都市再開発研究

都市再生特別措置法より東京都心部で進む
再開発計画を見る


政策科学上沼ゼミ  野中紀彰


2005年より2年前の2003年は鉄腕アトムが、ここ高田馬場で誕生した年とされていた。70年代には漫画の中の風景、もしくは夢物語だったあった未来都市の風景が、今現実のものとなりつつある。東京に今、再開発の嵐が吹き荒れている。回復の兆しが聞こえるものの時代は不況、不況と言っている中で、かつて無い規模で新たなビル群が次々に完成し、今日もまた新たな建設途中の高層ビルが空へ向かって伸び続けている。このような現象が、なぜ今、集中しておこるのか?東京の街並は、再開発を経てどのようになっていくのか。なぜ、再開発の必要があるのか。そもそも、理想の再開発とは一体なんなのであろうか。


 
タイトル
第一章 はじめに
第一節 研究動機
第二節 東京再開発の現状
第二章 都市再生特別措置法とは?
第一節 都市再生特別措置法解説
第二節 アクターにより異なる特別措置法の捉え方
第三章 都市再生特別措置法の成立過程
第一節 都市再生特別措置法以前の都市計画 特にバブル期
第二節 時代状況からみる東京再開発の必要性の高まり
第三節 小泉内閣による特別措置法成立と仕掛け人達
第四章 特措法成立以前の東京における都市再開発
第一節 東京都市開発小史
第二節 骨抜き規制緩和の歴史〜浦和のマンション事例から
第三節 遅れて来るバブル崩壊
第五章 特措法成立以降の東京における都市再開発
第一節 様々なアクターの反応
第二節 環境アセスからみる規制緩和
第三節 PFIと南青山一丁目団地
第六章 海外での都市再開発事例
第一節 E英国でのEZとは?
第二節 (参考)東京外環道未完成区間のPIの取り組み
第三節 フランスでのPI先行事例
第七章 特措法による都市再開発の変化と問題点
第一節 誰のための再開発か?
第二節 特措法による再開発の未来予想
第三節 主な問題点
第八章 最後に
  今後の都市再開発のあり方、理想の再開発とは?





第一章

第一節 研究動機

子供のころ、何かの本で目にして子供心をワクワクさせた、高層ビルが林立する21世紀の未来都市のイラスト。今、東京ではこの風景が現実のものとなりつつある。1970年代に開発が始まり、日本の高度経済成長と共に十数年の期間をかけて現在の形になった新宿の高層ビル群は、誰もが知っているだろう。これと同程度、いやそれ以上の規模の開発の完成がここ数年に集中し、街並みを一変させつつある。


私自身、3年間新橋に電車で通う機会があり、目の前で空に向かってぐんぐん伸びていく汐留の再開発建築現場を見続けてきた。しかし一方で、子供のころ夢見た21世紀の日本の現実世界は今、不況、不況の大合唱である。ならば、なぜ今この時代に東京にかくも多くの巨大開発が存在しているのか。その理由は?今の東京で何が起きているのか?そして、現実の21世紀の東京の街並みはどうなっていくのか?


これらの疑問に答えることから、都市再開発研究を始めていく。そして、2002年3月に成立した「都市再生特別措置法」を軸として、これらの問題を見ていこうと思う。


第二節 東京再開発の現状

東京都心部を縦横無尽に走る 首都高速道路。この道路は東京の発展とともに延伸を繰り返してきた。その中の一つ、東京都と埼玉県の県境である荒川沿いを走る首都高川口線の高架橋。この路線を走行していると、荒川を挟んで高架橋から東京を一望することができる。

東京の街並みから、空に向かってそそりつ超高層ビル。それが、まるで草原の中に立つ巨木の様に視界一杯に広がっている。そう、まるで今の東京は超高層ビルの大樹の森のようだ。夜間、この巨大の木々達が発する無数の航空灯の赤い光からは東京の生命力を感じる。そしてその中心には赤く光る東京タワーがキャンドルのようにそびえている。


ここ数年のうちに完成、もしくは数年内に完成を迎える再開発計画はバブル期の2倍を上回る。地下鉄だと、我々は都市の風景を断片的にしか認識できないが、首都高速から東京の街を眺めると、この街の連続性を目にすることができる。

首都高速から、今の東京を見ていくことにしよう。


私が住む埼玉県から、中央環状線の五色桜大橋を渡り江北ジャンクションを経由し首都高五号線で東京都心方面へ向かう。王子の箱根山トンネルを抜けると、そこには目の前に今となってはもう見慣れた感のある池袋のサンシャイン60(78年竣工)がそびえる。その足元を通りぬけて、大学のある早稲田を過ぎ、都心環状線に入る。水道橋、神保町付近も急激に再開発が進み、まさにビルの隙間を高速道路がすり抜けるといった感がある。

4号新宿線から都心環状線に向かうと、西新宿副都心の超高層ビル群、 代々木ドコモタワー(2000年竣工)、そのまま三宅坂JCTを過ぎ環状線に入ると、泉ガーデン(2002年竣工)、愛宕グリーンヒルズ(2001年竣工)、そして、2003年の再開発計画の一番の注目株であった六本木ヒルズが見える。赤く煌く東京タワーを左目に見ながら新橋方面に向かう。


浜崎橋JCTを抜けるとそれは突然に現れる。視界いっぱいに広がるガラスの壁。汐留シオサイトだ。最終的に高層ビル13棟が並び立つ予定だ。既に電通本社ビル(2002年竣工)や日本テレビタワー(2003年竣工)、汐留シティーセンターが威容を誇っている。一番狭い所では20Mしかないビル間の距離によって、一つの巨大な壁のように見える。


東京駅方面に向かうと、そこは日本のビジネスセンターである丸の内、大手町地区だ。そのシンボリックタワーである丸ビル(2002年竣工)はあまりにも有名。ここでは、東京駅八重洲口側でも、全面ガラス張りのパシフィックセンチュリープレイス(2001年竣工)は目をひく。現在大丸デパートがある地でもJR東日本による超高層ツインタワー計画が進行中である。東京駅周辺は開発計画が決定もしくは現在工事中の所も多く、数年後には全く違った街並みを我々は目にすることだろう。


レインボーブリッジでお台場に渡ると、完成後数年経ったフジテレビ本社(1996年竣工)以外にも、今でも成長中と実感できるの臨海副都心が広がっている。最後に1号羽田線で品川に向かおう。東海道新幹線品川駅開業(2003,10月)で話題になった品川だが、駅東口の変貌も目を見張る。主だったものだけで10棟の高層ビルがひしめく、品川インターシティーとグランドコモンズだ。


このように、現在の東京はここ数年の間に過去に無いスピードで新たな高層ビルが誕生し、東京の風景は大きく変わった。しかし、まだ終わりではない。秋葉原再開発プロジェクト、六本木防衛庁跡地開発等、東京の変化はまだまだ終わりそうにない。




第二章 都市再生特別措置法とは?


