法学学術院助教授
澤田 敬司
(さわだ・けいじ)
   早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻博士課程、豪国立マッコーリー大学大学院批評・文化研究専攻博士課程修了。Ph.D.取得。早大演劇博物館助手、シドニー大学講師を経て現職。主著に『オーストラリア映画史』、『アボリジニ現代美術展:精霊たちのふるさと』(共著)、『オーストラリアのマイノリティ研究』(共著)。筆名は佐和田敬司。 >>webサイトへ
 Communication around the World

オーストラリア
オーストラリアに見る 多文化主義の光と影

法学学術院助教授 澤田 敬司

ウルル(エアーズ・ロック)周辺は
アボリジニが大昔から生活をしてきたウルル(エアーズ・ロック)周辺は、1986年、オーストラリア政府からアボリジニの元に返還され、今も一部のアボリジニが昔ながらの生活を続けている。現在はオーストラリア公園局とアボリジニがウルル一帯の国立公園を共同で管理し、観光収入の一部がアボリジニたちの生活の支えにもなっている。

多文化主義をゆるがす 出来事

  オーストラリアは多文化主義を国是に掲げる国家である。一九七〇年代にはすでに白豪主義と完全に決別し、アジアからも多くの移民や難民を迎え入れてきた。その国是は、現在でも守られているはずなのだが、実際に社会のさまざまな局面で、軋みが目立ってきている。

 二〇〇一年、オーストラリア・クリスマス島沖で木製フェリーに乗ったアフガン人難民四百三十四人をノルウェーの貨物船タンパ号が救助。しかし、オーストラリア政府は難民の受け入れを拒絶し、結局、難民はナウルとニュージーランドに受け入れられた。このタンパ危機と呼ばれる事件や、同様にオーストラリア沖で密航船が沈没して三百五十三人の犠牲者が出たSIEV X事件、さらにはサウスオーストラリアの砂漠にあるウーメラ難民収容所で起きたハンガーストライキを機に明るみに出た難民への過酷な扱いは、国内に大きな衝撃と論争を呼び起こした。

 不穏な軋みは、先住民アボリジニの周囲でも聞こえてくる。九〇年代に連邦最高裁で出されたマボ判決とウィク判決は、白人が入植を開始する前提であった「テラ・ヌリアス(無主地)」という概念を否定し、「先住権原」を認めた。この判決に基づき次々と返還・補償される土地をめぐって、アボリジニと、奥地で生活を営む白人の間での、不協和音が生じている。

岐路に立つ オーストラリア社会

  感情的なもつれは、オーストラリア社会が先住民との「和解」を推し進めてきた現代において、思わぬ反動を生じさせている。恥ずべき歴史に向き合おうとする態度が首相によって「黒い腕章史観」(日本の「自虐史観」とよく似ている)と揶揄され、また歴史学者キース・ウィンシャトルは、これまで言われてきたアボリジニに対するあまたの迫害事件が口承にのみ基づいており、歴史資料では立証されないと断じた。これに対して、アボリジニの側に立った反論も噴出し、議論は決着を見ていない。

 多文化主義の国、オーストラリアは今、そのアイデンティティーをめぐって揺れている。統一されたアイデンティティーで国家をまとめるのか、それとも複数のアイデンティティーを持った国家像を描くのか、この対照的な考え方をめぐって、論争は絶えない。そしてこれらの論争を日本に当てはめてみると、驚くほど多くの類似した問題をあぶり出してくれるのである。最後に、紹介してきたようなオーストラリアの現実について知りたければ、早稲田大学オーストラリア研究所編『オーストラリアのマイノリティ研究』(オセアニア出版社刊)を、ぜひ読んでもらいたい。

オーストラリアのマイノリティ研究
早稲田大学オーストラリア研究所 編/オセアニア出版社(2005年)
 学際的なアプローチで、オーストラリアのマイノリティを多面的に論じた入門書。移民、障害者、ジェンダー、言語政策、文学、食文化などの視点からマイノリティの諸相をあぶり出す。また先住民アボリジニにも焦点を絞り、政策、教育、アルコール問題、文学・演劇・映像における表象を切り口に、彼らを取り巻く状況を明らかにしている。

(2005年10月29日掲載)




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First drafted 2005 October 29.