第3章 海外出稼ぎの決定要因

    海外出稼ぎを決定する要因としてトダロ・モデル(1986)が存在する。トダロは、海外出稼ぎ労働者について、@都市部における職を求める農村部からの移動者、A都市部のインフォーマル部門に就労しながら海外における職を求める農村部からの移動者、B都市のフォーマル部門で既に就労している労働者、と仮定し、移動がいくつかの層になっているとのモデルを示した。このモデルは、農村労働者と都市労働者の移動を意識し、移動決定は出身地と目的地との間の「期待所得の相対的格差」によるとしている。この「期待所得」は(海外の平均所得×就業できる確率−移動コスト)で表す。

    しかし、これはあくまでもモデルであり、フィリピンにおける海外出稼ぎの決定要因が果たして「期待所得の相対的格差」にあるかは疑問である。そこで本章では、実際にフィリピンでの決定要因とはいかなるものであるのかを考察していこうと思う。

 

第1節 高失業率から見た人材流出

(1)失業率の現状

    近年、フィリピンの労働力人口1) は急増している。90年代に2424万人であった労働力人口は年率4%台での高い伸びを示し、94年には2765万人となった(表3-1)。こうした労働供給の高い伸びは、国内の人口増加率の高さ、そしてそれに伴う人口の都市への移動が影響していると思われる。このため、労働需要量に対して労働供給量が大幅に上回り、このことがフィリピンにおける高失業率をもたらしている。

    実際のフィリピンの失業率2) は、1980年の5.0%から一気に上昇し、1998年には10.2%となっており、他のアジア諸国と比較すると際立って高くなっている(図3-1)。そのうえ、不完全就業者が多く存在するため、彼らを失業者に組み込むとその比率は約30〜40%に上昇する。ここでいう「不完全就業者」とは、就業者のなかで労働時間が週40時間未満の労働者、一応就業しているがその週によって働いたり働かなかったり不安定な労働者、そして傷病中の労働者のことを指す。3)

    注目すべき点は、他のアジア諸国は失業率が低下、あるいはもともと低い水準を維持しているのに対して、フィリピンでは失業率が上昇し、そしてその高い失業率が98年時点でも維持され続けているという点である。(98年の数字に関しては、アジアの通貨危機の影響により本論の内容と一致しないため考慮しない。)この高い失業率は、マニラの日常の光景としてみられるような、道路に溢れる自動車の合間をぬって、花、新聞、たばこなどを売って、その日をしのぐ生活をしている人の多さとぴったりする。近年、フィリピンの労働力人口1 ) は急増している。90年代に2424万人であった労働力人口は年率4%台での高い伸びを示し、94年には2765万人となった(表3-1)。こうした労働供給の高い伸びは、国内の人口増加率の高さ、そしてそれに伴う人口の都市への移動が影響していると思われる。このため、労働需要量に対して労働供給量が大幅に上回り、このことがフィリピンにおける高失業率をもたらしている。実際のフィリピンの失業率2 ) は、1980年の5.0%から一気に上昇し、1998年には10.2%となっており、他のアジア諸国と比較すると際立って高くなっている(図3-1)。そのうえ、不完全就業者が多く存在するため、彼らを失業者に組み込むとその比率は約30〜40%に上昇する。ここでいう「不完全就業者」とは、就業者のなかで労働時間が週40時間未満の労働者、一応就業しているがその週によって働いたり働かなかったり不安定な労働者、そして傷病中の労働者のことを指す。3 ) 注目すべき点は、他のアジア諸国は失業率が低下、あるいはもともと低い水準を維持しているのに対して、フィリピンでは失業率が上昇し、そしてその高い失業率が98年時点でも維持され続けているという点である。(98年の数字に関しては、アジアの通貨危機の影響により本論の内容と一致しないため考慮しない。)この高い失業率は、マニラの日常の光景としてみられるような、道路に溢れる自動車の合間をぬって、花、新聞、たばこなどを売って、その日をしのぐ生活をしている人の多さとぴったりする。

(2)産業構造

    フィリピンの産業構造は、1955年以降農業部門の割合が減少し、工業部門の割合が増加してきているが、その変化率は僅かなものであり、特に大きな構造変化は見られない(図3-2)。

    一国の産業構造は経済発展とともに農業部門の生産ならびに雇用のシェアが下がり、工業部門の同シェアが上がるという経路をたどる。産業構造がそのような変化をみせるのは、要するに発展とともに人々の需要する財が変化するからである。貧しい社会においては住民の胃を満たすことが何よりも重要な課題であるが、ひとたびこの基本的欲求が満たされれば、人々はより高度の消費欲求を充足させる工業財を需要する。そのために、発展段階が低い社会の場合には、まずは住民に食料を供給するための農業部門が一国経済の中で大きなシェアを占め、ついで工業部門のシェアが拡大していく。4)