では、なぜこのような再開発事業が今集中しているのかという疑問を考える前に、この大変革中である東京へさらなる変化をもたらす可能性がある大きな出来事があった。2003年3月の2003年3月の 「都市再生特別措置法」の成立である。
都市計画や再開発に関する法律は、非常に多岐に渡り複雑なので、本論文は都市再生特別措置法を中心に考えていく。



第一節 都市再生特別措置法解説

平成14年2月8日に小泉内閣により閣議決定された「都市再生特別措置法案」は、3月14日衆院での質疑が始まり22日に賛成多数で可決。参議院では25日より質疑がはじまり29日の本会議において賛成193、反対39の賛成多数で可決、成立した。そして、平成14年4月5日公布、6月1日発効となった。また、これと前後して関連法案である「都市計画法」「建築基準法」「都市再開発法」などの一部改正案が衆参両院を通過した。


内容を簡単に要約すると以下のようになる。


この法律は10年間の時限立法。首相直轄の都市再生本部が「緊急整備地域」を指定し、時間と場所を限定した特例措置を施す。地権者の3分の2の同意を条件に、民間事業者が独自の都市計画を提案できる制度や、無利子融資や債務保証などの金融支援策も盛り込まれている。既存の容積率緩和などの規制をすべて白紙に戻して新たな都市計画を立案できる「特別地区」も指定できる。

少し、噛み砕いてみよう。


内閣総理大臣を本部長とし、全ての国務大臣で構成される都市再生本部を内閣に設置する。都市再生本部は該当地域の知事に照会したうえで特定地域を「都市再生緊急整備地域」に指定し、この地域内で開発事業を行おうとする場合、民間都市開発推進機構は、この事業に対し無利子貸し出し、債務保証又は資金援助することができる。


また、都市再生緊急整備地域のうち、「特別地区(再生特区)」を定めることができ、この地域内で一定の都市再開発事業を施行しようとする民間業者は事業計画を作成し、国土交通大臣の認定を申請することができる。この認可申請は対象地域の地権者の2/3以上の同意と、地権者の所有の土地が2/3以上であるという条件を満たした場合可能となる。認可を求められた大臣は6ヶ月以内に、その事業の可否を通告しなければならない。この再生特区内では用途規制が適用されず、容積率は緩和され、斜線規制、日影規制及び、高度地区の高さ制限は適用されない。なお、法の施行後10年以内に法律に基づいて必要な措置を講ずること、ということになる。


<用語解説>

・『容積率』=建築物の延べ床面積(総床面積)の敷地面積に対する割合。言い換えると「自分の敷地内に、その敷地面積の何倍までの総床 面積の建物を建てられるかを示す割合」
・『民間都市開発推進機構』=中曽根内閣時に発足。NTT株の売却益を民間開発に融資することが主な仕事であったが、民間から土地を買い取り、共同でビル開発を進める業務も行っている
・『建ぺい率』=建築面積(建坪)の敷地面積に対する割合
・『用途地域制』=「住宅地」「商業地」といった地域の将来像にあわせて建物の用途や規模・形態を制限する制度
    「第一種住居専用地域」、「第二種住居専用地域」、「商業地域」等々
・『総合設計制度』=一定の条件を満たせば、建ぺい率、容積率、斜線制限などが緩和される制度のこと



第二節 アクターにより異なる特別措置法の捉え方


この節では、都市再生特別措置法を異なる立場に立つアクターそれぞれの視点から見ていこうと思う。


ある計画を行おうとする場合、そこには必ず何かしらの目的があり、当然利害関係も生まれる。特に、その規模が大きな都市計画などでは、それぞれの立場即ち、アクターによって同じ計画に対しても、全く意見が異なることが多い。そのような特質を持つ都市計画を検証する場合、異なるアクターそれぞれの視点を見ることが重要ではないか。ここでは、都市再生本部をはじめとする行政、そしてゼネコンやデベロッパーといったプランを作成しそれを実行する側と、市民の側という二つに分けてみた。


「規制緩和」 都市再生特別措置法を一言で端的に表現するのならこの言葉がもっともしっくりくるように私は思う。一言、規制緩和というが立場が違えばプラスに作用する場合とマイナスに作用する場合があることに気づくことになる。


特措法成立当時(2002年3月)、そのころ汐留や六本木といった再開発計画が完成に近づき、マスコミで華々しく取り上げられ、漠然とそれらの新たな再開発計画が世の中には、好意的に受け止められていた。その六本木ヒルズの敷地とそれに隣接する地区との間には特徴的な壁がある。この壁は異なる立場、「開発」と「未開発」との壁のように見える。そもそも、都市再生の「再生」という言葉を考えた時、都市は死んだのか?という疑問を抱く。
死んだ都市と再生された都市。それぞれの街には今も一人一人の人間が生活している。


都市再生特別措置法により都市開発に関して大幅な規制緩和が可能になったが、乱暴な言い方と承知で言えば、それはつまり開発する側にとっては開発の自由度が格段にアップしたということだが、反面、開発される土地の側とすれば今までの生活を守っていた規制が崩壊したということになる。日本の最大の都市であり首都、そして1200万人という人口を抱える東京の都市再開発を進める場合、そこには特別多くの利害と多くの人間の感情が絡み合うのだ。







第三章 都市再生特別措置法の成立過程

日本の都市開発の姿を大きく変える可能性を秘めた都市再生特別措置法は、なぜ今、必要とされたのか。そして、どのような人々が関わり、どのような経過を経て成立に至ったのか。このことを見ることによって、現在の日本に科されている課題が浮き彫りになるのではないか。

第一節 都市再生特別措置法より前の都市計画 特にバブル期

日本はもともと、欧米諸国と比べると、規制が緩やかで容積率も高めに設定してあった。ドイツと比べても4倍から5倍の容積率が認められていた。同じ広さの土地があった場合、ドイツではそこに1階の建物しか建てられないが、日本では4、5階の建物を建築することが可能といいうことである。しかも、ことあるごとに緩和が繰り返されてきた。


この規制緩和を極端に進めたのが中曽根内閣だった。中曽根内閣は1982年に首相に就任すると、「増税なき財政再建」を掲げ、「行政改革」を至上命題とし、民間活力の活用(民活)による都市再開発、「アーバンルネッサンス」を内閣の目玉に据えた。
なぜ、民活か。日本列島改造論で知られる田中角栄首相の都市政策は都市に対する公共投資を先導役にしたのに対し、財政危機下の中曽根内閣は都市に税金を注ぎ込む余裕がなくなったからだ。


