4 学んだことはどんな仕事にも活かされる
建築デザイナー・プロダクトデザイナー 磯部 賢さん
回り道をした
「肩身の狭さ」を
自信に変えて再スタート
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磯部さんが設計・デザインを手がけたオフィス。「M&Aという業種業務のため、信用を重んじた格調高いデザインにまとめました」
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「建築」との
出合い
横浜市内にオフィスを構える建築設計事務所「Ken Isobe Architect」の代表を務める磯部賢さん。建築のみにとどまらず、商品デザインなどの分野でも幅広く活躍中の建築デザイナーだ。
しかし、そんな磯部さんの出身学部は、意外にも「教育学部」。
「いくつか受験した中で、合格した学部がそこだけだったというのが正直なところですね(笑)。教育学部の社会科学専修は幅の広そうな印象もあり、そこで何かやりたいことが見つかればいいなと思っていました」
いわば「たまたま」の学部選択だったわけだが、授業を受けるうちに哲学に興味がわき、大学での勉強にはかなり熱心に取り組んだという。
しかし肝心の、「これから何をしていこうか」という迷いには、卒業を前にしても答えが出ないまま。結局、得ていた内定も辞退し、在学中から続けていた翻訳ビジネスなどで収入を得ながら、やりたいことを模索する道を選んだ。
興味の赴くままに本を読みあさり、人と会い……そんな生活を二年あまり。その中で「ふと行き当たった」のが建築だった。
「ある建築家の作品を本で見た時に、その人が自分の哲学を建築で表現していることに、とても惹かれたんですね。きれいで美しい建築という“モノ”に、その作者の“哲学”がはっきり反映されている。それにものすごく感動して、『僕も自分の考えを建築で表現したい』と思ったんです」
それまで全く触れたことのない、未知の分野への挑戦。けれど、迷いはなかった。時期的にその年度の大学入学は難しいことが分かると、都内の専門学校を選択。設計図の描き方を一から教わり、課題に次ぐ課題をこなし、とにかく必死に学び続けた。
大震災が
教えてくれたこと
まさに死にものぐるいの二年間を過ごして、二十七歳で専門学校卒業の年を迎えた磯部さん。「この先、建築の世界で生きていくなら、大卒以上の資格を取った方がいい」と、アメリカの大学院への進学を決意した。
ところが、留学の準備を整え、卒業制作に取り組んでいた時、再び磯部さんの考えを根本から揺さぶる大きな事件が起こる。―阪神・淡路大震災である。一瞬にして瓦礫と化した神戸の街は、磯部さんが育った故郷だった。
「それまで、僕が建築において重視していたのは何よりもまず“デザイン”だったんですね。ところが、震災に遭った街を見たら、残っているのはとにかく頑丈なビル。建物は、人の生命を守れるものでなくてはいけないんだと実感させられました」
建築をやる以上は、機能や美しさに加えて、強いもの、人を守るという側面を兼ね備えたものを造らなくてはならない。改めてそう思い知らされた経験だったという。
それまでの自分への反省の思いも込めて、大学院では、多くの人が利用し、それゆえに社会的な要請も大きい超高層ビルの設計を学んだ。建築学修士の学位を取り、帰国後は大手の建築設計事務所に就職。大学院での経験を活かして都市計画を担当し、そこで六年を過ごした。念願だった独立を果たしたのは、今から三年前のことだ。
何一つ
無駄になったことはない
「建築」との出合い以来、自分の信じる道を迷いなく進んできたかに見える磯部さんだが、建築設計事務所時代には、どこかで肩身の狭さのようなものを感じていたという。年は同じでも、大学で建築を学んですぐに就職した人なら、キャリアでは自分よりもはるかに先輩だ。建築の専門的な知識では、どうしても後れをとっていることを認めざるを得なかった。
その「肩身の狭さ」を自信に変えることができたのは、独立し、仕事が順調に進みはじめてからだ。「時間をかけて回り道をしてきた自分には、そうでない人にはできないことがいくらでもあると思えるようになった」という。
もちろん、建築の世界で仕事を始めるまでに費やした長い時間が、直接的に仕事の内容に反映されているとは言い切れない。もう一度人生をやり直せるとしたら、全く同じ道を歩むことはしないだろう、ともいう。けれど、それと同時に、やってきたことが何一つ、無駄にはなっていないと感じるのもまた事実なのだ。
どんな仕事と向き合うときも、単なる「デザイナー」ではありたくない、と磯部さんは言う。「クライアントの希望をただ形にするだけではなく、『こういうやり方もある』という提案も交えながら、全体を“プロデュース”できる存在でありたい。そして、中でも、自分が回り道をしたことで得たものが、―それが何なのかは今は分からないけれども―必ずどこかに出てくるはずだし、それが僕の商品価値だと思うんです」
その信念は、決して独りよがりのものではない。数いる建築家の中から「ぜひに」と自分を指名してくれる、自分を必要としてくれる人たちの存在が、それを証明していると考えるからだ。「そして、多分この先も、もっともっと証明していけると思っています」
人より少し長い「回り道」を経て、信ずる道にたどりついた体験が、揺るぎないその自信を支えている。
(2006年9月30日掲載)
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