アジア太平洋研究科教授 原剛
アジア太平洋研究科教授
原剛
(はら・つよし)
毎日新聞社社会部副部長、科学部長、論説委員を経て、1998年から早稲田大学アジア太平洋研究科教授、毎日新聞客員編集委員。著書は『日本の農業』(岩波書店)、『新・地球環境読本―21世紀への提言とメッセージ』(福武書店)、『農から環境を考える―21世紀の地球のために』(集英社)など多数。全国地球温暖化防止推進センター共同議長、東京都環境科学研究所外部評価委員長。
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「環境と持続可能な発展」を考える

アジア太平洋研究科教授 原 剛


アラスカ油田の送油管にツンドラの融解が迫る。温暖化が石油文明の限界を警鐘する(アラスカ地球物理研究所提供)
西部太平洋の外洋生態系における化学物質の濃度(湿体重当たり)と生物濃縮係数
人間は自然の生態系の環を脱することができない。環境へ捨てられた物質は、私たちの足下へ戻ってくる。例えば、PCBは油に溶けるので、母乳を介して子供のイルカへ移し変えられる。有機水銀によって、この循環が人間界に水俣病をもたらした

イルカのPCB汚染の雄雌比較
人間は自然の生態系の環を脱することができない。環境へ捨てられた物質は、私たちの足下へ戻ってくる。例えば、PCBは油に溶けるので、母乳を介して子供のイルカへ移し変えられる。有機水銀によって、この循環が人間界に水俣病をもたらした
環境保全対策が経済に及ぼす効果
経済の新しい需要、雇用の創出が、環境保全対策によって生み出される時代になった
BMW社の水素燃料自動車とフィリングステーション
水素こそ無尽蔵、無公害の究極のエネルギーである。街を走り出したBMW社の水素燃料自動車とフィリングステーション
水素製造、充てん工場
ドイツの13の企業が特許を持ち合って完成した水素製造、充てん工場(いずれもミュンヘン空港にて、筆者撮影)

現場から社会の動態に即して

 私は1961年に毎日新聞社の記者になった。日米安全保障条約改定の是非に世論が鋭く分裂し、在学後半の早稲田キャンパスは終日反政府デモで騒然となり、どの学部にも「休講」木札が連なっていた。

 政治の季節、と称されたそんな時期の記憶がまだ生々しい社会状況は、「国民の皆さんの財布の厚さを2倍にしてみせる」と請け負った首相の登場で、政治の季節から経済へ、それも世界が目を見張った高度経済成長の時代へ一転していく。

 農業基本法(1961年)と全国総合開発計画(62年)により、日本の社会は昭和の近代化、すなわち大規模な工業化と都市化へ向かって疾走し始めた。

 当時の日本経済は開発途上国の水準にあって、東京湾の埋め立て・工業基地化から東海道新幹線の建設まで、外来の開発資本の導入を必要とした。したがって、途上国開発理論の教科書とされたハーシュマンの「経済発展の戦略」やロストウの「経済成長の諸段階」が政策決定者たちに競って読まれていた。

 そのような高度経済成長時代の開始と同時に、私はジャーナリスト、それも事件を担当する社会部の記者となった。

財布は膨れたが

 全国総合開発計画は、拠点開発による高度成長経済を狙い、北海道の「道央地区」から宮崎県の「日向、延岡地区」まで全国15カ所に「新産業都市」を指定し、工業開発の拠点とした。

 一方、農業基本法は農業の経営規模を拡大し、効率を高めることで、農業従事者の労働生産性を工業労働者と同じ水準に並べようと図った。高度成長経済の体制によって、確かに日本人の財布は膨らんでいった。しかし、日本の社会はかつて体験したことのない混乱に遭遇することとなった。

 産業公害の噴出と環境破壊、農村地域社会の混乱と生態系のかく乱が、日本列島の自然環境、人々の健康と安全を脅かし始めたのである。

 効率を追求するための生産様式の規格化、一律化は、工業分野から農業生産の現場で化学肥料と農薬の異常な多投による土壌と農作物の汚染、そして教育の現場にまで及んでいく。例えば、野菜の出荷規格は夏秋キュウリで9〜10種、夏トマトでは20〜22種、秋ダイコンで12〜14種とまるで工業製品のように定められた。

 人類史上に比類ない反自然の行為である。それらは、とりもなおさず教育現場における偏差値の原型である。「規格外」の作物は市場価値のない無用の存在とされ、畑に捨てて置かれた。人間もまた――