なぜ、都市再開発か。1970年代のばらまき型の公共事業が疑問視される中で、都市の再開発事業は、建築・不動産だけでなく鉄鋼、セメント、電気、あるいは自動車産業までを含む複合産業であるという点が注目されたのである。
2代前の小渕内閣による景気対策のための、ばらまき公共事業とその失敗。そして、小泉内閣による「都市再生本部」の誕生。あまりにも似すぎていると思うのは私だけだろうか。


この時期に、内閣から「国鉄用地活用プロジェクトについて」という発表があった。都内汐留、新宿などに複数ある国鉄の操車場、車庫の跡地を市場に出すという内容だった。また、大蔵省からは品川駅東口国鉄用地等、全国で163件を売却する方針を明らかにした。先に東京の再開発の現状で見た、数々の再開発プロジェクトは、これらの土地が、当時は土地がバブルの地価高騰に拍車がかかると一旦、塩漬けにされたが、不況の真っ只中の97年前後に大量放出された帰結である。


また、ただでさえ甘いと言われてきた様々な規制が次々に緩和されていった。さらにこれらの緩和の多くは国会の論議を経る必要の無い、言わば官僚が勝手にできる規制緩和である旧建設省からの「通達」という形がとられていた。


この時の通達を一つ見てみよう

「特定街区制度の適用条件の改善」という名の一つの通達。たった一言だけだが、非常に大きな意味をはらんでいる。
特定街区制度は1963年の都市計画法と建築基準法の改定の際に導入されたもので、有効な空地を確保した市街地の環境上好ましいとされる業務・商業用建築について、容積率、高度制限、壁面の位置など法定規制を適用外とし、個別計画ごとに制限を決める制度だ。様々な緩和が続き、新宿の新都庁舎を含む新宿副都心の高層ビル群、池袋のサンシャイン60の完成につながった。


このような状況の中で、旧建設省や旧大蔵省は止まることなく、土地規制、土地税制の緩和や国有地の払い下げを実施していった。それに合わせるように金融も緩和されたため、土地の投機が横行して地価が暴騰し、住民が地上げに遭い、長年住んでいた自分の土地から去らねばならないというバブルの悲劇が数多くおきた。
東京に今なお残る虫食い地は、このような悲劇の名残である。


都心部でのこのような悲劇もあったが、この時期の都市開発の別の重要な特徴は、郊外・臨海地区への都市の拡大であろう。
横浜のみなとみらい地区、千葉の幕張新都心、埼玉のさいたま新都心、お台場地区の開発などだ。しかし、これらの郊外型新都心は、現在、予想を下回るテナント入居率や、都心回帰の影響に苦しんでいる。



第二節 時代状況からみる東京再開発の必要性の高まり

焼け野原となった終戦からはや約60年。日本、特に大都市部においては都市化が急激に進展し、20世紀の都市の負の遺産ともいうべき長時間通勤、慢性的交通渋滞、オープンスペース不足といった課題が残されている。さらに、少子化、情報化、国際化といった変化への対応など新たな課題も生まれた。
こうした状況下で、郊外、臨海地区への都市の拡張へ追われるのではなく、現状の都市の中へ目を向け直し、様々な都市への課題に答える努力をしなければならない。さらに、構造改革や膨大な不良債権といった都市問題以外にも、現在の日本は 多くの重要な問題を抱えている。


都市博中止を公約に掲げてた青島幸男が東京都知事に初当選し、そして公約どおり都市博中止を実行したのが95年のことである。都市博は、バブル期に起草され不況への過渡期に資金的な展望を誤りながら延期を繰り返し、結局中止に至った。この一件は、郊外・臨海地区への都市の拡大が特徴であったバブル期の余韻が、終に消え失せてしまったことを我々に強く印象付けた。以来、東京では景気の低迷とともに大型の開発は影を潜めるかと思われた。


しかし、人口の推移に注目してみると、空洞化の影響で減少を続けていた東京都心部の人口が再び増え始めたのは96年のことである。景気低迷が都心部での不動産価格の下落を促し、それにより都心回帰の流れが始まったと言って良いだろう。


そのような状況下において、平成11年小渕内閣で「経済戦略会議」が設置され、「わが国の経済を再生させるためには、都市を再生させて、土地を流動化させることが重要な戦略的課題である」という答申が「日本経済再生への戦略」としてまとめられた。この答申には経済界の強い要望が盛り込まれていたということを一言付け加えておきたい。
この答申をふまえ、平成12年には建設大臣の私的懇談会として東京圏、京阪神地域それぞれの都市再生推進懇談会が発足。具体的プロジェクトや基本姿勢の提言が行われ,翌平成13年3月、森内閣時に与党三党緊急経済対策がまとめられた。
主要な内容をあげるとすれば「都市再生の実現」と「土地等の流動化対策」だろう。ちなみにこの時初めて公式に都市再生本部という言葉が登場した。


つまり景気対策として、不良債権化した多くの土地を抱え経済回復の足かせにもがいているが、都心回帰の流れでニーズの高い大都市を再開発するという方向性がこの時、はっきりと姿を現したのだ。





第三節 小泉内閣による特別措置法成立と仕掛け人達


都市再生特別措置法への布石は前述の通り、前の森、小渕両内閣によってうたれていた。
都市再生本部へとつながる経済戦略会議創設は小渕政権発足時の公約であった。では、なぜそもそも経済戦略会議の提言に都市再開発が盛り込まれたのだろうか。


小渕内閣は橋本龍太郎内閣が98年7月の参院選挙で惨敗し退陣した結果生まれた。この参院選挙では自民党候補者が大都市部でバタバタと落選し、都市部対策、特に東京対策の重要性を自民党は痛感したのだ。このような政治的理由も存在していただろう。
しかし、最も大きな理由はバブル時代の投機の後遺症として残っている不良債権化した膨大な土地は、いつまでも日本経済の大きな足かせとなっている現実。この理由から、同会議は都市再生を不良債権の切り札と判断したのだ。同会議のメンバーは大学教授や経済界の10人が集まったものだったが、森稔、森ビル社長がメンバーの一人だったことには注目したい。
しかし、バブル期の投機により発生した不良担保不動産を生んだ責任はどこにあるのかということは、提言において問われることはなかった。
地価が下がったため、バブル時代に不良債権を生み出した役者の一人であるゼネコン、不動産業界、銀行に再び都市への投資を呼びかけたのだ。


