スポーツ科学部授業紹介
古の綺羅に魅せられ 〜武道論〜 志々田 文明教授〜
宮本武蔵の『五輪書』を読んだからといって、目前に吉岡一門との決闘や巌流島の戦いが顕現(けんげん)した、などということはありませんけれど、情景を視線の彼方に思い浮かべた者もいたでありましょう。あるいは、武士道論書『葉隠』の中に、武士道精神の真髄を読み取り、体現してみたいものだと胸のうちを焦がした生徒がいたかもしれません。
本講義で取り扱ったそれらは、確かに興味深く、読み応えもあるものでしたが、それ以上にわたしの琴線(きんせん)に近づき、触れてきたのは間違いなく板東武者(ばんどうむしゃ)たちの荒々しさであり、そこに端を発する生き様、戦い様であり、その先に見えてくる彼等の魂でありました。
先生が次第に教科書の内容から乖離(かいり)していく中で、滔滔(とうとう)と語られ始める彼等の物語。風をはらんだ鬣(たてがみ)の向こう側に跨(またが)った、荒ぶる武者の肉體が刹那(せつな)、目蓋(まぶた)の裏側に浮かぶのです。その間暫く……この講義は講義ではなく、宛(さなが)ら能の舞台に変化するのです。雄弁に語る志々田先生の顔が、能面の下に、その時ばかりは"隠れて”しまう。そして悠然と、霞立つようにして彼等の顔が現れるのです。
教科書や配布された資料を机上に広げ、先生の言葉に耳を傾け、板書をとる、というのはどの講義・授業でもまず基本にあること。様々な授業のある早稲田大学においても、すべてとは言いませんが、最も一般的なスタイルではないでしょうか。しかし折角授業を、講義を受けるのです。ただ言われたことをちまちまと書き取るのだけでなく、膨大な資料に読みふけるのでもなく……時には先生の口から紡がれる古の時代---今より遥かに生の奔流をその身に感じ、絶対的な死が隣人として存在していたその時代を、幻視することの魅力。そこから横溢(おういつ)する古き時代の人々の濃密な息吹と、洒脱(しゃだつ)な先生の語り口の絶妙な絡み具合、匙(さじ)加減に、酔い痴れてみては如何でしょう。
[編注:やや難解な字にかなをふりました。語義:綺羅(栄華。華やかさ)。板東武者(関東武士)。乖離(そむき離れること)。洒脱(あか抜けしていてこだわりのないこと)]
2008.11.04 update