日本とは。
自己確認から始めよう

 2003年の今、私たちの社会は四十余年に及んだGNP追求を強迫観念とする思考の枠組み(パラダイム)の崩壊に直面し、その変革に向かっている。産業文明史からみて農業革命、産業革命に続く第3の変革、すなわちエコロジーを科学の土台に据えたエコ革命の時代が到来しつつある。人類の歴史が合目的の方向へ移行する大変化の周期に突入したと言えよう。

 「環境と持続可能な発展」を研究し、自ら実践しようと試みるには、歴史に学び、歴史を創造する文明転換の大事業に向かう気構えを必要とする。何が「持続可能な発展」なのかを考えるには、1961年以降の日本の近代化の歴史を、「環境」という科学の事実に引き寄せて解読し、評価することから始めなければならない。

 本学アジア太平洋研究科で、プロジェクト研究〈環境と持続可能な発展〉に加わっている大学院生の多くは、アジアの開発途上国へ赴き、貧困のさなかで社会・人間開発に協力することを望んでいる。既にその経験を有する者もプロジェクトに多数参加している。

 環境先進国を標榜し、環境ODAの展開を国策とする日本が、自らの社会の近代化の40年をどう総括し、いかなる自画像と自己確認を持ってアジアの民衆に向かい合おうとしているのか。

 実証研究を主眼とする私たちのプロジェクトの、それが研究主題である。

 このような考え方に基づき、小論の課題である「環境と持続可能な発展」とは何か、フィールド調査に基づいて、プロジェクト同人たちが共有してきた概念をここに記述したい。

 多くの社会科学、人文科学、自然科学の分野が、それぞれに「環境」の冠を付ける時代となった。私たちのプロジェクトは社会の動態を最重要視し、「問題解決」型の横断的な研究を主眼としている。

 あえて研究の分野を区分するならば、環境社会学、法律学、農業経済学となろうか。

環境・持続可能・発展とは何か

 私はジャーナリストとして、日本国内で四十余年にわたり社会の動態を現場に即して取材、観察してきた。同時にこの間、1972年のストックホルムから82年ナイロビ、92年リオデジャネイロ、2002年ヨハネスブルクに至る4度の「地球環境サミット」(国連環境・開発会議)による一連の環境国際条約、開発援助政策の推移を国際会議のプロセスと現場から記録し続けてきた。その経験に基づいて「環境」、「持続可能」、「発展」とは何かを中国、韓国でのフィールド調査なども参考にして記したい。

「環境」について

 私たちは、健やかに生きていくために3つの環境を必要としている。土や水や空気などの自然環境。2つ目は、どのような人間関係、コミュニティの中にいるのかという人間環境。3番目が、自然と人間という2つの環境が重なり合って生まれる歴史や習俗などの文化環境である。人間は、この3つの環境に働きかけ、環境に影響されながら心や精神を作り上げていく。

 環境社会学は、環境の悪化によって人間生活、人間集団、人間社会および社会関係などに生じてくる影響と問題とを研究の基礎的な対象とする。社会科学としての環境科学の柱である生態系の構造を理解し、持続可能な人類社会の経済活動は、地域の独自な生態系と調和しない限り存続し得ない、との認識から始めなくてはならない。

 1960年代に本格的に始まった高度経済成長がもたらした、激しい産業公害と自然破壊の現場は、持続可能(sustainable)な社会、経済活動は、地域の生態系と調和しない限り存続し得ないことを、膨大な公害病患者の発生と自然破壊によって証明した。環境破壊とは、自然が備えている環境容量(carrying capacity)の破綻であり、環境容量とは、科学的な事実に他ならない。

「持続可能性」とは

 持続可能性の概念を地球規模の環境問題と関連付け、国際会議の場で最初に明らかにしたのは、ストックホルム会議でアメリカ政府の首席代表を務めたラッセル・トレイン大統領環境問題諮問委員長であった。

 「経済学者の目標と生態学者の目標の間に、もはや質的な相違があってはならない。今や両者が一緒に住む時が来た。共通の目標は、人間と環境との相互作用について諸事実を十分認識した上で、大気、海洋、土壌、森林を世界的な規模で保護することである」  人間と環境との相互作用、つまり生態系(ecosystem)に経済を調和させよ、とトレイン演説は「新しい哲学」を説いた。