01年3月の、森内閣の緊急経済対策でもはっきりと「都市再生の実現」と「土地等の流動化対策」が触れられていた。それと同時に自治体の果たすべき役割の大きさが特徴的だ。これを受けて、4月6日には「都市再生本部」の設置が明記された緊急経済対策が決定された。しかし、同日午後、森首相は辞任。
そして、後任となった小泉純一郎首相は5月7日の所信表明演説で「都市の再生と土地の流動化を通じて都市の魅力と国際競争力を高めていきます。このため、私自身を本部長とする『都市再生本部』を速やかに設置します」と、内閣の重要課題として都市再生に取り組むことを表明。多くの人々にとっては都市再生本部という言葉の突然の登場は寝耳に水であった。
しかし、前述した通り、ここまでの伏線はかなり前から周到に準備されていたものだったのだ。
ここからの小泉内閣の動きは素早かった。

都市再生本部の動き

都市再生本部の第一回会合は、5月18日に新首相官邸の大会議室で開かれた。 この会議で注目すべき内容は簡単にまとめると次のようになるだろう。


・構造改革の一環として都市再生に取り組む。このために「民間に存在する資金やノウハウ」を都市に振り向ければ「新たな需要が生まれる」
・これらの民間の力をフルに発揮するため「必要な都市基盤を重点的に整備」し、「様々な制度を聖域なく総点検」する
・経済の足かせとなっている不良債権化した土地を再活用する

都市に住む人々にとって、虫食いの土地が有効活用されることは大歓迎するであろう。しかし、「民間の力」をフル活用することによって、その民間の力だけが養われる一方で、規制緩和により今まで守られていた、実生活が壊される危険性もある。
また、都市再生本部により指定された緊急整備地域は、そのほとんどが東京、もしくは大阪、名古屋、横浜いった大都市にかたより、中心市街地の衰退が著しい地方都市の指定は数少なかったことから「地方への配慮が欠けているのではないか」という感もある。



第四章 特措法成立以前の東京における都市再開発


第一節 東京都市開発小史

東京は江戸から名を変えて以来、現在までに三度の大変貌を経験してきた。
最初は明治維新。 二度目は後藤新平による関東大震災からの復興計画。 三度目は、東京オリンピックまで続いた戦災復興だ。
これらの開発には明治維新には「西欧化」、関東大震災からの復興では「モダニズムへの対応」、戦災復興では高度経済成長を支える都市と都市機能の建設という明確な目的が見えていた。それらを経てきて、現在の東京の姿がある。   

第二節 骨抜き規制緩和の歴史 浦和のマンション事例から

私の住む地域から、電車で30分程度の埼玉県さいたま市浦和区。ここに、奇妙な風景ある。7階建ての5メートル南に12階建て、その約10メートル南に14階建て。さらに、その14階建ての約10メートル南にそびえる9階建てマンション。まるでドミノ倒しのドミノのように、マンションが並び立っている一角がある。


「関東地方は快晴。雲一つない良い天気でしょう」
天気予報を聞き、部屋の南向きの窓のカーテンを思いっきり開けてみる。しかし、太陽はまったく見えない。見えるのはベランダから手を伸ばせば届きそうなくらいに迫った隣のマンションの壁ぐらいだ。


ドミノのようなマンション郡の一番北側。一番最初に誕生したマンション完成当時は、南向きの窓から差し込む日差しを遮るものはなにも無かった。1棟目が建ったのは80年。2棟目は18年後、約5メートル南に誕生。3棟目は昨春、その約10メートル南に完成した。1棟目から順に地上7,12,14階建てだ。94,97年の建築基準法改正で、廊下などの共用部分を容積率に算入する必要がなくなったため、2,3棟目の巨大化に拍車がかかったそして、今また14階建ての南側には工事中のマンションが姿を現しつつある。


「なぜ、こんな至近距離に建てるんだ」新たなマンション計画が持ち上がるたびに、その北側にある(その時点では一番南側)マンション住民から激しい反対運動が起きた。
都市計画法は地域ごとに建てることができる建築物の種類や用途などを定めている。
都市部の多くは住居環境を保護する「住居系」、商業などの利便性を増進する「商業系」、工業の利便性を増進する「工業系」に大別され、さらに計12種類に分類されている。
このうち商業系には商業、近隣商業の2地域がある。さいたま市の場合、住環境への配慮が手厚い「第1種低層住居専用地域」では容積率(敷地面積に対する建物の延べ床面積の割合)は最大100%。一方、近隣商業地域では同200〜300%、商業地域では同400〜800%の範囲で認められる。
商業地域は建築基準法上の日影規制もなく、高層建築が行いやすい。そして、この地区はその商業地区なのだ。
このマンション問題がおこった浦和区の常盤地区周辺は、旧中仙道沿いに、道路に面する敷地は狭いが奥行きが長いという昔ながらの土地区画が未だに残り、これが現代のマンション建設に都合が良いことが逆に災いとなった。


 駅から徒歩10分。商店街にも近い一等地だ。けれど1,2棟目の住民は、窓の外の「壁」をにらんで嘆いてきた。 「日があたらず、風すら通らない。こんなに密着して建ってるところがほかにありますか」 16年前から1棟目に暮らす主婦は言う。2棟目が建つ時には、ほかの住民とビラまきなどの反対運動に取り組んだ。
2棟目の住民は3棟目の売り主である大手の建築業者を相手取り建設差し止めを求めて裁判所に仮処分を申請。01年秋、業者が補償金を支払うことや、3棟目の北側の通路に目隠しを設けることなどで和解した。
しかし、裁判では和解したがこのような遺恨が残るマンションで共に生活していくということは、本当に幸福なのだろうか。


第三節 遅れてくるバブル崩壊 2003年問題

2002年3月に成立した都市再生特別措置法。その翌年である2003年には高層ビルが東京都内で約40棟完成した。約218万平方メートルを超えるオフィス空間が新たに誕生したのだ。(森ビル調べ)
過去最大級の新オフィス建設が供給過多を招き、賃料相場を引き下げビル経営を圧迫、情報インフラ等、最新設備が無いなど条件の悪い中小ビルの空室率が跳ね上がるのではないかというのが「2003年問題」だ。


バブル崩壊後の十年、ビル経営者はテナントの絶対数がかつてのバブル期と比べ減ったことは事実であったが、新たなビル供給も抑えられていたため、大きな変化はなかった。
それが、2003年問題の到来で中小ビル経営者に危機感が広まっている。バブル崩壊後も、旧式の設備で採算を維持してきたビル所有者達にとり、「遅れてきたバブル崩壊」のが、現実味を帯び始めている。


