スポーツ科学部助教授 杉山 千鶴
スポーツ科学部助教授
杉山 千鶴
(すぎやま・ちづる)
1961年生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専修卒業、お茶の水女子大学大学院舞踊教育学専攻修了。81年早大モダンダンスクラブで踊り始め、83年から東京創作舞踊団(藤井公・利子主宰)の活動に参加している。現在、早稲田大学スポーツ科学部助教授。専門は、実践はモダンダンス、研究は1920年代の浅草の舞踊とその女性ダンサー。
 ショートエッセイ

1920年代の浅草軽演劇における舞踊スタイル

スポーツ科学部助教授 杉山 千鶴

河合澄子
↑「発展女優」
河合澄子
(歌劇の絵葉書より)
沢モリノ
↑「歌劇女優」
沢モリノ
(歌劇の絵葉書より)

 1920年代の浅草は、娯楽の中心地であった。活動写真をはじめ、軽演劇や歌舞伎、新派劇等々、多くの大衆文化がひしめいていた。中でも軽演劇には、浅草オペラや浅草レヴューによって、浅草の大衆に洋舞を紹介したという意義がある。その洋舞はバレエを基盤とし、従って脚部の運動を中心とした。

 浅草オペラの舞踊では、メリヤスのタイツに包まれた脚部が、スカートを翻しながら、目まぐるしく現れては消えた。ちなみにこの当時は、直線裁断された和服によって、女性の身体はそのラインすら分からなかった。浅草オペラの舞踊が「股」上げ踊りと記述されたのは、その衝撃の大きさ、そして舞踊運動として、脚部の挙上が必須だったことを示す。

 浅草オペラの隆盛を招く契機となった東京歌劇座で、その人気を2分した沢モリノと河合澄子を比較すると、オペラ女優にとって舞踊の技術は不問であったことが分かる。沢の魅力はキュートな容姿、軽やかで高度なテクニックのダンスにあった。一方の河合は、舞踊を苦手としつつ、肉付きの良い体型で妖艶さを振りまき、上目遣いに客席を見つめ、鼻にかける声で歌詞を語りかけるように歌うなど、自らの女性性を最大限に発揮、さらに劇場外でも精力的に活動して「発展女優」の称号を得、常に紙誌に登場した。

 これが浅草レヴューになると、ジャズ音楽の流行と時代的なテンポの加速に伴い、脚部の運動の速度と域が増し、それに伴い衣裳も小型化し、ミニスカートや短パンでナマ足を披露して踊るようになる。脚部の運動を中心とした舞踊は、バレエがほぼ毎日のレッスンを前提とするように、トレーニングの必要性が高い。しかも衣装のために、鍛練度や技術が露呈してしまう。浅草レヴューでは、浅草オペラよりも舞踊の比重が増したこともあり、技術は当然不可欠となる。レヴューガールが技術を駆使して披露する舞踊は、単なる運動のレベルを脱し、高度な技術の生み出す印象や効果をも含めた舞踊作品として、観客の目に映ったのである。

(2003年12月15日掲載)




Copyright (C) 2003 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2003 December 15.