稲泉連さん
稲泉連
(いないずみ・れん)
1979 年生まれ。95 年に高校中退後、大検を経て早稲田大学第二文学部へ。2002 年3 月に卒業。『文藝春秋』97 年10 月号掲載の『僕が学校を辞めると言った日』によって、第59回文藝春秋読者賞を受賞。著書に『僕の高校中退マニュアル』『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』(共に文藝春秋)。
 特別寄稿

『教育者』なんて言わないで

第二文学部2002年卒業 稲泉 連

 以前、テレビのドキュメント番組で、生徒の「学ぼうとする意欲」をいかに評価していくかについて、中学校の教師が試行錯誤している様子が紹介されていた。テストの点数に加えて「意欲」も成績に反映させようという試み、それが当然のことながら難しい。手を挙げた回数を数えてみたり、問題を解くスピードを競わせてみたりするものの、果たしてそれが「意欲」として評価されてよいものかどうか……。そうやって悩む彼の姿は職務に責任を持つ立派な教師として画面には映し出されていたが、一方でその「立派さ」に僕は何かぞくりとするような違和感を感じていた。どうしてだろうと理由を考えてみると、自分が中学生のころから大学受験にかけて通っていた学習塾の経営者が語った、こんなせりふが浮かんできた。

 「勉強を子どもたちに教える側が、『教育者』なんて言葉を使ってはいけないと思ってる。僕の仕事は彼らに勉強の面白さを紹介してあげるサービス業。教育は社会全体で行われているものなのに、特定の個人や団体が『こうあるべきだ』なんて言うからおかしなことになるんじゃないかな」

 10年以上の間、地域で小さな学習塾を営んできた彼の実感だった。

 確かに、と思った。確かに、これまで僕が通ってきた「学校」にも『教育者』がたくさんいた。そして、理想高き彼らが日々の授業やホームルームの中で垣間見せる、導いてやろう教育してやろうという意気込みを前にすると、あまり強く引っ張らないでほしいと言いたいような気持になったものだ。彼らなりの善意や正義感がそこからにじみ出ていればいるほど、他の価値観や選択肢を否定されているみたいで、かえって息苦しさは増していった。

 テレビ画面の中で「生徒の意欲をいかに評価すれば……」と頭を抱えていた善良そうな男性教師に対しても、きっとそれに似た気持を僕は抱いていたのだろう。生徒の個性や意欲を大切にしようという文句の出ないスローガンの下に、人間一人ひとりの「意識」をも点数に変換して管理する「学校教育」。そんな図式が「生徒を導こう」と懸命に努力する彼の背後に見え隠れしている気がして、どうにも不気味だったのだ。

 僕は高校を1年で中退し、大検から第二文学部に入学している。1度留年したせいで大学には5年間通った。その中で、心に残っている教授の言葉が2つある。思えば、それらも、決して『教育者』としての教授の口から語られたものではなかったのではないか。例えば、1つは大学に入って間もないころ、社会学系の講義で聞いた次のような言葉だ。

 「私の授業は君たちがこの学問に興味を持ったとき、自力で1冊の専門書が読めるようにするための授業だから、そのつもりで聞いてくれればいい」

 そして、もう1つは文学に関する講義で。

 「大切なのは今まで正しいと思っていたことを検証すること。それだけで、いろいろなことが見えてくる。この講義ではその証拠を少しでも多く皆さんに提示できればと思っています」

 ただ教科書を頭に叩き込むような勉強をしてきた僕は、妙な感激を抱きながら彼らの話を聞いていた。次に何が語られるのかと、講義への期待感がわきあがってくるのが嬉しかった。おそらく、僕が惹かれたのは2人の言葉そのものにではない。むしろ、彼らが『教育者』であろうとはせず、学問の面白さを少しでも伝えようと試みる1人の語り手に徹している姿勢に、惹かれたのだ。

 その時に胸の裡に小さく芽生えた好奇心や知識を得たいという欲求は、ある日社会の中で思い悩んだり立ち止まったりしたときに、進むべき道を選び取るための大きな力へと変わるはずだと僕は思う。そして同時に、豊かな「教育」の現場とは、そうした力を生徒に与える「語り手」たちの言葉の一つひとつから、結局は形作られていくしかないのだと信じている。

稲泉連著
『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』
文藝春秋、2001年

稲泉連著
『僕の高校中退マニュアル』
文藝春秋、1998年

(2002年6月10日掲載)




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First drafted 2002 June 10.