長谷川 耕造さん
長谷川 耕造
(はせがわ・こうぞう)
1950年神奈川県生まれ。71年早稲田大学商学部を中退し、ヨーロッパを放浪する。73年(有)長谷川実業を設立し、高田馬場に喫茶店『北欧館』をオープンする。76年『六本木ゼスト』を皮切りに、『ラ・ボエム』、『ゼスト』、『モンスーンカフェ』、『タブローズ』、『ステラート』、『権八』と、イタリアンからメキシカン、エイジアン、和食など、次々に新しい業態のレストランを東京都内を中心に多店舗展開する。97年株式会社グローバルダイニングへ社名変更。同社取締役社長、CEO。99年12月東証2部上場。90年頃からマラソンを始め、去年まで12回ホノルルマラソンに参加している。
 痛快! 校友インタビュー

株式会社グローバルダイニング取締役社長・CEO
長谷川 耕造さん

「モンスーンカフェ」や「ラ・ボエム」、「ゼスト」といった話題のカフェ、レストランを数多くプロデュースする(株)グローバルダイニング。
創業者であり、社長を務める長谷川耕造さんは、業界のカリスマ的存在。
本学商学部を2年で中退し、ヨーロッパへ単身放浪の旅に出たという強者(つわもの)だ。
スポーツマンのように凛々しく、さわやかな笑顔にあふれている長谷川さんの経営哲学、人生などをうかがった。



長谷川 耕造さん
「放浪中はパンをかじってね。
貧乏だったけど、大空を自由に、糸の切れた凧のようになれるんですよ!」

―アジアンエスニック料理の「モンスーンカフェ」、イタリア料理の「ラ・ボエム」、アメリカ南西部とメキシコをミックスさせたテックスメックススタイル料理の「ゼスト」をはじめ、さまざまな業態のレストランを経営している長谷川さんですが、お店を創業される前は、大学を2年で中退されてヨーロッパ放浪に出たという話を伺っています。まずは放浪に出た経緯などを教えていただけますか?

 僕は小さい頃から海外に憧れていました。子どもの頃に読んだ海外の児童文学や、クラシックと呼ばれる名作映画を観て、どうしても自分の目で本物を見てみたいと思ったんです。横浜に住んでいましたから、米軍の基地があって、G・I・の人たちがいて、そういう環境の影響もあったでしょうね。

 当時は、例えば五木寛之さんの『青年は荒野を目指す』みたいな小説に触発された若者たちの海外への放浪ラッシュがありました。僕もずっと世界を見たいと思っていたし、大学を卒業しても、日本の会社に勤める気など全くありませんでしたから。片道チケットを買ってすぐにポンと行ってしまったんですよ。あの頃の大学は、優秀な人たちはもちろんいましたが、一般の学生はまるで競走馬が競争を始める前の最後の春をのどかな牧場で過ごしているというような雰囲気で、学生運動があって授業もほとんどなかったので、僕はアルバイトをして海外へ行くための資金稼ぎに明け暮れていましたね。

 よく「放浪の旅に出るなんて怖くないの?」、「無茶じゃないの?」などと言われましたが、戦後の復興が終わって世界的にも経済が安定していた時代でしたし、経済が安定している時は社会も安定しているものなので、死ぬ危険はほとんどないんですよ。そういった意味では、バイクをとばして死んでしまうリスクの方がよっぽど高い。大学を中退したって、今後社会に隷属しなくて済むわけですから、その方がマシだと思っていました(笑)。

 だけど、将来レストランをやるためにヨーロッパを放浪したわけでもないですよ。大体、放浪生活というのは貧乏ですから、いいレストランへ行く余裕なんてまったくありませんし、新しい町に着いたら、まずそこで1番安いタンパク質と炭水化物を探していました(笑)。まぁ、不法就労でしたがレストランで皿洗いをすることが多かったので、仕事をしている間に栄養は補給して、放浪中はパンをかじっていましたね。本当に楽しかったなぁ。大空を自由に、糸の切れた凧になれるわけです。その代わり責任は全部自分で取らなくてはいけません。自分の力で金を稼いで、彼女も自分の魅力でひっかけてね(笑)。あんなにいい思いは、もう一生できないだろうなぁ。

長谷川 耕造さん
「大学時代は放浪をする資金稼ぎのためにアルバイトに明け暮れていましたね。」

―帰国後、高田馬場で「北欧館」という喫茶店を始められたわけですが、それはヨーロッパ放浪がきっかけだったのではないんですね?

