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シリーズ・放送人インタビュー2011 <第13回>牧内良平氏

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 昭和13年に長野県飯田市に生まれ、元々理数系が好きだった牧内氏は、二年間の大学受験浪人期間の中で世の中のあり方や政治に興味を持つようになった。早稲田大学政治経済学部に進学後、政治学会で丸山真男など政治学を勉強した。そのまま学者になる道も考えた牧内氏だが、「新聞記者も勉強できて面白い」と友人の父親に勧められ、昭和40年に神奈川新聞社に入社。最初に経験したのは「サツ回り」。警察官とのやり取りを通じて人間の生き様を生の現場で最初に学べたことは貴重な経験だったと言う。入社当時は公害問題について力を入れて取材、報道する。戦車闘争など、神奈川新聞社のフィールドを活かした記者として活躍した。

 昭和60年に神奈川新聞社の社会部長に就任。外国人への指紋押捺問題、連載企画「言論が危うい」、大山祇命神事教会に対する連載企画などを行った。部長としては広く世の中を見て、問題意識を持ち、時代状況や社会状況の中で一番大事なことを考え支持することが大切だと言う。愚直にその姿勢を追及する中で、「暴力電話には屈しない」というコラムを書き、統一教会と対立姿勢を明確にした。言論の自由を守り、読者の知る権利を守るために戦う姿勢を示すのが大切だと語った。

平成13年には、テレビ神奈川の社長に就任。経営的に赤字が続き、デジタル放送を控え、資金が足りないテレビ神奈川の経営立て直しに尽力した。資本金の増強にあたってはかつて取材した人間関係を活かし、出資先を増やすことに成功した。

自社制作力の強化、報道番組の強化などでキー局とも勝負できる環境作りを成功させ、データ放送で自治体との連携、またネットショップ、携帯電話の有料サイトの利用などを通じて貪欲に改革に取り組んできた牧内氏は、今後のメディアミックス、クロスメディアの可能性を感じている。デジタル化を機に超個性と普遍性を両立させたメディア作りを目指すと言う。また、新聞やテレビなどのメディアは優秀な人間、発想の違った人間が一人でも二人でもいれば変わる業界であり、そういう意味では将来性は十分あるし、マスコミの前途も決して暗くはないと考えている。

 インタビュワー
主担当:所隼之介 副担当:大槻万梨子  

ゼミジャーナル vol.2

ゼミジャーナル vol.1

シリーズ・記者インタビュー2010

シリーズ・放送人インタビュー2011