 他方、ストックホルム会議の政府代表演説でブラジルのカバルカンティ代表(内務大臣)は、途上国の主張を代弁して逆説的に問題を提起した。

 「世界の大多数の人々にとっては、大気汚染の防止よりも貧困、栄養、衣服、住居、医療、就労といった問題の改善の方がより大きな問題になっている。先進国が環境への配慮に高い優先順位を与えることを可能にしたのは、紛れもなく経済の成長である。途上国では、開発による資源の蓄積なしに貧困という『汚染』(pollution)を減らそうと努力しても自滅するだけだ」「もっと煙突を、もっと公害を」とマスメディアに単純化され、誇張されて報道されたカバルカンティ演説は、この機会に先進国から追加的な資金援助を引き出そうとする途上国の支持を得て、地球サミットの原名称「The United Nations Conference for Human Environment」に加えて、「and Development」と併記され、92年のリオサミットを機に極めて開発色の強い表現に塗り替えられていく。

「開発」について

 アジア太平洋研究科のプロジェクト研究では、Developmentを「発展」と訳し、「開発」の概念とは一線を画している。日本の高度成長経済拡大期の政策を担った「全国総合開発計画」以来、4次に及んだ全国総合開発計画と、その開発現場とされた地域社会への開発政策の作用と反作用とを実地に検証するとき、developmentが内包する「開発」と「発展」の意義の相違を確認しておく必要がある、と考えるからだ。

 広辞苑などによれば、「開発」とは開き起こすこと、「産業開発」「資源開発」、利益を得るためのexploitationの意味を持つ、スハルト独裁体制のdeveloperなどと表現される。

 「発展」とはのび拡がること、栄えていくこと、物事が低い段階から高い段階へ転化していくことである。growthあるいはexpansionの意により近い。この転化は質的変化であるが、低い段階で暫時的に用意されたものであり、両段階の間には内的な関連がある、と解されている。社会学による「開発」像は公共投資と民間投資を含めて、高度の投資効率を実現しようとする投資戦略であり、「発展」とは無意識的、自主的進歩を指す語感がある。Developmentのような両義性を区分する理由は、日本の公害体験に照らしつつ、アジア、太平洋地域で「環境と持続可能な発展」を考察するからには、Exogenous(外来型)とEndogenous(内発型)Development(註1)の2つの歴史的類型への認識を深める必要があると考えるからである。

変革の過程に持続可能性が

 米国の人口学者ポール・アーリックは、人間の諸活動が環境へ及ぼす影響を1=PATという式で計算、予測している。
 1:Environmental Impact
 P: Population
 A: Affluence
 T:Technology

 つまり、「環境への影響」=「人口」×「1人当たり消費量」×「産業技術の質」であるという。人口は絶対数と増加率、消費量は社会の経済システムの表現だ。所得とライフスタイルで決まる。技術は例えば、農薬多投型栽培技術では環境への負荷が大きくなる。他方、火力発電所で原油を燃やし生産する熱が電気に置き換えられる率は、かつて30パーセント台だったが、今ではガスタービンとボイラーを組み合わせたコンバイド・サイクルによって約50パーセントまで高まっている。

 このような考え方によるならば、持続可能とは「天然資源の開発、投資の方向、技術開発の方向付け、制度の改革がすべて1つにまとまり、現在および将来の人間の欲求と願望を満たす能力を高めるように変化していく過程を言う」(『環境と開発に関する世界委員会の報告書』)ことになるだろう。

 開発と関連付けて環境を考えるときに私たちが心すべきことは、環境破壊の構図にはpollution of affluence(経済成長が原因の環境汚染)とpollution of poverty(貧困がもたらす環境破壊)の2種があることだ。工業先進国では前者が、アジアの開発途上国では2種が同時に進行している。故に私たち日本人は、日々の暮らしにひきつけて「affluence」のあり方を検証していく必要がある。

 バングラデシュの人口増加率は年に2,2パーセント、毎年300万人が増えている。しかし、資源、エネルギーの消費量と環境への負荷の程度は増加率0,3パーセント、増加数18万人のイギリスよりも少ない。南北経済格差の拡大と、南北問題に通底する環境の危機の時代には、人口一つ取っても持続可能な社会への過程を、資源、開発の在り方と関連させて構造的にとらえる視点が必要となる。

(2003年7月7日掲載)




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First drafted 2003 July 7.