シリーズ・旅
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木下俊彦ニュースな旅
(1) 東ティモール
商学部・商学研究科専任客員教授  木下俊彦

 木下俊彦教授は、日本輸出入銀行(現・国際協力銀行)海外研究所長や、米系経営コンサルタント会社A.T.カーニー・アジア担当特別顧問などを経て、昨年4月から現職。日本政府の仕事などで、毎日のように海外を回っている。直接投資、経済協力、アジア経済専門家で、大学では、貿易論などを講義中。最近、風雲急を告げる東ティモール、インドネシア、サモアなど4カ国を訪問してきたので、そのうち、3国について順次ホットな情報を紀行文スタイルで報告してもらうことにした。第1回目は、東ティモール。


 さる3月にニュージーランド、サモア、インドネシア、東ティモールへ、3週間の旅をし、講演、調査や国際会議へ参加してきた。まず、世界の関心を集めている東ティモールの現状をご紹介したい。私は、東ティモール再建のためエコノミスト主体の国際会議に参加したのだが、紙面の制約もあるので、会議の話は省略し、もっと一般的な話をしよう。

<東ティモールはどんな国か>
 東ティモールはインドネシアのバリ島からプロペラ機で約2時間。人口は75万人、約9割がカトリック教徒で、面積は長野県とほぼ同じ、1人あたりのGDPは約300米ドルの貧困国だ(インドネシアのGDPは750ドル程度)。年間の日中の気温は35〜40度。産業は、米、とうもろこし、いも、コーヒー、漁業など一次産品が主体。通貨は、米ドルやオーストラリア・ドルが使われているが、一般大衆はまだ使い古したインドネシア・ルピア札を使っている。町にはスーパーが数軒あり、最低の生活物資は買えるが、物価は国連特需や輸送費の高さからインドネシアの3倍だ。その結果、貿易収支は大幅な赤字で、これを外国援助で埋めているというのが現状だ。

<独立への道程>
 15世紀以来ポルトガル領であった東ティモールは、1975年にインドネシアに武力併合され、その27州の1州になった。スハルト元大統領は、東ティモールの帰属を確実にするため、国軍の精鋭を送り込む一方、道路などインフラ作りに大きな予算を割いてきたが、それでも、独立の動きを止めることはできなかった。スハルト元大統領の後継者のハビビ前大統領は欧米などの世論に押されて、1999年8月、独立か現状維持かを問う住民投票の実施を決定した。インドネシア政府や国軍の期待に反して、住民の8割近くは独立を選んだ。これを不服とした親インドネシア派の武装民兵組織が報復活動を行ったため、2カ月間だけで全建築物のなんと約70%が破壊され、多くの住民は避難を余儀なくされた。これに対して、国際社会から大きな非難が巻きあがり、インドネシア政府もついに東ティモールの治安維持のために多国籍軍の受け入れに同意した(その直後に、インドネシアの国民協議会は、東ティモールの「分離・独立」を正式に認めた)。

<国連暫定行政機構=UNTAETの現地での評判>
 政治社会面では、東ティモールでは、近々行われる制憲議会選挙へ向けて、CNRT(シャナナ・グスマン氏を議長とする東ティモール最大組織。1988年に設立)系の政党が7党と非CNRT系の政党が4党、政党連合2グループが熱気のこもった選挙活動を行っている。このような経緯や不安定な状況から、正式に独立国家となるまで、国連(正確には国連暫定行政機構=UNTAET)が治安維持にあたるとともに、行政を行うことになったわけだ。UNTAETは、現在、国際警察部門や部隊、軍事監視要員を含む軍事部門を持ち、避難民の帰還支援、食料や生活必需品の配布、医療サービスの提供を行ってきている。日本は、その活動のために1億ドルを供与している。町を回ると、焼かれた建物などが沢山残り、2年前の悪夢が思い起こされる。しかし、現在は、治安は回復され、経済復興もだいぶ進んでいる。 しかし、残念なことにUNTAETに対する現地の人々や外国人の評判は、治安維持を除くと、余りよくないのだ。復興のための建設や大量の国連関係者の存在が生み出す特需ブームで、物価はインドネシアの3倍の高水準。物資調達がすべて国連基準のため、ビル建設コストや高級官僚の人件費が非常に割高になる。その上、UNTAETが現地の指導者などに迎合して、歳入を増やす努力を怠っているといった批判もあちこちで聞かれた。UNTAETで働いている外国人の能力に大きな問題がありそうだ。お雇い外国人の多くが、激しい戦乱地であったボスニアあたりから回ってきた人が多いからだともいわれている。この国が正式に独立すれば、UNTAETは徐々に去っていくわけで、今は、その前の助走期間。だからこそ、UNTAETは良き教師になることが求められているのだ。外国援助もこれから減ることはあっても増えることは考えられない。遠からず独立し、現地の人たち主導の国家運営となっていくわけだが、その後がうまくいくのかどうか国際的にも注目されている。

<国際協力事業団(JICA)と「南南協力」>
 こういう状況の下、日本政府は、他の諸国とともに、国際協力事業団(JICA)を通じて、農業開発、人材開発(とくに職業訓練)、インフラ建設(道路修復、電力回復)の分野で貢献しつつある。これらの援助分野は、日本の得意分野でもあり、適切な選択といえる。もちろん、東ティモールの国家運営の基本方針がきちんとしないと、こうした支援が将来の発展にうまくつながっていかない危険性もある。長期的に考えると、東ティモールは、いつまでも他国の援助にだけ頼っているわけにいかない。5年以内にオーストラリアと共同開発される予定のオフショアのガス田もあるが、予定通りいっても、その収入は歳入の一部をまかなうだけだ。ということで、東ティモールにとっては、いままで帰属していた隣国インドネシアとの貿易や相互協力が死活的に重要だ思うのだが、東ティモール人は、インドネシア(国軍)に強い憎悪を抱いている。また、インドネシア側にもわだかまりがある。私は、日本が、こういう歴史をふまえて、ティモール人とインドネシア人との橋渡しを積極的に進めるべきだと考える。例えば、技術面では「南南協力」のスキームを使い、第3国で、インドネシア人からティモール人への研修支援を行い、必要資金は日本が出すとか、両国間の農業協力を推し進めるなど、両者の良き仲介者となるというように、日本が積極的な役割を果たせることも多いのである。

次回はインドネシアです。

(2001年6月7日掲載)

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