オーストラリア
オーストラリアの食べもの
―幼い頃を中心に―

筆者の父親
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1960年、私はオーストラリアのBombala(ボンバーラ)という人口わずか2,000人の田舎町に生まれた。母の家族はスコットランドからの移民で、私が生まれた頃は、100年以上ボンバーラの近くで大規模な牧場を経営していた。だから母はほとんど牧場で作れる農作物ばかりを食べて育ったという。私が幼い時も、毎朝祖父の絞る牛乳がアルミのバケツいっぱいに湯気の立つ泡で溢れそうになりながら台所に届けられていた。鳥のさえずりが飛び交う朝の光の中で、祖母と母が丁寧にミルクとクリームとを分ける姿は今も限りなく懐かしく思い出される。
朝食は1年中「porridge」(お粥のようなもの)を食べる。春と夏は「semolina」(粗い小麦粉)で、秋と冬は「oats」(カラス麦)でそれぞれ作られる。午前中の一休みの時は紅茶に、例えば焼き立てのスコーンが付く。
昼食(「dinner」と言っていたが)は一日の中で最も大きな食事で、必ずスープで始まる。続いて肉と煮た野菜、そしてデザート。肉は毎日同じで、牧場で育った羊肉、それも子羊ではなく大人の羊で(英語では「mutton」と言うが)、やや癖のある味である。肉は牧場で働いてくれる人たちの給料の一部であったため、祖父は定期的に羊1頭を屠ほうり、皆に分けていたようである。たまに羊肉の代わりとして、祖母が飼っていた鶏を食べた。母は子どもの頃、姉と2人で割り当てられた家事の中で、鶏を殺し羽を全部引き抜く作業が1番苦手だったそうである。
夕食(「tea」と言っていたが)は比較的軽く、オーブンで焼いたマカロニ・チーズやトーストの上にキノコのソースといったものを食べていたように記憶している。
祖父母の牧場は、子どもであった私にとって興味の尽きない面白いところであったが、間もなく父の転勤に伴い、私の一家はオーストラリアの3大都市シドニー、メルボルン、アデレード、やがてまたシドニーへと引っ越しを繰り返した。そして、引っ越しとともに、母の牧場料理は少しずつ変わっていったように思う。
都会に住めばいろいろな食べ物が手に入るのはもちろんのことだが、オーストラリアの食生活も1970年代に入ってからは大きく変化した。終戦から30年が経ち、母国の恥であった白豪主義政策もようやく73年に廃止され、戦後移民あるいは難民として移住してきた人々がそれぞれ持ち寄った食べ物や料理が普及していった。やや遅かったとは思うが、私たち一家が「イタリアの野菜」として考えていたトマトやズッキーニを初めて食べたのはおよそ75年だっただろうか。両親も同じ頃ワインを飲むようになり、私が初めてピザを食べたのは確か高校3年生で、ベトナム料理屋に初めて行ったのは大学に入ってからである。
食べたことのない物をドキドキしながら試してみるのも遠い昔の話になった。今やオーストラリアは多民族国家で、総人口2,000万人のうち、ほぼ4人に1人は外国生まれだという。これといった代表的な食事はないが、「fusion」というはやり言葉が現在のオーストラリア料理にも当てはまるかも知れない。魚のグリルにイタリアのバジルも日本のわさびも入ったソースをのせる。食後のデザートに柿の入ったプリンなどはいかがだろうか。
もっと詳しく知りたい人は… オススメ本
Victoria Alexander、Genevieve Harris著
『A Taste of Australia: The Bathers Pavilion Cookbook』
Ten Speed Press、1995年
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(2004年7月7日掲載)
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