芸術学校教授
藪野 健
(やぶの・けん)
  1943年名古屋市生まれ。画家、二紀会理事、早稲田大学芸術学校教授。早稲田大学大学院文学研究科美術史修了。70〜71年マドリード・サン・フェルナンド美術学校プロフェソラードで学ぶ。安井賞展佳作賞、二紀展文部大臣賞などを受賞。武蔵野美術大学教授を経て現職。著書に『たてものをかく』(ポプラ社)、『東京2時間ウォーキング(下町・山の手ほか)』、『パリ2時間ウォーキング』、『絵画の着想』(共に中央公論新社)、『明治建築の旅』(新潮社)他。
 Essay [コミュニケーション考現学]

絵画を通した“まち”とのふれあい
〜観察から対話が始まる〜

芸術学校教授 藪野 健

藪野先生の作
藪野先生の作。震災後復興したおかず横丁左の看板建築の部分には、T.S.のイニシアルが刻まれている。東京は開府以来400数年しか経っていないのに往時の面影はない

  描くことは、発見し、考えることに連なっている。都市は歩くことで、さまざまな生活の表情に出合えるが、さらに立ち止まり、眺めることで町の性格が見えてくる。絵を描きはじめると、それまで無口だった町や路地が急に語りかけをはじめる。ことに折りたたみの椅子に腰かけて画帳を広げると、自分と町との関係の緊張が和らぐ。外者から居住者に近づくのである。犬や猫が身をすり寄せてくる。子どもたちが遠巻きにして、興味を示す。子どもたちが絵をのぞきこむと、母親が登場。祖父母、近所の人々と輪が広がる。みんな会話のきっかけをつくり出したくて、うずうずしてしまうのである。その何ともいえない瞬間が絵を描く楽しみでもある。

「え、何でおまえさん、こんなぶっくれを描くのかえ」と、店先から声がかかる。話を聞くと、幕末の建物であった。きっと山本周五郎の『青べか物語』の登場人物たちもこの店先でたたずみ、また境川を見つめたことであろう。

 東京・台東区鳥越のおかず横丁では、鳥越祭の日、同じように、座り込んで昭和初めの商店を描いていた。ここでも少女二人が不思議そうにながめる。やがて、父親がのぞきこむ。「これは壊すことになっているんだ」「えっ! こんなに美しいものを。あそこにT.S.というマークが輝いているではありませんか」「ああ、あれはじいさんやおやじの代からのトレードマークなんです」。受け継がれてきた美しさや伝統が壊されてしまう。建物をながめながら絶句してしまった。

 結局、この建物は、今は往時のまま復元され、誇りをもって残されることとなった。

 アトリエの数千枚のデッサンをひもとくと、哀歓こもごもとなる。実に多くが消えていったからだ。根岸、丸ノ内一丁倫敦、本郷、三田小山町、築地、明石町が点として残されているものの、美しいものから壊されていったのはどうしたことだろう。

 幸いなことに、早稲田大学では戦前を偲ぶことができる。名建築揃いで、創立当時から現在までの校舎が健在である。東京専門学校当時の洋館の面影(保岡勝也)は、大隈講堂(佐藤功一、佐藤武夫)脇のオープン教育センター分室で辿ることができる。かつての大隈邸馬丁小屋である。会津博物館、演劇博物館(今井兼次)、政経学部三号館、商学部十一号館、演博隣の六号館(いずれも桐山均一)、文学部(村野藤吾、菊竹清訓)、理工学部(安東勝男、鈴木恂、古谷誠章)、人間科学部(池原義郎)と枚挙にいとまがない。さて、絵を描くことで、ここに学んだ多くの先輩と会話を交わそうではないか。

(2005年10月29日掲載)




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First drafted 2005 October 29.