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これまでさまざまな角度から学生の勉学、日常生活、将来への夢などを詳細に分析してきました。19世紀末イギリスの宰相ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1804-81)は大学を評して「光と自由と学問の場所でなければならない」という言葉を残しました。厳格な階級社会が残り、大学がごく少数の特権的な人々に独占されていた当時の英国と私たちを同様に考えることはできません。しかし、学生生活調査を締めくくるにあたり、ディズレーリの言葉は示唆に富んだ言葉とも考えられます。大学がまず「学問の場所」であることは言うまでもありません。学問に対して学生一般が真摯な立場をとっていることは第1章において「教員の講義内容」に即して授業の選択をしていること、また第2章にあるように多くの学生が将来のキャリア・ライフを念頭に置きながらも、目前の大学での勉学に専心することが結果的に将来のキャリア形成にも役立つと考えていることに明らかになっているでしょう。彼らが、大学教育を人生の中で欠くべからざるものとして真摯に受け止めている証として、積極的に評価できるのではないでしょうか。圧倒的多数の学生が公務員、企業人の別を問わず大学の外で社会人として飛翔したいと考える一方で、短絡的な「就職対策」に陥ることなく学問習得を大学生活の中軸におく考え方は、当然とはいえ望ましいことでしょう。むしろ大学は学生の学問への強い欲求に常に応えることが求められているといえます。さらに、研究職に就くことを望む学生が多数にのぼることは、彼らが大学を教養教育にとどまらず高度な研究能力を得る場所として位置付けていることを示しています。
しかし、大学が単なる「学問の場所」だけに終わってしまってはならないこともまた事実でしょう。ディズレーリが「学問の場所」と並んであげた「光と自由」とは、大学が単なる知識習得の場所に終わってはならないということを表しているように思われます。第4章にあるように、8割以上の学生が授業から離れた課外活動への参加経験により大学生活を充実させており、これは明らかに大学の特長となっています。ところがその一方で第1章にあるように学生全体の中で教員と「話をしない」か「あまり話をしない」者が半数に上ることは、教育が徹頭徹尾人間と人間の関係であることを考えるならば、大学人は深く省みる必要があるでしょう。第3章で認められるように普段からの学生教員間のコミュニケーションがよりいっそう求められています。「少人数教育」がしきりに叫ばれる時代ですが、単に人数の多寡の問題ではなく、教員が学生に対して学問することの楽しさ、喜び、充実感を与えるとともに、対話を通じて学生の人格を陶冶することが今求められているとはいえないでしょうか。
最後に第1章は今後の学生の留学について大きな示唆を与えています。留学という大学生活の形が大学生全体から見れば少数者であった時代は完全に過去のものとなったと言えます。留学生を早稲田から送り出すにしろ、また受け入れるにしろ、留学という行為自体が大学の「常態」となる時代がすでに到来しています。学生もその趨勢を十分に理解していると言えるでしょう。無目的な「あこがれ留学」は影を潜め、むしろ留学費用をどう捻出するかという現実的な問題に移っています。第5章に示されたように、多くの学生にとって現在の厳しい経済事情が影を落としている以上、大学にも学生留学の経済的な裏づけをどうするかが課題として与えられています。
以上学生生活について多角的な分析を5章にわたって考察してきました。この報告書が教職員をはじめとして広く読まれ、学生生活の向上に資することを強く期待しています。
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