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シリーズ・経済ジャーナリストインタビュー2015 <第36回>坂本栄氏

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 1946年に茨城県土浦市で生まれた坂本栄氏は、1966年に一橋大学社会学部に入学。 大学時代は沖縄返還やベトナム戦争、中東戦争を通じて軍事問題に関心を持ち、卒論は「戦略論」を書いた。 大学時代に軍事評論家の久住忠男氏と交流し、同氏が寄稿する時事通信系の雑誌に影響を受け1970年に時事通信社に入社した。
 最初に配属された経済部で一年間雑用をやり、仕事の基礎を身に付けた。 二年目からは大蔵省、自動車、運輸省、日銀の記者クラブをそれぞれ約二年ずつ担当した。
 日銀記者クラブ時代に国際金融の特ダネで社長賞を受賞し、1979年に32歳の若さでワシントン特派員となる。 イラン革命や自動車摩擦などを取材し、四年後に帰国した。 エネルギー関連の記者クラブと外務省の記者クラブをそれぞれ二年ほど担当した後、バブル期に日銀キャップを担当。 金利自由化や自己資本規制に関する記事を書いた。
 その後経済部デスクを三年務め、証券部長となり、新電子メディア「PRIME」をリリースした。 また、インサイダー取引を禁止する内規を作った。
 1992年に経済部長となり、東京の信用金庫の危機や住専破綻の報道に携わった。 三菱東京銀行合併のスクープについては、 「『日経』と同着でしたが、新聞協会賞は『日経』に行きましたね。 …通信社と新聞社が特ダネ賞を競うのはなかなか難しい。…社内的にはスクープの位置付けになっています」と述べた。 1998年に大阪支社に赴任、次いでメディア事業本部副本部長として、「時事ドットコム」を作った。 2002年に解説委員となるが、2003年に時事通信社を退社し、故郷の常陽新聞社の社長となる。 広告収入によるフリーペーパーを収益の柱とするビジネスモデルだったが、2008年のリーマンショックで崩れ、会長に退く。 会社は2013年に破産するも、その直後にソフトバンクから来たビジネスマンが『常陽新聞』の名前を継いで新社長となった。 坂本氏は現在も『常陽新聞』シニアアドバイザーとして記者を続けている。 現代の日本の経済ジャーナリズムについては「まだ官主導の発想が強い。もっとマーケット中心にならないとダメ」と述べる一方、 企業の動きと比べてメディアのグローバル化が遅れていると指摘。既存メディアの買収によるのもその方法の一つだと語った。


   インタビュワー
主担当:藤本耕輔、副担当:齋藤周也  

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