理工学部非常勤講師・臨床心理士 高塚雄介
理工学部非常勤講師・臨床心理士
高塚雄介
(たかつか・ゆうすけ)
1945年旧満州国大連市生まれ。中央大学文学部卒。臨床心理士。中央大学学生相談室、早稲田大学学生相談センター(現総合健康教育センター)勤務を経て、2001年から早稲田大学理工学部講師も併任。常磐大学助教授。
 インタビュー

自立社会の落とし穴
〜増え続ける大学生の不登校〜
理工学部非常勤講師・臨床心理士 高塚雄介

 大学生の「ひきこもり」あるいは「不登校」が急増中だ。大学というところは、授業に出るのも何をするのも学生の自由意志にゆだねられている場所ではあるが、そうとばかりも言っていられないほど病理は進行している。この状況を私たちはこれまでのように「甘えている」「根性がない」などという言葉で切り捨てていって良いものだろうか? 教育の現場で実際に起こっているこうした若者たちの心の歪みを正確に把握し、問題としてとらえ直すため、学生相談室カウンセラーで現在、理工学部で精神衛生学を教えておられる高塚雄介臨床心理士にお話しをうかがった。

―まず、大学生の不登校の状況について教えてください。

高塚:大学生の不登校は非常に増えている傾向にありますが、実態はなかなかつかめていません。小中学生の場合、年間30日以上学校に出て来られない子どもたちは、教育委員会を通して報告されています。しかし、大学生の場合は授業に出てこないのが不登校かというと必ずしもそうではありません。昔から授業には出てこなくても、試験のときだけやって来て、きちんと単位を取って卒業していく学生がいました。彼らは学校に出てこない代わりに、サークル活動に熱中していたり、アルバイトでお金を貯めて外国へ行っていたり、何かをやっていたんですね。ところが、今の不登校というのは、1日中家の中にこもりっきりになってしまう。昼間は知っている人に会うのが嫌だから外に出ることはなく、家にもいないかのように雨戸を閉めて、カーテンをしてひっそりしている。この状態が半年から1年、そして2年、3年と続くようになる。そういう大学生が増えてきているのは事実です。

 大学では普段出欠を取っているわけではありませんから、不登校を具体的に調べることができません。ただ、語学などの限られた授業では出欠を取ることもありますから、そういった科目の先生方を通して、授業に出てこない学生に手紙を出すという試みも始まっています。しかし、早稲田のように5万人近い学生が在籍していると、これを全学的にやるというのはなかなか難しい。基本は学生相談室で不登校の学生の把握に努めているという状況です。

 しかし、相談室に本人から来る例というのは非常に少ない。不登校の学生の情報がもたらされるのは、ほとんどの場合親からです。特に3年生、4年生になって、周りの人がリクルートスーツを買って、就職活動に動き回っているというのに、サッパリ動いている様子がない。学校に電話をして調べてみたら、単位を取っていないと聞かされて、相談が持ち込まれるケースが多いですね。

 例えば香川大学で大学生の不登校について調べた結果があります。これも本当に実態をつかんでいるか分かりませんが、少なく見積もっても全学生の1パーセントは不登校であるということです。早稲田の場合、5万人のうちの1パーセントが不登校ということになると、500人はいることになりますね。でも、実際はそんなものでは済まされない。もっと多いのではないかと思います。

―マスコミなどの報道では「不登校」や「ひきこもり」の原因として、「甘え」があるのではないかというような論調も目立ちます。先生はどのようにお考えですか?

高塚: 私は、彼らの中に甘えがあって社会に出られなくなっているとは見ていません。確かにそういう人がいないわけではありませんが、むしろ人間関係につまづいて、恐れを抱くようになった結果、人とかかわる場面を避けていくようになったと考えています。人間関係を避けるようになれば授業だって、サークルだって、アルバイトだって、人が人とかかわらないで生きていくことは、都市社会の中ではほとんど不可能ですから、ドロップアウトしてしまうしか方法がなくなってしまうわけです。

 人間関係の中で傷ついたり、戸惑ったりするのは誰しもが経験することですが、それを乗り越えるだけの体験が少ない。ちょっとしたトラブルや、言葉の行き違いが、ひきこもりのきっかけを作ることがあります。

―しかし、大学に入るまでの間にも学校に行ったり、塾に行ったりしてきたはずですが、人間関係の体験が少ないというのは一体どういうことなのでしょうか?