    この過程をうまく描写できるモデルとしては、ルイス・モデルが知られている。5) このルイス・モデルによると、産業構造が農業部門から工業部門へとシフトされれば、新たな雇用機会が生まれ、失業率も低下するという好循環が起こるのである。

(3)就業者の産業分野別割合

    就業者の産業分野別割合は農業が1955年は60%、1990年は43%、工業が1955年は15%、1990年は20%、サービス業が1955年は25%、1990年は37%となっている(図3-3)。ただしフィリピンでのサービス業とは大部分がインフォーマルセクターであるため、厳密に産業分野という意味合いでは就業者の割合はこの35年間で多少の変化はあるものの、農業への就業比率が依然として圧倒的に高い。

    農業就業の高比率は収穫逓減法則により、高失業率を招いている。また、工業部門では生産量と雇用量が結びついていない。このことはフィリピンでの工業化が労働集約型でなく、資本集約型で進められてきたことが影響していると考えられる。(第4章で詳しく述べる)。つまり、フィリピンではルイス・モデルのように、スムーズに行われなかったということであり、その原因は工業化の過程にあったのではないかと思われる。

(4)高学歴者の失業問題

    フィリピンという国は、他の開発途上国と較べて教育水準が高いという特徴がある。国内にはフィリピン大学を頂点として多くの大学が存在する。これらの大学は就職を目指したものが多く、経営、技術者養成、教員養成、看護に著しく偏っている(図3-4)。大学進学率は30%を超えており、これは大部分のヨーロッパ諸国や日本と同じ割合である。厳しい経済情勢背景として、生存競争が厳しいため、少しでも抜きん出なければならないとの考えがこうした教育熱を生むのであろう。6)

    フィリピンの失業問題を考えるとき、忘れてならないのが教育を受けたのにもかかわらず大量の失業者がいるということである。学歴ごとの失業率は小学校を卒業しただけの者より、高校卒業以上のいわゆる「高学歴者」のほうが高くなっている(図3-5)。1986年の失業率は、国全体だと6.7%であるのに、大学卒業者だけでみると13.3%にもなっている。

    この事実の原因として考えられることは、国内に大学での教育内容を活用できる就職口が少ないことである。1984年の時点では約40%の労働者達が、教育内容を仕事に活用できないとしている(表3-2)。

    また、教員や看護婦などの熟練労働者にとって国内の賃金が安いため、あえて国内で就職せず海外で就職するという例もしばし見受けられる。この賃金問題については次節で詳しく説明する。

    そして国内で就職する場合も、少しでも高い賃金、良い労働条件で働くために、自分が見込んだ企業への参入許可待ちをすることも多々ある。この待機期間が失業率となって現れている場合もある。待機期間が各大学の権威によって異なる。国内最高峰のフィリピン大学では一ヶ月未満の者が54.6%を占めているが、所有経営系の大学では28.2%しかいない(表3-3)。つまり、権威ある学校の卒業生のほうが待機期間は短く、このため教育熱のさらなる激化へつながっている。

(5)改善のための政策

    このような高失業率にもかかわらず、引き続き大学への入学者は増加し続けている。このことについては様々な解決策が提案されてきた。7) このうちの二つについて述べようと思う。

    第一には、国家的ないし部分的な人員計画を策定することである。典型的に、各種の将来の労働需要を予測し、これを満たすべく学校の配置を行うことである。これは問題を過度に単純化してはいるものの、問題の趣旨をうまく捉えている。しかしながら、この種のプログラムを実施した世界中の経験によると、これはうまく行かなかったということである。学生たちは計画当局が望ましいとする職業に集まってくれるほど、素直ではない。恐らく、これは計画当局の需要予測がたびたび誤ってきたことによる。

    第二の解決策、これは第一の解決策と考え方に共通するところがあるが、この提案では大学に行く学生数を制限することである。フィリピンでは、国家大学入学試験(NCEE)の合格者のみ大学進学を許可するということを始めている。過去数年に、入学試験はだんだん難易度が上がってきており、このため大学に入学できる者の数を一定限度に抑え続けている。

    しかし、これら二つの提案、特に第二の提案は現在実施されているのであるが、基本的な問題の解決にはならない。大学のあるべき運命について、大学に入学できる有望な学生たちに伝えるための手段として、NCEEは熟練労働力の失業問題を解決するものではないし、解決できもしない。NCEEは、必要な資金を貯蓄するどころか、高校卒業者が大学で追加的技能を修得するために費やす追加的歳月から生ずる便益を享受するための障害となっている。大学での数年は、社会に学生が参加するまでの格好の準備を与えてきた。選択における制限やそれと関連してくる自由の制限は、確かに最善であっても便益がはっきりしない結果をもたらすことの報酬としては高価すぎるのではないだろうか。