 もともと人の下につくのが嫌いで、自分で商売を始めようと思っていましたが、商売につながるノウハウは何も知らなかったんです。これといって他にやれることもなかったし、まぁ喫茶店ぐらいならできるかなという発想でした。そして、どういった店を作ろうかと考えた時に、まずは自分が気に入っているお店をピックアップして、「なぜここに魅力を感じるのか?」という分析を始めました。当時、僕がはまっていたのは、「横浜珈琲館」というお店で、そこはもう一歩足を踏み入れただけで、「ウォー」と言ってしまいそうなくらい雰囲気のあるお店だったんですよ。真ん中にカウンターがあって、コーヒーを煎れる店員の所作が見えたりしてね。そういうのをいろいろ参考にしながら、「単純にコーヒーを売るのではなくて、お客さんを楽しませるエンターテインメント性を持たせた空間が売れる」というアイデアを盛り込んで始めたのが「北欧館」でした。その延長線上で、今のレストラン経営までやってきてしまったというのが本当のところですね。

―話題のレストランを次々と展開するその発想力の源には、放浪生活における経験がお店にお客さんを引き付けるアイデアとなって活かされているのではないか、と推察していたのですが。

 もちろん海外ではいろんな経験をしましたが、放浪とレストラン経営は全く関係がありません。外食産業は投資も大きくなりますし、長期戦なんです。流行りものはすぐに廃れますから、いつも考えているのは「トレンドには流されまい」ということです。最初のアイデアが出ても、それにすぐに飛びつくようなことはしないで、かなりコンセプトを熟成させています。

 例えば、アジアンエスニックのレストランというのは、昔からいろいろありまして、インドネシア料理のブームが来たり、また今度はタイ料理であったり。そういうのを見ながら、「やっぱり身近でありながらもエキゾチックなアジアの料理は魅力的だなぁ」なんて思っていたんです。タイ料理をやるんだったら、タイのコックを連れてくるのが1番早いわけですが、それよりももっと日本人に1番合った形で、アジアを1つのパッケージにして売ったらどうかなというのが「モンスーンカフェ」のコンセプトです。そうしたら耐用年数も長く業態を変えずに続けていける。好き勝手にやっているように見えるかもしれませんが、それでは商売になりませんからね(笑)。合理性も追求しながら、でもそればかりだと面白くなくなって、お客さんの関心が薄れてしまう。その辺のバランスを考えながら、いつまでも怪しさを秘めた会社を続けたいなと思っているんですよ。

―「モンスーンカフェ」や「ラ・ボエム」ができてから10年ほど経ちますが、同じような業態の同業他社がたくさん参入してきていると思います。競争が激しくなる中で、今後の戦略はどのようにお考えですか?

 メディアが中心になって盛り上げてくれた時期はもう終わりました。だけど、それは信念を持ってやってきたことが、たまたま一時フォーカスされただけのことで、僕らは何も変わらず、同じ価値観で続けているわけです。確かにトレンドになった時には、周りのみんながアジアンエスニックを始めたので、あまり儲からなくなりました。儲からなくなってくると、信念を持っていないお店は、「今度は和食だ!」とか言って辞めていくんですよ。そうすると逆にアジアンエスニックへの参入が減ってきますから、収益率が良くなってくる。僕らが正しいと思って続けていれば、何10年か経つと「あそこはオリジナリティーがあるよね」って評価されるようになる。文学でも映画でもみんなそうですよね。クラシックと言われるものは、普遍的な良さがあるから時代を生き残っていける。そういうふうに商売をしたいと思っています。

―信念を持ち続けていくためには、ある程度「これはいける!」というような確信が必要だと思いますが、「ヒットの秘訣」みたいなものはありますか?

 ものがいいだけではヒットはしないんです。歌手の世界を見ても、歌がうまい人が必ずしもスターというわけではないでしょう。単純に言えば、常に違うことをしようとか、違うことを提供しようと考えることが大切です。そんなに難しいことじゃないですよ。ただ大勢の人が考えることと反対のことをやればいい。「人と違うスタンスでいたい」という我の強さが必要ですね。だから、クリエイティビティーが高い人には、嫌なヤツが多い(笑)。僕の場合には、1度決めたことをなかなか曲げられないだけなんですが(笑)。だけど、間違えたと思ったらすぐに軌道修正しますね。

―今回の『新鐘』は「食」がテーマですが、昨今の日本ではBSEや鳥インフルエンザといった食の安全性の問題が取りざたされていました。また、ヨーロッパではスローフードの文化が見直されてきているようですが、このような食を取り巻く現在の環境についてはどうお考えですか。