高塚: いろいろなことが言われていますが、例えば少子化によって、家の中で同年代の子ども同士が仲良くしたり、あるいは喧嘩をしたりという体験が少なくなってきていることが挙げられます。幼稚園や保育園に行けば、そういう体験もするのですが、幼稚園や保育園の側がトラブルが起こることを警戒して、子どもたちの間にいざこざが起こるとすぐ無難に収めてしまいます。本来、子どもというのは擦り傷を作るぐらいの喧嘩はしなくてはいけないんです。自分が傷つけられて痛い思いをしたときに、だから相手も傷つけちゃいけないんだということを言えば説得力もありますよね。

 また、最近では学校が終わると、自然発生的に近所の子どもたちが集まって、一緒に遊ぶということも少なくなりました。親も自分の目の届かないところに子どもが行くことを不安に思っています。子どもが遊ぶ場所も、相手も、内容にまで親が干渉するようになった結果、子ども同士のかかわり合いがすごく表面的で薄っぺらなものになってしまいました。それでは人間関係にうまく馴染めない人が現れても不思議ではありません。

 また、今の子どもたちは自分にこだわりを持つように育てられていることも、原因の1つに挙げられます。例えば、大学に来ていろいろな人と意見が対立するようなことがあると、気の弱い人などはディスカッションするのが苦手になり、「何か言われるんじゃないか」と怯えてしまいます。しかしその時「人に頼るな」とか「自分に主体性を持て」と強制的に言われ続けてきましたから、困ったり、悩んだりしたときにも誰かにうまく助けを求めることができないんです。そうすると、いつまでも自分の中で悶々として、結局戦線離脱してしまう。比較的偏差値が高い学歴を生き抜いてきた人たちの中に、不登校やひきこもりになる人が多いのはこういったケースです。

 大学生の不登校も、実は時代と共に少しずつ変化してきています。初期のころの不登校は所謂「5月病」と言われていたものです。これはカルチャーショック的なもので、今までとあまりに違う生活パターンや大学の雰囲気、そして地方から東京に出てきた人は、都会の雰囲気についていけなくなった結果、起こる現象です。5月病はそのうち治って、学校に戻ってくる場合が圧倒的に多いのであまり心配はいりません。

 その次に問題になったのが、「アパシー」と言われているタイプです。これはまさに学歴社会の落とし子とでも言うべきでしょうか。小さいころから良く勉強ができて、親や先生の期待を一心に背負ってきた子どもは、中学生ぐらいになるとその期待に応えることに一所懸命になります。ところが偏差値の高い高校に行けば、周囲には自分以上に力を持った人たちがいます。そこで今までのようにクラスで1番という成績が維持できなくなってくると、焦りが生じ、つまづいて、高校を中退してしまうことさえあります。それでも何とか自分の目標の大学に入れば、もう1度みんな自分に期待をかけてくれるだろうと思って頑張ります。しかし、行きたい大学に入れなかったとき、いつまでも「なぜ入れなかったのか」とか「本当は入れるハズだ」ということにこだわっていると大学に来ても面白くありません。そういう気持ちを抱えたまま、今度は人と比較されるような場面に直面すると急激に無気力化していきます。

 実は大学の語学の授業が1番無気力になるきっかけを作りやすいということが指摘されています。語学というのは授業中先生が学生に当てて答えさせることがよくあります。先生に当てられて、うまく答えられなかったりすると、自分の実力をみんなの前でさらけ出すことになってしまい、それからその授業に出るのが嫌になってしまうのです。多くのアパシーは、語学の授業のエスケープから始まって、初めは他の授業には何となく出ているのですが、語学を欠席していると試験は受けられなくなりますし、単位がもらえなくなる。下手をすると留年になって、卒業にも響くということになるといよいよ他の授業にも出られなくなって、本格的な不登校になる。これは学歴や偏差値がものすごく重視された時代に1番目立った現象でした。

 ところが、1990年代の後半になると、社会があまり学歴にこだわらなくなってきました。「いい大学を出て、いい会社に就職して」も将来が保障されないという現実が分かってくるようになると、アパシーになるような人は減ってきたんです。その変わり増えてきたのが、自分に強くこだわるために、傷ついたり、主体性を発揮できないような場面になると、対人関係を避けようとするタイプです。よく「他人にとやかく言われたくない」などということを言う人に多いのですが、これは「自分を大事にしろ」と親から言われ続けた結果なのです。現代のように自立を強制するような傾向が強まれば強まるほど、世の中には努力をしても報われないということが多々ありますから、このタイプはこれからもっと増えることになるでしょう。

―家庭での教育に問題があるとなると、根はかなり深そうです。何か良い解決策はないのでしょうか?