 

第2節 賃金から見た人材流失

    前節では、海外出稼ぎに伴う人材の海外流失を失業の面から考察した。それをふまえ第2節では、フィリピン国内の低賃金が起因となる人材流失に焦点を当ててみたい。

(1)フィリピン国内の賃金状況

    賃金について考える時、最初にフィリピンの経済構造について考える必要がある。それは、一義的に産業の違いが直接、賃金の違いに現れるからである。そこで便宜上大きな枠組みで産業構造を見てみたい。農業、工業、サービス業を3大主要経済部門とし、第1節、図3−2、3の各産業対GDP比、対雇用比の差異に着目する。するとその差から、まず農業の生産性が低いこと、次に相対的に工業の生産性が高いことが見てとれる。

    図3−6は、1950年代中頃以降の農業、工業、サービス業の実質付加価値の動向を示している。この図を参照することによって、農業の労働生産性は工業、サービスに比べて一貫して低かったことが確認できる。さらに、次の2点が注目に値する。第1に、サービス業の生産性は、50年代後半には製造業に匹敵するものであったが、70年代までは事実上停滞したままで、80年代には著しく下降した。これは、全雇用に占めるサービス業の雇用割合の実質的増加−50年代中頃の25%から80年代の39%−に対応して生じた。第2に、工業の労働生産性は60年代、70年代に上昇したものの80年代は総じて低下傾向にあった。主要産業の農業と工業(製造業)の生産性のギャップは工業の落ち込みによって縮小された。

    フィリピン産業の生産性について言及するとき、実はその前提として70年代以降に起きた生産労働力の急膨張を勘案しなくてはならない。表3−4は労働力率とGDP、労働力の年平均成長率を表すものである。労働力人口の伸び率は70年代後半から80年代はじめまでの時期が、特に著しく年平均4.2%であった。この要因には、70年代後半の生産年齢人口の年平均3.9%という異常なまでの急膨張が挙げられる(ちなみにフィリピン全体の人口増加率は20年間で年平均2%を越える高い伸び率)。

    また労働力率8)は、70年代前半まで40%後半であった、70年代後半には一気に60%台に上昇した。それ以後、労働力率増加のスピードは鈍化したが、それでも60%台を維持している。増加の大きな要因には女性の社会進出が挙げられる。女性が労働市場に参加するようになった背景としては、フィリピンは戦後アメリカ統治によって男女平等に義務教育を受けるようになったことが挙げられる。このことが働き手としての女性の社会進出を下支えすることとなった。また、家計収入の維持を目的とした女性(主婦など)の労働市場への参入も要因と考えられる。後述するがフィリピンでは実質賃金が下降または停滞している。それにつれ家計補完のため女性労働力の進出が促進された。実際、世帯あたりの労働者数は平均人数で70年代の1.83人から2.0人に増加した。9)皮肉なことだが女性労働力の参入は、労働力の一層の供給過剰を導き、結果としてさらなる実質賃金低下を引き起こした。

    では、激増した労働力は、既述の産業構造や産業の生産性にどういった影響を与えたのだろうか。図3−2から、実質的に最大セクターである農業(サービスの大部分はインフォーマルセクター従事者のため厳密な意味においては農業が最大)の他産業との相対的な雇用創出能力は、年を追う毎に漸減していること(図3−3の対雇用割合が減少していることから)が読みとれる。このことは、元来あったフィリピン農業の極端な労働生産性の低さ(図3−6)、そして労働力の増加に伴って生まれたさらなる生産性の低下懸念が、増加労働力の参入障壁になったことを表している。このことから当然、余剰労働力は少なくとも農業に対して、雇用吸収を求めることはできなくなっていた。結果として、農業収益減少という圧力のため、余剰労働力は農村の非農業部門や都市地域に移動せざる得なかった。もちろん移動するといってもそのほとんどは、産業間移動の容易な非農業部門の非熟練労働者になった。このことは、非熟練業種の実質賃金を抑える傾向を生み出した。非熟練労働者とは具体的には、サービス業のインフォーマル部門への従事者や工業の単純労働者などのことを指す。

    図3−7からは、60年代末から90年にかけて実質賃金全体が低下もしくは停滞していたことがわかる。特に注目すべきは、農業労働者の実質賃金指数と熟練、非熟練労働者におけるそれとの騰落率の逆転現象である。60年代から70年代半ばにかけて、農業労働者の実質賃金の下落率は熟練、不熟練労働者のそれよりも総じて大きかった。70年代半ば以降、農業の実質賃金はいったん上昇した。反対に、熟練、非熟練労働者の方には反転の兆しは見られなかった。双方の動きは、70年代半ばから80年代半ばにかけての生産年齢人口および労働人口の増加ピーク(表3−4)と符合する。このことは翻って考えると、非熟練労働者の実質賃金低下の傾向が端的に現れたとも言える。いずれにせよこの図から、非農業部門の非熟練労働者と熟練労働者の賃金下落が全体的な実質賃金の低下に大きく影響していたことを表す。