218万平方メートルという広さは東京ドーム46個分に上る。この結果、東京都心5区(千代田、中央、港、新宿、渋谷)の2003年5月のオフィス空室率は、前年同月比3,09%上昇の8,50%と急上昇し、調査以来最悪の数字となった。(三鬼商事調べ
空室率の上昇は、相次ぐ大規模再開発の完成で、大手企業の本社などが既存ビルから新築ビルへと移転しているためだ。


皆さんも、ジャン・ヌーベルがデザインし話題となった汐留の電通新社屋のビルはご存知の方が多いだろう。いままで、電通は中央区築地の聖路加タワー(1994年竣工)の半分を占め、その周辺にもオフィスが分散していたが、今回の汐留への本社一括移転で、当然聖路加タワーはビルの半分を占めるテナントがいなくなってしまった。
だが、情報インフラも十分整い、まだ新しい聖路加タワーにはすぐに新たなテナントが入った。
だが、問題は終わっていなかった。電通級の大企業となると、関連会社や、製作会社が旧築地本社周辺のビルにテナントとして入っていたが、汐留移転を機に移っていってしまった所も多い。このような中小ビルのテナントは、現在でもなかなか空室は埋まっていない。


実際に、このような中小ビルが多い、中央区は空室率の問題は深刻だ。
中央区の八重洲、京橋、日本橋といった昔ながらの街の平均賃料は坪20880円。JR東京駅を挟んだ丸の内地区のほぼ半分の値段だ。
しかし、空室率は丸の内側の6倍を越す5,5%だ。
八重洲側は、延べ床面積が500坪未満のオフィスビルが6割近いのに対し、丸の内側はその6倍の面積の3000坪以上が8割を占める。
「オフィス需要が大規模化傾向にあるのに小規模なものが多く、現在のニーズに対応できていない」(東京都「都市白書」2002年)


そして、すでに新たなビルの供給は止まったのではなく、今現在も新たなビルの建設は休み無く続いている。
数年先の東京は、旺盛なオフィス需要が急激に発生し、空室問題は解決するのか。
それとも、煌びやかな新たなビルがぞくぞくと建つ一方で、誰もいない暗いビルが東京に増えていくのか。
今はまだ、誰もその答えは分からない。



第五章 特措法成立以降の東京における都市再開発


第一節 様々なアクターの反応

都市再生特別措置法は、行政手続きのスピードアップが実現した。「もっと、早くの完成が可能だったのではないか」六本木六丁目再開発組合(所謂、六本木ヒルズ)の一人は、そう語る。完成までに、17年の歳月と400回以上の説明会を重ねてきた。完成を見る前に亡くなってしまった地権者の方もいる。
財政出動を抑えたい政府にとっても、「税金を使わずにできる経済活性化策」といった見方がある。
区レベルでの自治体も、区内で特別区が指定されれば大型開発を進めやすくなる。再開発の収益性が高まり、地権者も乗りやすくなるといった見方がある。


都市再生特別措置法は2003年に成立、施行された。よって、住民の立場として特措法の恩恵or影響を実際に目にするのは、まだ少し先のこととなる。経済活性化策としての都市再開発には、大賛成。
しかし、それが自分の身に直接、降りかかったら私達はどう反応するのだろう。そして、自分が当事者となる可能性は以前に増してはるかに大きくなったことが、現時点での住民に対する特措法の一番の影響である。


第二節 環境アセスからみる規制緩和

東京都は2002年、5月28日、都心部などで環境アセスメントの対象基準を大幅に緩和する方針を発表した。
変更内容は、アセス対象の構想ビルや住宅地の規模を現行の1,5倍から1,8倍にし、手続きの迅速化もはかる。都市再生のスピードを加速させるための大幅緩和だ。


現行の都の環境影響評価条例では、環境アセスメント対象事業を「高層建築物は高さ100メートル以上、かつ述べ床面積10万平方メートル以上、住宅団地は1000戸以上」と定められている。
これを、新たな規則では、「高層建築物は高さ180メートル超、かつ15万平方メートル超、住宅団地は都内全地域で1500戸以上」に緩和されることとなる。
また、一部手続きの省略や、過去のアセスデータの活用、ネットによる説明会等の告知などで、現在では約20ヶ月かかっている高層建築物のアセス期間を半分程度に短縮させるとしている。


単純にビルの一階分の高さを3メートルとしてみよう。100メートルで約30階のビル。180メートルでは約60階の超高層ビルだ。
3月に成立の特措法を受けたかのようなこのアセス改正。この変更後のアセス基準であれば、かなりの数の建築計画がアセス対象外となる。


都は「現行アセス施行後21年が過ぎ、230件の実績を踏まえ改める点が出てきた」と言い、汐留では、対象住民が少なく公聴会が中止された例もあった。開発側は、「アセスは正直、負担が大きい。土地の先行取得から事業開始までの時間が長いと、金利負担が膨らむ。地権者の住民の生活再建にも時間がかかる。見直しにメリットを感じる」としている。一方で、「形ばかりの都市再生だ」「手続きの簡略化で、逆に住民との軋轢に繋がりかねない」といった声もある。


国がいくら主導しても、実際に開発や建築の様々な側面関わっていくのは、やはり地方自治体がかなりの割合を占める。国の法整備を受けて、自治体である都が、法の具体的な運用法として条例を変更したことの意義は大きい。さらに、東京都は緊急整備に指定された地域が多く存在するといった事情もある。
だからといって、今まで住民を守るために存在していた環境アセスメントを、明確な理由の説明無く変えるのはいかがなものだろうか。


その一方で、都は同時に「計画アセス」を導入するとも発表。現行アセスは事業計画がほぼ固まった段階で実施されているため、調査の事業への反映が難しい。
「計画アセス」は事業者は計画案を複数作り、それぞれに環境影響を予測し、評価する。都民や酋長の意見を聞き、審議会の答申や知事の意見を踏まえた上で一つに絞る、という内容になっている。


第三節 PFIと南青山一丁目団地


PFIとは、公共投資に民間の資金やノウハウを導入する新しい試みだ。99年に施行されたPFI推進法だったが、小渕、森内閣が景気対策の名の下に行った巨額の公共投資のため、PFIは忘れられた存在となっていた。


そのPFIが再び、今日また注目されてきた理由は、国、地方ともに財政が一向に上向く気配が無く、歳出の抑制、事業の効率化がさらに求められる状況となったからだ。
政府の経済財政諮問会議は都市再生にPFIを活用することを提言。都市再生本部はそれを受け、文部省、会計検査院等の建て替え事業に導入しようとしている。ここでは、都営青山一丁目団地建て替えプロジェクトを例にとって見てみたいと思う。