高塚: まず、人間関係の学習を小さい時からもっと体験することが必要です。また、「人に頼るな」と言って、自立ばかり強制するのではなく、自立するために必要なサポートをしてあげるべきでしょう。「自立」というのは自分をまず律することから始まります。自分を律することができないうちから、「主体的に何かをしろ」と言われても不安になって「孤立」してしまうだけなのです。世の中には嫌なこともあれば、楽しいこともある。楽しいことだけでは済まないし、嫌なことをやらないで済むかというとそうではない。そのことを実感として分かったときに初めて、自分の主体的な意思が育まれるのであって、それが分からないまま自立と言うのはいたずらに不安を煽る強迫でしかないのです。

 困ったときには誰かに頼ってもいい。人間はみんなどこかに弱さを持っていて、その弱さを共有できる社会というのが本当は生きやすい社会なのではないでしょうか。強さばかりが強調される社会では、弱さ1つ見せられませんから、みんな常に警戒していて、なるべく自分を見せないように必要最小限のコミュニケーションしかしないようになります。そんな状況は非常に生きにくいですよね。日本では社会全体が競争原理に基づく構造改革が起こるはるか前から、教育の世界でいち早くそれを実現していました。競争の道具として偏差値が使われ、学歴が使われていたわけです。しかし、まだ成長の過程にある子どもたちに早くから、競争意識だけを刷り込んできたことに問題があったと思われます。世の中にはもっといろいろな価値観があって、判断のものさしは、勝ち負けだけではないという価値観を育む必要があるでしょう。

―ひきこもりたい心理を抱えながら、学校に一所懸命出てきて、相談室にも行けないという人もいると思います。もし、自分がそういう状態になったと思ったら、どうすればいいのでしょうか?

高塚: とにかく、辛くて苦しいという自分の気持ちを誰かに話してみてください。友達でも、親でも、先生でも誰でもいいから、それを打ち明けられる人がいるということが大切です。相談された人はその人の立場でいろいろな助言をしてくれるはずです。その時、すぐには答えが見つからなくても、話したことで少し気持ちが楽になるかもしれません。学生相談室のようなところもぜひ利用してほしいですね。自分1人で抱え込まないで、ひょっとしたら何かヒントになるようなことが見つかるかもしれない。それぐらいの気持ちで気軽に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。

 もっと詳しく知りたい人のための入門書

高塚雄介著
『ひきこもる心理とじこもる理由―自立社会の落とし穴―』
学陽書房、2002 年

番外編:  学校カウンセラーという仕事

  学校カウンセラーは、主に学校生活において問題が生じた生徒たちに対して、臨床心理学的方法によって援助の手を差し延べるという仕事をする。今までは、教師や養護担当教師が、仕事のかたわらカウンセリングをすることが多かったが、専門のカウンセラーを配置する学校も多くなってきている。学校カウンセラーになるためには、教員免許か臨床心理士の資格が必要ということになっているが、最近、この学校カウンセラーになりたいと希望する学生が急増中だ。そこで臨床心理士として30年、学生相談の第1線で活躍されている高塚先生に、学校カウンセラーという仕事について少しうかがってみた。

―学校カウンセラーの仕事で1番大切なことは何ですか?

高塚:カウンセラーの仕事というのは、まず相手の話をじっくり聞くことから始まります。そして、いつまでもつき合ってあげましょうという覚悟でカウンセリングに臨むことが大切です。カウンセリングに焦りは禁物です。結論を急ぎすぎるとうまくいきません。

―カウンセラーに期待される役割というのはどのようなものですか?

高塚:人間は最終的に主体性を持って、自分で自分の責任を取るようにしないと生きていけません。相手が十分にそういった力が発揮できるようになるまで支えてあげるのがカウンセラーの役目です。アドバイスというのはしないわけではありませんが、それよりも本人がこれならやっていけそうだという気持ちを引き出すためのプロセスを援助するナビゲーターのようなものです。ですから、カウンセラーの力だけで変えるとか治すわけではありません。変えるのは結局本人なのです。

―カウンセラーに向いている適性というのはありますか?

高塚:イマジネーションが豊富な人は、いいかもしれません。相手の話を聞きながら、その語る状況が頭の中に浮かんでくる。相手と共感できるということは大切です。よく映画を見たり、小説を読んだりしていると、いろいろな疑似体験ができますから役に立つこともあるかもしれませんね。

 カウンセラーになりたいという人の中には、自分がかつていじめられた経験があるから、カウンセラーになっていじめられている子どもたちの役に立ちたいと考えてくる人も多いんです。この場合、まずは自分の問題が本当に整理されているか、もう1度しっかり自分を見据えてほしいとアドバイスしています。カウンセラーが自分の悩みを克服していないのに、人の悩みの相談に乗るのは、共倒れになる危険性をはらんでいます。

(2002年6月10日掲載)




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First drafted 2002 June 10.