥深くへ旅したことはないが、ブルースは「心があったかくて苦労にもまれた魂をもった人」でなければ歌えない、という。本物のブルースを歌えるようになってほしい▼私の学生時代は、学生運動が激しかったころで、講義がないのをいいことに、部室に入り浸ることが多かった。部室は音楽長屋と呼ばれた建物にあった。八つの音楽サークルが同居していたので、練習するにも大変であった。近隣にも随分ご迷惑をかけたに違いない。第二学生会館は既に建ち上がっていたが、お決まりの鍵の管理でもめて、私の学生時代には開館しなかった。信じがたいことだが、開館まで十五年を要した▼新しい学生会館が無事に開館できたことはよかった。この恵まれた施設で、本物の早稲田文化が育ってほしいものである▼今年の夏は、本当に、長く暑かった。
(ひ)

2001年10月11日号

 本庄キャンパスは大久保山とよばれる森の中にある。毎年、5月に行われる本庄‐早稲田100キロハイクの出発点であり、本庄高等学院、セミナーハウス、国際情報通信センターなどが点在している▼従来、そこを訪れたことが一度もなかったが、約2年半ほど前に本庄高等学院長を兼任した関係から、かなりの頻度で、早稲田と本庄を往復するようになった▼100キロの距離に比例して、本庄は大学とのアカデミックな距離が遠いということが第一印象であった。勿論、自然環境は素晴らしく、四季それぞれの景色も美しくは感じられたが、一方では、早稲田の離れ小島のようにも思われた▼生徒達はJR本庄駅からの4キロの畑道と山道を蟻のように自転車で通学しており、空調の無い夏の教室はまさに完全暖房の状態であった▼したがって、早稲田の付属高校として大学とのアカデミックな距離を近づけることと、教育環境を普通の高校並みにすることが私の努力目標であろうと思われた▼前者に関しては、学部や研究所の教授各位による課外講義やセミナーを数多く行うことにより、かなり解決できてきた。また、後者に関しては、早稲田大学の本庄リサーチパーク構想などもプラスに影響して、教室には空調が整い、この9月からスクールバスが通るようになった▼平成16年には新幹線「本庄駅」ができ、また、前後して情報系大学院や環境系大学院が本庄キャンパスに設置される予定であることから、早稲田大学とのアカデミックな距離がさらに近くなることを期待したい。
(Y)

2001年10月4日号

 「自分の人生(存在)に価値を認めてもらいたい」といった思い入れが、誰にでもあるものである。いや、できれば「あなたの人生(存在)はスバラシイ」という賞賛を得たいものだという密かな期待もあるかもしれない▼人としての尊厳を保ち価値を認められる人生を送りたいと思う意識は、むしろ自然な心理である。差別や不平等に対して感じる憤りは、差別や不平等による不利益に対する異議申し立てということもあるが、自分という存在に対する不当評価や一人の人間としての尊厳を傷付けられたことに対する怒りの表出という側面の方がより根源的であるかもしれない▼自立的個人というイメージと多元的構造特性を有する後期近代社会においては、個人の自由と権利に対する尊重から出発する正義論・平等論は優勢であるが、人生の意義や尊厳を保つための条件という視点からする道徳論は必ずしも一般的ではないようである。というのも、こういった議論の背景には、それぞれの人生の意義を比較して論じうるような価値規準が個人意識に横断的に存在するということを前提とせざるをえないからである▼しかし、後期近代社会の中でも「生きがい論」の活発なわが国文化においては、事情はいささか異なっているのかもしれない。 生きがい論はまさに個人人生の有意義性や個人の尊厳に直結する議論であり、われわれ日本人の間では(宗教的な教義に依らなくとも)超越的な道徳価値に対する不信感は(欧米に比べて)比較的に少ないかもしれないからである。
(S)