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芸術学校教授 藪野 健
描くことは、発見し、考えることに連なっている。都市は歩くことで、さまざまな生活の表情に出合えるが、さらに立ち止まり、眺めることで町の性格が見えてくる。絵を描きはじめると、それまで無口だった町や路地が急に語りかけをはじめる。ことに折りたたみの椅子に腰かけて画帳を広げると、自分と町との関係の緊張が和らぐ。外者から居住者に近づくのである。犬や猫が身をすり寄せてくる。子どもたちが遠巻きにして、興味を示す。子どもたちが絵をのぞきこむと、母親が登場。祖父母、近所の人々と輪が広がる。みんな会話のきっかけをつくり出したくて、うずうずしてしまうのである。その何ともいえない瞬間が絵を描く楽しみでもある。 「え、何でおまえさん、こんなぶっくれを描くのかえ」と、店先から声がかかる。話を聞くと、幕末の建物であった。きっと山本周五郎の『青べか物語』の登場人物たちもこの店先でたたずみ、また境川を見つめたことであろう。 東京・台東区鳥越のおかず横丁では、鳥越祭の日、同じように、座り込んで昭和初めの商店を描いていた。ここでも少女二人が不思議そうにながめる。やがて、父親がのぞきこむ。「これは壊すことになっているんだ」「えっ! こんなに美しいものを。あそこにT.S.というマークが輝いているではありませんか」「ああ、あれはじいさんやおやじの代からのトレードマークなんです」。受け継がれてきた美しさや伝統が壊されてしまう。建物をながめながら絶句してしまった。 結局、この建物は、今は往時のまま復元され、誇りをもって残されることとなった。 アトリエの数千枚のデッサンをひもとくと、哀歓こもごもとなる。実に多くが消えていったからだ。根岸、丸ノ内一丁倫敦、本郷、三田小山町、築地、明石町が点として残されているものの、美しいものから壊されていったのはどうしたことだろう。 幸いなことに、早稲田大学では戦前を偲ぶことができる。名建築揃いで、創立当時から現在までの校舎が健在である。東京専門学校当時の洋館の面影(保岡勝也)は、大隈講堂(佐藤功一、佐藤武夫)脇のオープン教育センター分室で辿ることができる。かつての大隈邸馬丁小屋である。会津博物館、演劇博物館(今井兼次)、政経学部三号館、商学部十一号館、演博隣の六号館(いずれも桐山均一)、文学部(村野藤吾、菊竹清訓)、理工学部(安東勝男、鈴木恂、古谷誠章)、人間科学部(池原義郎)と枚挙にいとまがない。さて、絵を描くことで、ここに学んだ多くの先輩と会話を交わそうではないか。 (2005年10月29日掲載) |
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