「都市再生特別措置法による民間都市再生事業の第一号」 都営南青山一丁目団地は、国土交通省により2003年1月30日、再生事業第1号に認定された。
特措法により、民間都市再生事業に認定されると、無利子貸付けが民都機構から受けられるなどの支援が受けられる。(第二章第一節)この団地を民間の超高層マンションや商業施設と同居する再開発を行い、土地を有効に使い都心居住を促し、民間マンションなどからあがる地代で都財政の収入にも一役買う。民活導入による公営住宅と民間施設の一体的な整備という全国初の試みだ。


民間の企業グループが施行し、完成後、都が企業グループから都営住宅部分を買い取る。同じ敷地内に完成する都営住宅以外の民間マンション、商業施設へは70年間の定期借地権が設定され、年間5億2千万円の地代が都に入るという仕組みだ。


このようなPFI制度が今後さらに普及し、公共投資を、その選定から、事業の進行、完成後の管理までを含めて根本的に洗い直されるようになることを期待する。その意味で、2006年の南青山一丁目団地の完成が楽しみである。



第六章 海外での都市再開発事例


第一節 英国でのEZとは?

「都市再生特区」の考え方は、英国のエンタープライズゾーン<EZ、地域活性化地域>に学び、導入したと言われる。
EZはサッチャー政権時の都市再生計画である。この計画の下、80年代にドックランドの再開発が行われた。
ドックランドとは、かつて七つの海を支配した大英帝国の造船所と貿易の拠点であったことから名づけられた名である。しかし、産業構造の変化から英国での造船は廃れて、ドックランドも同時に廃れていった。
そんな荒廃した地区の再開発に乗り出したのがサッチャー政権だった。英国ではもともと都市計画については自治体が強い規制の権限をもっている。土地の利用、建築などは、原則,不自由、都市計画の観点から認められるものだけが実現できるという考え方だった。しかし、オイルショック以降の財政危機のなかで、自治体や政府には再開発を自力で行う財力がなくなっていた。
そこで、地元の自治体の都市計画権限を「ドックランド開発公社」という日本流にいうと「第三セクター」に移してしまい、産業界の代表も理事会に名を連ねるこの公社が規制緩和とセットになった再開発計画を作った。規制緩和によって採算がとれそうな条件をつくり、これまた日本流にいうと「民間活力」が展開される環境を整えて、政府の財政負担は最小限して再開発を行ったのである。


確かに、都市再生特別措置法と共通するものが、いくつかある。
しかし、決定的に異なることがある。英国のEZは疲弊した都市エリアの再生を目的に開発計画が決められたものである。よって、指定された再開発地域は廃れた港湾地域や工場跡地であった。疲弊した地域を特別区として、そこに開発投資を導く。その意味では「開発の誘導」と言えよう。


一方で、日本の都市再生緊急整備地域に指定された場所を見てみると、疲弊した地区などではなく、有楽町、八重洲、大崎など現在の東京でも一等地の部類に入る場所だ。
その意味で、EZとは単純な比較は難しいが、自治体にもともとあった権限と規制を廃し、規制緩和後に実現可能な計画を提案するという、スタイルを完成させた例として注目される事例である。
しかし、EZ方式により都市再生に効率的な効果があったのかは、英国政府の調査でも疑問視されている。


第二節 (参考)東京外環道未完成区間のPIの取り組み

「PI」(パブリック・インボルブメント)という言葉が広がりつつある。公共事業を計画段階から住民の意見や要望を聞いて議論し、中立的な第三者機関も設置するという試みだ。「賛成」「反対」は協議の後に表明する。8年前に旧建設省が策定した道路整備計画の中で始めて公式文書に登場。国交省はPI手続きを積極的に取り組むように通知した。


このケースを実際に用いている東京外環道のケースを見てみたいと思う。
東京外環道とは都心から半径約15キロを環状に結ぶ高速道路である。完成したら、都心から15キロ圏の千葉、埼玉、神奈川が全て繋がり、首都高の混雑緩和に役立ち、東名道から関越道、東北道、常磐道への乗り換えといった各高速道路間の乗り継ぎも非常にスムーズとなると言われている。しかし、現在完成しているのは全体の3割程に過ぎず、未着工区間は人口密集地で、数多くの人々が実際の生活を営んでいる。


現在の外環道の終点である大泉JCから、東名高速に繋がる狛江市までの約16キロ区間が都市計画決定されたのは、今から39年前の66年だった。大泉JC周辺は、すでに住宅密集地であったことで、反対運動が起こり、70年に凍結が建設大臣により宣言された。
都市計画決定された地域では新たな建物を作ったり改築する際は、様々な制限がかかる。凍結後38年が経ち、計画は中ぶらりんのままの状況に住民達は、自宅の改築などの動きが取ろうにも取れない状態がずっと続いていた。


動きがあったのは99年のことだ。石原都知事が視察に訪れ、地上の高架式から、沿線への影響が少ない地下化についての検討を指示した。01年には扇国交省大臣が視察に訪れ地下化の計画を公表し、説明会を開いた。
その後、住民・都・第三者機関でのPI協議会が開かれ始めた。長年放置されていた問題のため、具体的論議の前に議論が住民と都の間で堂々巡りになることもあった。しかし、初のPIの実践となるこのケースの結果が今後どうでるのか楽しみである。
「行政との話し合いに期待している。だから、賛成か反対かは、協議会の結論が出た時点で考えてみようと思う」と、ある住人は述べた。


第三節 フランスでのPI先行事例

フランス、パリの首都圏を走る3つの環状高速道路。その中の一つ、A86線。この計画が明らかになったのは87年のこと。
パリ郊外のナンテール市の住民たちは、計画の内容が、全ての道路が地上に低い丘を作った上に建設されると知り、「この道路により自分達の街が分断される」と危機感を感じ、「周辺住民の利益を守る会」を結成した。


しかし、これらの活動はただの反対運動ではなかった。当時、車の渋滞は激しく住民の多くは「高速道路は必要」という思いを持っていた。そして、「道路を地下化することは可能なはず」と呼びかけ始めた。高速道路を作る建設局との交渉のため、住民側も勉強を重ねた。議会を傍聴し、技術者を招いては地下化が可能かどうかと技術的な問題にも踏み込んだ。
最初は、地下化となると予算が膨らむことや技術的問題を理由に難色を示していた行政側も、除々に譲歩し住民の考えを受け入れていった。


92年に出された「ビアンコ通達」も住民達を後押しした結果、94年、フランス設備省はA86の地下化を決定。96年の開通にこぎ着けた。
「行政との協議は長くかかったけど、対決する姿勢ではなく、妥協点はないかお互いに探ってきたからこうした結果を得られたと思う。」地下に造られた高速道路の真上に整備された公園で住民の一人は振り返った。


用語説明

<ビアンコ通達>=仏で92年に出された、都市計画決定の手続きに入る前の段階で住民と関係省庁が協議することや、協議にあたっては第三者の監視委員会を作ることをさだめたもの
欧米では一般的制度となっており、イギリスでは構想段階から市民の意見を求め、情報提供や意見聴取も精力的に行われている。



第七章 特措法による都市再開発の変化と問題点


第一節 誰のための再開発か?

