商学部教授 小川利康
商学部教授
小川利康
(おがわ・としやす)
1963年生まれ。91年早稲田大学文学研究科博士課程退学(中国文学)。同年大東文化大学専任講師を経て、96年早稲田大学商学部専任講師。2004年から商学部教授。専門は中国近現代文学。近代屈指の随筆家にして知日家である周作人を研究している。
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 世界の食文化

中国

中国の食文化・食事情
―「食」は世につれ、世は「食」につれ―

中国の寿司屋。「鮪たたぎ」に注目!
中国の寿司屋。「鮪たたぎ」に注目!

中国で人気の吉野家メニュー(鳥牛コンボセット)

 変貌著しい中国。その影響は経済面のみならず、実に広範な範囲に及ぶ。世界に冠たる中華料理もまた例外ではない。中国人は口を揃えて中華料理が最高と言う。だが、その中華料理自体、長い歴史の中で異民族との交流融合を通して大きく変貌してきた。今もまた大きな変貌期を迎えつつある。

 われわれのイメージする中華料理の特徴と言えば、円卓を囲んで多人数で食べる大皿料理ではないだろうか。日本では「一つ釜の飯を喰った」友達といっても、実は別々に「据え膳」で食べるのに対し、中華では「料理を分け合う」ことが重視される。ホストがゲストに大皿から料理を取り分け、ゲストが礼を述べる、そんな好意の交換儀式をとおして、互いに親密な関係を再確認してきた。広東、四川など各地で中華料理も風味は大きく異なるが、この点だけは変わらない。

 最近の中国では、かつての社会主義体制を「大鍋飯(ダァグォファン)」(大鍋で作った食事)と呼んで、一律の平等を悪平等として批判する。だが、「大鍋飯」もまた中国社会の一側面をよく示すものである。料理を個別に取り分ければ必然的に差が出る。量の多寡、肉のうまい所、まずい所、同じ料理でも完全な公平平等は無理だ。『論語』にうたわれているように「寡(すくな)きを患(うれ)えず、均(ひと)しからざるを患う」のが、中国人古来の心理構造だから、悪平等も次善の選択である。料理を経済に置き換えて考えれば、中国がなぜ独特の社会主義を発展させてきたかが分かるだろう。

 しかし、「窮(きわ)むれば則(すなわ)ち反(かえ)る」と『荘子』にもあるように、我慢にも自ずと限度がある。改革開放へと転じて以来、人々は我慢するのをやめ、「寡きを患え、均しきを患う」ようになった。自分より高給の同僚は気に食わないし、息子が北京大学に合格せねば満足できない。望みが高いと人間は忙しくなる。仕事はサボれぬ上に、子どもの勉強も見なければならない。一家で食事を楽しむゆとりも失われた。仕事の傍ら1人で宅配弁当を食べ、子どもと外食するようになる。日本同様、中国都市部でも「個食」が日常の食事風景として定着している。

 北京では都市再開発で古い町並み(胡同(フートン))が姿を消す一方で、大規模ショッピングモールが競うように建設され、その上層階には点心など軽食を売る店が一角を占め、「個食」需要に応えている。その中には日本の牛丼、回転寿司、ラーメンも出店して人気を博し、すっかり定着している。こうした日本料理ブームは香港や台湾から北上してきたもので、上海伊勢丹近辺を歩くとラーメン、喫茶店など、まるで新宿3丁目にいるような感覚に襲われるほどだ。昨年夏、回転寿司屋で食事した際、中国の友人は大真面目に「回転寿司は日本のハイテクと伝統文化の見事な融合だ」と絶賛するので、私は返事に困ったのを覚えている。

 量が少ない、味が単調と悪評ばかりの日本食が中国で浸透した謎を解く鍵は、この「個食」にあると私は考えている。むろん中華料理でも「個食」は可能だが、丼物、寿司、ラーメンほど一品で完結した「個食」は中華料理にない。丼物などB級グルメもよいところだが、現在の中国人の生活スタイルに合致したのであろう。食文化は社会を映す鏡である。日本料理すらも中国化しつつ、中華料理は新たな進化を遂げるに違いない。

 もっと詳しく知りたい人は… オススメ本

張競著
『中華料理の文化史』
筑摩書房、1997年

(2004年7月7日掲載)




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First drafted 2004 July 7.