 食の安全性に関しては、今のこの状況を見る限り、人間が生物としてのピークを超え、今後衰退していくのではないかと危惧しています。こんなに清潔にしてしまったら人間の免疫機能は落ちる一方だと思うんです。免疫機能というのは、人間の機能の中でも1番大切なものの1つでしょう。家畜にしても「無菌豚」とかね。無菌にするために抗生物質とか、成長ホルモンやステロイドを注射している。そういう状況は考え直していかないとまずいんじゃないかなぁ。

 そもそも人は皆、健康で長生きをしたいと考えているわけですが、おいしいものには毒が多い。毒と言うと聞こえは悪いのですが、霜降りの牛肉を毎日食べていたらどうなるか。それこそスローポイズンですよ(笑)。だけど脂がうまみだということは間違いありませんし、適度な量は身体にとっても必要です。おいしくて健康的なものがあれば、それがもちろん理想なのですが、そういうバランスの取れたメニューを開発する必要がありますね。

 スローフードに関しては、レストランの経営者としては、ランチに「1時間待ってください」と言うわけにはいきませんから、時間がかかるところはちゃんと仕込みをしておいて、お客様がオーダーをされた際にはパッと出せるようにしたいですね。スローフードというのは、家庭でやるには非常に面白いと思いますよ。おいしいものを食べるには、やはり手間暇かかりますから。

長谷川 耕造さん
「楽しく、フェアに競争しよう。それが僕の会社の方針です。」

―グローバルダイニング社では、徹底した実力主義による経営が進められていると伺っています。毎日が競争で、周りはみんなライバルだと、人間関係がぎくしゃくしてくるのではないかと思いますが、会社内での雰囲気は、どのような感じなのでしょうか?

 1部、2部、3部とあって、毎年入れ替え戦をやるような、プロのスポーツリーグを運営している感じに近いですね。毎日行われるゲームの中で、本当に自分の力を上げたいと思う人だけが集まればいい。スポーツのようにフェアに競い合えば、人間関係がぎくしゃくするようなことはないと思います。

 世の中は競争で、それに負けたら会社は潰れてしまうわけです。競争は言い換えればチャレンジすること。それこそが生の証だと思うんですよ。人間が生きている間は、心臓が、この筋肉の塊がずっとチャレンジし続けているわけで、心臓が止まったら「死」を迎えるわけです。そもそも競争って本当は楽しいことなんじゃないのって僕は思います。何か好きなことにチャレンジしていれば、みんな目がキラキラ輝いてくるし、人生を楽しく生きるための道具になるじゃないですか。ビジネスでも、スポーツでも、趣味でも何でもいい。どうしても解けないゲームがあって、それをなんとか解いてやろうとチャレンジするのは、ゲームとの競争でしょう。そういうふうに、僕らは接客が好きで、みんなで楽しく競争して、食いぶちもちゃんと稼げる会社にしたいと思っています。

 日本の場合、受験勉強の競争があまりに過酷なので、みんな競争が嫌いになってしまうんでしょうね。人生の中でも1番楽しい時に、すべてを犠牲にして、訳の分からないものをたくさん暗記させられて。気が付いたら枠に入れられて、ヨーイ、ドンで走れっていうんだから、こんなに非人間的な競争はないですよね。僕などは、やりたくなくて仕方がなかったけど、逃げる言い訳が立たなかったからやっただけで。みんなつらいわけだし、フェアな競争だとは思いますよ。そういう意味では、学生の皆さんはつらい受験勉強をくぐり抜けてきたわけだから、今こそ夢中になってできる何かを見付けて、チャレンジしてほしいですね。

―今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。最後にもう一言、早稲田の学生たちへのメッセージをお願いします。

 僕はいつも会社に面接を受けにくる新卒者に、「大学を卒業して、他に何もやることがないから、とりあえず就職するんだろ? 違うヤツは手を挙げてみろ」と聞くのですが、誰も手を挙げないんですよ(苦笑)。

 「人生は1回しかないのだから、やりたいことをやりなさい」。もう、これに尽きますね。地球に住んでいる1人の人間として、自分がどうやって生きたら、悔いを残すことなく死を迎えられるか。そういう考え方ができれば、大学を卒業する前に1年ぐらい休学して、やりたいことをやってみるのは決して悪い選択ではない。僕の時代と違って今は日本、フランス、カナダ、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドで、「ワーキングホリデー」といって、25歳ぐらいまでは学生として仕事をしながら放浪ができる。行ったからといって、必ず肥やしにできるとは限りませんが、若いうちに1人っきりで世界中の人とコミュニケーションするなんていい経験になると思いますよ。ぜひチャレンジしてみてください!

(2004年7月7日掲載)




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First drafted 2004 July 7.