都市再生特別措置法成立とともに、「都市再開発法」と「建築基準法」も同時に一部改正された。これらの法には、都市計画の方針や地域整備方針を国が指定していくという内容が盛り込まれた。最近の、地方分権に逆行した内容ではないか。


法成立と改正により大幅な規制緩和とともに、都市計画、建築に関して大幅な自由が認められるようになった。
不良債権と化した都心の虫食い地や、開発推進が見込まれる土地に対し規制緩和により、民間の資本と技術を集中させる。建築基準法も含めた3法には「大幅な規制緩和を通じて、民間の開発業者が動きやすいようにした」という共通した意識がある。


これを逆の立場、住民の視線から見てみるとどうなるだろう。各ケースを具体的にみていこう。

<都市再生特別地区に指定されると・・・>
都市再生特別措置法に基ずき、東京駅・有楽町駅周辺、東京臨海地域など7地区が「都市再生緊急整備地域」として指定されており、この緊急整備地域内には「都市再生特別区」を設定できる。この特別地区に指定されると、用途指定・容積率・健ぺい率・高さ規制・壁面位置などの制限がなくなり、周辺住民への影響を無視して事業者が自由に高層ビルを建てることができる。

今後も緊急整備地域に指定される地域は増えていくだろう。自分の家が、もし、その緊急整備地域内になったしまったら・・。
極端に考えれば、知らない間に、自分の家が大きなビル群に囲まれてしまうという可能性もある。


<確認制の総合設計制度を使うと・・・>
これからは、自分の家が都市再生緊急整備地域に入っていないからといって安心はできない。総合設計制度はこれまで「許可制」だけだったが、建築基準法の一部改正で新たに「確認制」が新設された。
「確認制」では敷地面積が一定規模以上の場合で、空地を一定規模以上確保すれば、建築確認の手続きだけで容積率を最高1,5倍まで緩和できる。


つまり、1階あたりの床面積を通常の制限で建築した場合、2分の1のビルは、通常の制限床面積のビルと比べ3倍の高さの建築が可能となる。


<日影規制が6,5Mになると・・・>
第一種中高層住宅専用地域等では、これまで日影を測定するポイントを隣地境界線から5メートル、測定する高さは4メートルだった。
しかし、今回の建築基準法の改正で、新たに測定する高さとして6,5メートルを都市計画を決定する際の選択肢として追加した。


日本の建物の一階の高さは平均3メートル。6,5メートルまで日影になってよい、ということは、2階が全て影になってしまう場合があるのだ。


都市再生が、誰のため、誰の利益を一番に考えているのか。
そもそも、建築基準法の基本精神は住まいの安全と住人の健康である。国民の健康、安全、安心、快適を守るための法の精神と住環境を犠牲にしてまで、景気浮揚を図る必要があるのだろうか。


第二節 特措法による再開発の未来予想

特別措置法の特徴と、それにともなう予想される問題点を、いままでいくつか述べてきた。
ここで、もう一度それらをまとめてみよう。

「国主導」
都市再生法では、政府は都市再生基本方針を定め、都市再生緊急整備地域および、その整備方針を定め、かつ緊急整備地域ごとに国主導の協議会を設置して、市街地整備の協議を行う。
ここが重要なポイントであり基本方針の策定に対し自治体は意見を申し出たり、聴取されることはあるが、地域指定や方針決定は政府(都市再生本部)が行い、かつ協議会も内閣官房が行うなど国主導である。
いわば、指定地域で都市計画や事業計画を国が主導する制度と言えよう。
だが、この方針は90年代に進んだ都市計画制度の分権化に逆行する動きではないか


「民間業者の活用」
国の関与は、緊急整備地域内で都市再生事業を行う民間事業者が作る民間都市再生事業計画の認定にも及ぶ。
国主導で民間事業者を活用するのが第二のポイントだ。
認定を受けた民間業者は国の外郭団体である、民間都市開発機構から無利子融資、社債割引、信託受益権取得、債務保証などの支援を受けることができる。

「規制緩和」
緊急整備地域内には、既存の都市計画、建築基準法による規制を緩和し、別途の都市計画を定める都市再生特別地区を指定することができる。
これが、規制緩和という第三のポイントである。
都市再生事業の事業者は、都市計画を提案し、変更を求めることができる。
これに対し、都市計画権限を持つ自治体は、6ヶ月以内に提案に応じるか否かを判断し、応じない場合は提案者に通知し、応ずる場合には都市計画の変更を行うことになる。

6ヶ月以内と、区切ることで事業者にとっては計画のスピードが上がることになるが、今まで時間を使って審査していたことがおざなりになる可能性はないのか。


「都市再開発法と建築基準法の改正」
第一節でも述べたが、両法改正の影響は大きい。
都市再開発法改正では、民間再開発会社が都市再開発事業者になれる制度が新設された。
これまで、自治体など公的機関に限られてきた第二種市街地再開発事業を民間事業者も行うことができるようになった。
<「第一種事業」が地権者の調整を重ねる権利変換方式を取るのに対して、「第二種」では土地収用権を背景とした買収による管理処分方式をとる>


このことの意味することは大きい。
開発業者と地権者からなる再開発会社が開発を推進する場合、対象地域の地権者の3分の2以上の同意と、地権者の所有の土地が3分の2以上であるという条件で、土地収用が可能になる。

これまでは、企業がある土地一帯を買い占めても、その中に住民が居続ければ強制排除はできなかった。土地収用はこれまで、避難広場整備などやむにやまれぬ事情のときにのみ、自治体・公団に認められた強権だった。
今後は、その強権を持つことができることが格段にやさしいこととなってしまった。



第三節 主な問題点

まず、今後日本は少子高齢化、人口減社会等、社会環境がこれまでと大きく変わることが予想されるが、これに伴い日本の都市政策が大きく変わりつつあり、今こそ都市のグランドデザインが必要な時期であるにも関わらず、都市再生法は理念(グランドデザイン)なき都市再生という批判が強い。