    ところで補足的になるが、表3−5から、フィリピンの農業から非農業への流動性は決して高くないことが見て取れる。つまり農業労働力の激増は、余剰人員のスムーズな非農業部門への移動につながらなかったことを表す。とりもなおさずこのことは、農業部門での労働力の余剰を促した1つの要因になった(相対的に見ると首都マニラよりも失業率は低いが、それでも失業率は8〜10%に及ぶ)。

(2)賃金低下スパイラルによる人材の海外流失

    ここで、全体的な実質賃金低下の流れをまとめてみたい。まず、フィリピンの労働市場に人口爆発が起きる。それに伴って主軸産業である農業の人員にだぶつきが生まれ、このことが農業従事者の実質賃金の低下を導いた。次に、農業が既に雇用創出能力という点において限界であったこと。それに伴って、農業従事者の実質賃金のさらなる低下が避けられなくなる状況が生まれたことから、余剰人員はサービス業、工業、製造業の非熟練労働市場に身を投じていった(積極的な理由としては当然、非農業の生産性の高さ、つまり、高賃金がインセンティブになって移動したケースも考えられる)。言うまでもなく、このことは非熟練労働者の実質賃金を低減させた。そして最後に、これに引きずられる形で熟練労働者の実質賃金も低下していった(もちろん高等教育の普及が熟練労働者の数そのものを供給過剰にしたことは言うまでもない)。

    以上見てきたように結果的には、以前と比べすべての経済部門で実質賃金の低下もしくは停滞した。実はこのことが海外出稼ぎへの高いインセンティブになっている。つまりフィリピンが他のASEAN、東南アジア各国と比べて賃金が安いからというよりも、むしろ以前よりも実質賃金が低下したため、海外へその活路を見出そうとしているのである。

 

第3章 これらの状況をふまえて

     フィリピンでの海外出稼ぎの状況は、不熟練労働者だけではなく熟練労働者の数も多いことが特徴的である。その背景には、まず第1節で述べたように農業を中心にした未発達な産業構造から生まれる失業、そして未発達ゆえに起きる熟練労働者の雇用機会の不足が挙げられる。つまり、フィリピンはその高い教育水準によって内在する熟練労働者を活用する場がないのが現状である。このことは結果的に熟練労働者の海外流失につながっている。また一方、第2節では実質賃金の低下を挙げている。産業構造の未発達なフィリピンに押し寄せる人口爆発の波。農業からはじまり非熟練、熟練と次々に実質賃金を低下させた。このフィリピン国内での絶対的な実質賃金の低下が、労働者の目を海外に向けさせた。いずれの側面からもフィリピンの労働者が海外出稼ぎをする際、海外を志向せざる得ない決定要因の存在を浮き彫りにしている。

    この章では第1節、第2節でそれぞれ失業、賃金の観点から海外出稼ぎの背景を考察してきた。この両側面の考察から、ある共通項を見出すことができる。その共通項とは農業を中心とした未熟な産業構造から生まれる非農業の雇用機会の不足である。失業とくに熟練労働者の失業や実質賃金の低下は、フィリピンの未発達な産業構造に起因するところが大きい。従って一方では、高い教育を受けた熟練労働者の雇用吸収を促すことを目的に、「頭を使った産業」つまり高度な非農業部門を掘り起こし、一方では賃金上昇を目指し生産性の低い農業中心から、相対的に生産性の高い非農業とりわけ工業にシフトし、雇用を創出していくべきである。早期に産業構造の高度化を実現しなければ、非熟練労働者は当然のことながら、今後フィリピンが発展していく過程で重要な熟練労働者までもが、海外にいく現状は変わらないだろう。

 

1) 労働力人口の定義は、財・サービスの生産に携わっている15歳以上の男女で、就業者、休業者および完全失業者の合計となっている。

2) 失業者の定義は各国で異なるが、フィリピンの場合は「調査週において仕事がなく、就業可能であって求職活動を行っている15歳以上の男女」とされている。また、失業率は(失業者数・非軍事労働力人口)で表す。

3) 榊原(1994)

4) 渡辺・足立・文(1997)

5) ルイス・モデルについては補論を参照。

6) 桑原(1991)

7) 坂井、D・B・カンラス(1990 アジア経済研究所)

8)15歳以上の生産年齢人口に対する労働力の割合

9)アルセニオ・M・バリカサン 野沢勝美編 「フィリピン農村開発の構造と改革」 アジア経済研究所 1994

 

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