1. トップページ
  2. シリーズ・放送人インタビュー2011 <第16回>佐々木欽三氏

シリーズ・放送人インタビュー2011 <第16回>佐々木欽三氏

 width=

 1928年に宮城県の田尻という、小さな田舎町の地主の三男として生まれ、盛岡の農林専門学校を卒業した後、東北大学文学部西洋哲学科に入学し、1954年に卒業した。同年、NHKに入局。

 初任地は広島。広島では「早起き鳥」、「趣味の園芸」という番組を担当。とりわけ1967年から放送された「趣味の園芸」では役に立つ情報を提供したいという気持ちで熱心に取り組み、その結果「明日の農作業」という一分のミニ番組が認められ、全国で採用された。

 その後、鳥取局へ移り、県が小さいことを利用し、「ラジオ定期便」、「マイクリレー」、「自然のアルバム~鳥取砂丘の四季~」など、そのユニークな発想で数々の番組を手掛ける。他にも時代劇を手掛けた。この頃が生涯の中で一番働いた時代であったと語る。

 1959年東京へ移り、テレビを担当する。とりわけドキュメンタリー番組の制作に取り組む。1962年7月8日に放送された「日本の素顔」において、創価学会をテーマとして取り上げた。反響は大きかったが、当時の理事長との交渉により、批判を抑え、評価を受けた。「マスコミも、最後は人間と人間の話だなと、つくづく思います。」と語る。また、「日本の風土」の特集で取り上げた乾燥地帯の村を例に、ドキュメンタリーのやらせについて「大きな問題と大したことない部分と両方あります。」と話す。

 また、人事本部主幹としてNHKの大合理化計画を実行。現場の経験を生かし、現場が納得できるような人員計画を作成した。各県の放送局を一本化するなど、NHKに大きな変革をもたらした。

 番組制作においては、企画力、表現力、人間力の三つの力を必要とし、これらの力を生かして、志賀直哉の出演交渉、スカルノ大統領の単独インタビューを成功させ、印象深い仕事として挙げている。また、運も大切だと話し、色々な場面で幸運であったと語る。

 インタビュワー
主担当:阿部慎平 副担当:真下信幸  

ゼミジャーナル vol.2

ゼミジャーナル vol.1

シリーズ・記者インタビュー2010

シリーズ・放送人インタビュー2011