次に、90年代に都市計画分権化が進み始めたのに、その針を止めるかのように、都市計画における政府の関与は逆に強まってしまっている。
その背景には、現小泉内閣が財政手段でなく規制緩和によって都市再生政策を進めなければならない状況におかれたことがある。
民間企業には都市計画などルール作りの当事者(自治体)と対峙したときに、果たして規制緩和に応じてくれるのか不安があるため、国を後ろ盾に規制緩和(都市計画の決定、変更等)を要求するという方法がとられたのではないか。


第三に、都市再生法には市民参加によって、「都市の再生」を図るというような条文はどこにもない。
市民参加によって作成された都市計画マスタープランに基づき定められている自治体の都市計画がマスタープランの変更無しに(市民の合意無しに)、都市再生事業者を行おうとする者の申し出で変わるという本末転倒した事態が起きかねない。


第四に、都市再生が東京一極集中型で、地方軽視となっていることである。
これまでに指定された緊急整備地域は東京、大阪、名古屋が大部分であり、都市再生法が大都市圏、とりわけ東京の再生を目指していることは明らかといっても良いだろう。
しかし、現在、都市の再生が切実に問われているのは大都市以上に地方都市ではないか。今現在、法の施行前の段階でも多くの再開発事業が存在し、民間中心の都市開発の可能性が最も高い東京圏で、民間都市開発に民都機構の融資といった経済的優遇措置や、規制緩和を行うのは疑問であり、同時に疲弊著しい地方都市の再生にも目を向けるべきである。



第八章 最後に「今後の都市再開発のあり方、理想の再開発とは?」


また一つ、東京の風景が変わろうとしている。渋谷、表参道の同潤会青山アパートが75年の歴史に幕を下ろし、安藤忠雄デザインの商業ビルへの建て替え工事が始まっている。
安藤は、あのツタが絡まる青山同潤会アパートの名残を、新たな建築物でも復活させるデザインを練った。
さらに、目の前のイチョウ並木の高さを超える高さにはしない。古き良き建物の記憶を残しつつ、周囲の環境と調和した再開発だろう。


確かに高層ビルの再開発は、新たな職・住接近とオープンスペースという概念と経済メリットを我々にもたらした。しかし、そこではまず経済第一の原則が感じ取れる。
日本の都市の中小ビルは耐用年数未満に取り壊し、新たに作り直すというスクラップビルドの考えが主流であった。だが、高層ビルの取り壊しは世界中でも非常に例が少ない。
その意味で東京は開発の最終形態に入ったのだろうか。


だからこそ、開発を始める前に、今後東京をどのような都市にしたいのか、またするべきなのかといった都市開発のグランドデザインが重要になってくる。しかし、都市再生の切り札と華々しく登場した都市再生特別措置法は、具体的にそのようなことに触れることはなかった。
また、特措法の検証を進めていくにつれ、いくつかの問題も見えてきた。
本論文の中で指摘した問題が、もし現実のものとなったら・・・。
歴史的建築と超高層ビルの地区が、明確な都市計画のもと分かれているパリやロンドンに対し、そこには、東京中に自己完結されたいくつかの高層ビル群の島々が点在し、中流階級意識の消滅とともに勝ち組負け組みがはっきりとした、効率ばかりが優先された都市が出現するのであろうか。


しかし、新たな動きもある。2003年問題に対しては、空きがあるオフィス用中小ビルを住居に転換利用するコンバーションの試みが、広まりつつある。
また、規制緩和ばかりが目立った政府の都市再生本部も2003年末に、「琵琶湖の環境保全」をプロジェクト化し、地方公共団体が町並み保護のための条例の根拠となるべき、「景観緑三法案」所謂、「景観法」が平成16年6月に交付されたように新たな方向性を打ち出しつつある。
だが、まだ課題が残っているのも事実だ。
2005年の現在も「2003年問題」は続いている。東京23区内だけでも2004年以降に誕生する述べ床面積1万u以上の大規模オフィスビルは、判明しているだけでも111棟、総延べ床面積で約700万uにもなり、平均的な一人当たりのオフィス面積を基に収容人員を試算すると、約18万人の規模になる。コンバーションの概念が広がらなければ、東京のオフィス市場は待った無しの弱肉強食により膨大な量の空室が生まれる可能性がある。他にも東京が地下に抱える、地震への防災対策。これから迎える人口減社会に対し、団塊世代に対応して拡大を続けてきた都市はどうあるべきなのか。(「都市をたたむための都市計画技術」という概念を饗庭伸都立大助手は投げかけている)等、課題は数多くあり、きっとこれからもまた新たな課題が誕生するだろう。
だが、我々はその課題に対し、一つ一つ誠実に対処していくことしか解決策はない。
小手先だけの対策は、都市計画においては、未来の悲劇を生むことになるだろう。


東京の町は一見、無秩序にみえる。しかし、無秩序といっても、それはそれでさまざまな規制の帰結として導き出された姿である。法、規制、市場の要請に従い、注意深く形成されたはずの街並みが、にもかかわらずまったくもって無秩序に見える。そういうやっかいな現実に東京は直面している。
だが、法、規制、市場の要請も人間の都合。そして、都市で生まれ、生活し、死んでいくのもまた人間なのだ。
皆さんは、どのような都市で生まれ、成長し、生活し、死んでいきたいと思いますか。
<了>




参考図書、資料、文献

・都市再生特別措置法研究会 『都市再生特別措置法の解説Q&A』
 ぎょうせい 2002年

・ギャラリー・間編 『建築MAP東京2』
        TOTO出版 2003年

・越澤 明   『東京都市計画物語』
    ちくま学芸文庫 2001年

・五十嵐敬喜・小川明雄   『都市計画 利権の構図を超えて』 
 岩波新書  1993年

・五十嵐敬喜・小川明雄  『「都市再生」を問う 建築無制限時代の到来』
 岩波新書 2003年

・矢作 弘 「究極の開発の自由は何をもたらすのか」
 『世界』2002年10月号

・雑誌  「オフィスビル 淘汰の時代」
 『エコノミスト』 毎日新聞社 2003年7月号

  

・内閣官房都市再生本部事務局企画官 佐々木昌二「都市再生特別措置法」
 『ジュリスト』2002年10月号

・及川 健二  「高層ビル乱立で得するのは誰」 
 『週間金曜日』 2002年10月号

・日本建築学会  『建築雑誌』
饗庭伸「都市をたたむための都市計画技術」2004年6月号 、早田宰「都市部における身近な公共空間づくりの到達点と展開」2004年6月号  「Q&Aコンバーション」2004年12月号

 

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