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木下俊彦ニュースな旅<3回連載>
最終回 サモア
商学部・商学研究科専任客員教授  木下俊彦

JICA前総裁の藤田公郎氏
JICA前総裁の藤田公郎氏
会社を休職して国際社会貢献をする若い日本人女性
会社を休職して国際社会貢献をする若い日本人女性
国立サモア大学講演15分前
国立サモア大学講演15分前

 サモア(正式国名は「サモア独立国」。以前は、西サモア独立国と呼ばれた)は、人口17万人の小国(主要2島からなる。総面積は長野県の倍)である。サモアには、ニュージランドのオークランドから入った。その間、小さな飛行機で4時間くらいかかった。3日間滞在したアピアは、首都といっても、のどかな農村風景の中にちょっとした町があるといったところだ。治安は、島国のうえ、旧来の共同体社会が健在なためきわめて良いという話だったが、確かに、一般家屋には、壁のない家が多く、治安の良さはそれでわずかながら証明されている。背の高いサモア人の大半は堂々として、相撲取り的体格の人が多い。

 サモアは、世銀の定義では、後発開発途上国だが、極端な金持ちも貧乏人もいないと聞いた。観光、海外移民からの送金、外国援助に依存して生きている。タロイモが主食で、食べ物は豊富。政治は基本的に安定している。サモアの人は、自然の幸に恵まれ、贅沢をいわなければ食うには困らない。失業もなく、皆で支えあって安定している社会で、働くのは、現金収入が欲しいからである。マタイという独特の大家族制度をもって、年長者を敬い、若い人を大事にしている。しかし、サモア国立大学の若い先生は、そこにわずかながら変化が出てきつつあるといっていた。

 太平洋諸島は、長い間、政治的に安定している場所とされ、南海のパラダイス視されてきたが、10年ほど前に世界的規模の銅精錬工場のあったパプアニューギニアのブーゲンビル島で反乱が起き、最近フィジー島で軍事クーデターが発生(インド系の首相が追い出された)、東ティモールも正式独立後に大きな懸念があることなどから、豪州やニュージーランドでも懸念が高まっているが、そういう観点から、政体が安定しているサモアが太平洋諸島の要となるのではないかということで、その地勢的重要性を見直そうという動きも出てきているといった話も聞いた。

 国際協力事業団(JICA)前総裁の藤田公郎氏は、この地にシニア・ボランティアとして来ておられ、サモアの外相顧問をされている。そのほか、日本から、JICA派遣専門家や青年協力隊のボランティアが30人以上も来ているのは快い驚きだった。その中には、東京海上を1年休職して保健関係の仕事に従事している若い女性もいた。日本の大企業はこういう国際社会貢献をどんどんしてほしいものだ。藤田さんは、少し日焼けされていて、大変お元気で、サモア政府から執務環境面で破格の待遇を受けているようだった。かなり高齢の同氏が、若い人たちに混じり、いきいきと活躍されているのを見ていると、私も、もっとがんばらねばという気持が湧いてきた。同氏の生き方は、緒方貞子さんのケースと同様、「顔の見える援助」を地でいったものだ。日本の高級官僚や企業トップを経験された人達などに、こういう生き方もあるし、できるのだということを知ってもらいたいと強く思った。

 3月13日、事前の約束どおり、国立サモア大学で、「世界とアジア太平洋」という題で講演(英語)を行った。日本人専門家などが広報に力を入れてくれたので、同大学学長ほか100人以上の学生や在住の日本人などが聞きに来てくれた。講演内容を盛り沢山にしたことや、聞きに来てくれた学生の大部分が国際経済について勉強していないといった事情もあり、私のメッセージがどの程度正確に伝わったかよく分からない。しかし、学生諸君にとって、日本人講師による講演は初めてだったようで、一生懸命聞いてくれ、質問もいくつか出た。学長らの関係者も良かったと喜んでくれた。

 ここでふと考えた。日本の大学や大学院で、英語で同じ講演をしたらどうだろうか。帰国子女などを除く大半の人が内容をほとんど理解できないのではなかろうか。サモア人にいささか失礼かもしれないが、あえて比較すると、彼らも英語は日常語ではないのだから、大部分の日本の大学生・大学院生の英語のヒアリング能力(したがって、国際交流能力)は、サモア以下という状況ということになる。これは、国際化の遅れといったような生易しいものでない。早稲田の学生諸君はこの現実をどう思うだろうか。

 話は飛ぶが、人口17万人のサモアになんと約1,800人のワーカーを雇っており、総売上げ42億円相当の矢崎工業(YES社)があったのは驚きだった。この国には、製造業といえば、同社を除くと、大昔、ドイツが残したビール工場(300人雇用)くらいしかない。同社にお願いして、工場を見せてもらった。沢山のワーカー(大半が女性)が、きびきび働いているのを見て、教育・訓練の重要さを再確認した(もちろん、指導する日本人管理者のご苦労もさこそと察せられた)。この工場が当地に作られたのは、10年前のオーストラリア政府の自動車産業への政策変更によるもので、オーストラリアとニュージーランドに無税で輸出でき、賃金の安いのがその理由であったが、現在は、WTOの実施により保税扱いがいつまで認められるかが大きな悩みのようだ。

(2001年6月21日掲載)

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