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「究めるひと」と「際めるひと」
早稲田大学 ビジネススクール 教授 1982年京都大学卒(社会学専攻)、1990年スタンフォード大学経営大学院卒(MBA取得)。日米欧のグローバル企業(日産・Citibank・Schroders)大手コンサルティング会社(Bain・Mercer)で戦略企画・人的資源管理・リーダーシップ開発・マーケティング・投資教育を担当し、2004年より早稲田大学嘱任。STOも参画している「人材・組織・リーダーシップ」のクラス運営においては、クラス自体を学習する組織づくりの「実習」の場と考え、受講生が回り持ちでキャストとなる経営教育コンテンツのLinux/Wikipedia方式を開発。特技は飛び込み営業。 自分の「横顔」というのは鏡でも見ることは難しいものである。横顔を見ようとして鏡の前に横向きに立ち首を捻ってみると、そこには正面からの顔が映っている。捉えきれない横顔を見ようとすると鏡に映る背景に改めて気がつく。それは
今生かされていることに繋がる膨大な幸運の「あり得なさとあり難さ」だ。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 早稲田大学ビジネススクールで「人材・組織・リーダーシップ」の授業を担当している。2004年の秋に ASMeW のMOT研究所に嘱任となり組織の立ち上げに参加した後、ビジネススクールに移籍した。現在は担当クラスの運営と並行して早稲田大学の海外プロジェクトであるシンガポールの南洋工科大学とのダブルMBAプログラムの助走を加速してきた。まさに今月三段跳びの「ホップ」を踏み切ったところだ。 |
ABC虎の穴 |
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小学校では近木英哉元島根大学農学部教授(当時)にプロの昆虫採集に宿泊同行させて頂き科学する心の基本の基本を学んだ。例えば、昆虫の種類を決定づけるのは「節の数」などの構造であり、擬態や退化もある見た目の形態は本質ではない。 |
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写真に写っているのは先生とただ嬉しそうに捕虫網を持つ少年であるが、分類学とその底流にある本質の見極め方について胸ときめかせて学んだときの貴重な一枚である。
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![]() 近木英哉先生と |
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高校は理数科で得意科目は数学であったが、敢えて文系に転じた。田中教授にキャンパス案内をして頂くという贅沢な機会を得た後受験し京都大学に入学し、社会学を専攻。上野千鶴子教授(東京大学・社会学)から多大なる影響を受ける。この懐の深い学問をロータリー財団の奨学金を受けてニューヨーク州に留学して英語でも学んだ。その時に先輩として助言を受けたのが佐々木輝美教授(国際基督教大学・教育学)であった。それがきっかけとなり自動車会社の海外部門の企画部に勤務。上司は法木秀雄教授(現早稲田大学ビジネススクール・以下WBS)であり、舞台が変わって現在もシンガポールプロジェクトでの心優しいパッション溢れる上司兼恩師である。 |
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「きわもの」の原義と6つの新解釈 |
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日本語でいう「きわもの(際物)」とは、もともと時期的な「きわ」に由来し、門松など特別に必要とされる季節の間際にテンポラリーに売り出される品物を指したらしい。そこから例えば「正月過ぎの門松」のように肝心のタイミングを逃すと無価値になる面が強調され「一時的な流行をあてこんだ商品」となり、事件後脚色してすぐに出される小説や映画など本格的とは逆のものをさすように転化したという。ある特定の時点を機に必要品が不用品に転化するもの、あるいは本 物と偽者などのきわにあるものということになろう。そんな「きわもの」にも、場合と文脈によって、また言葉の解釈のしようによっては一定の役割が与えられることがある。試しにこの言葉を敢えて様々に(国際的・学際的に(?))英訳してみた。 |
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6つの「きわもの」と「大学力」 |
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思えばAdvanced Science を「先端科学」とはなかなか大した翻訳である。まさに「先端」とはものごとを「きわ(究・極・窮)めて」行った先にある「きわ」のことである。ものごとの真贋はそれ自体の中にあるのではない。きわを作るきわものがいて始めてその線はくっきりとする。融合の推進には「きわもの」という触媒も場合によっては有効かも知れない。 |
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機構広報窓口として体外的対応をさせて頂いていた(これも「きわもの」ゆえか)ため大学への訪問者にキャンパス案内をすることがしばしばあった。近くにある大隈講堂に案内することは多かったが、いつも言っていたのは「ここには壁も門もない」ということであった。 |
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「際める」努力とシンガポール |
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今、私はこの文章をシンガポールの南洋(ナンヤン)工科大学の宿舎で書いている。前向きな意味でのきわものとしての活動を特に「国際」の文脈で行ってきたことの一つの集約が開校式であった。2006年8月1日、早稲田−南洋Double MBA Program の開始日は将来振り返って早稲田大学においても記念すべき日になるに違いない。 きわものの第七の訳: 学習者=“Learner”
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実際の細胞見学会 |
どんな商品も戦略も最終的には模倣されうる、そんな経営環境のもとで、真に継続する競争優位は、例えばトヨタグループのたゆまぬ「カイゼン」のように常に学び続けることでしか得られない。 |
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経営学においては、「学習する組織 “Learning Organization”」についての研究が花ざかりとなり、一方で、脳・神経といった分野でのピュア・サイエンスと医学の両面からの研究も一気に進んだ。これからの学問は、ダイナミズムを「生」のまま捉えようとするベルグソン流の「ライフ」の周りに従来の学問領域を融合・統合しながら集積していく。 |
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明日見ゆ早稲田 |
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「境界」は「自」と「他」の間に引かれる一本の線である。自己と非自己を見分ける機能が「免疫」であるが、これは「軍事」と同じしくみともいえる。平和に見えるシンガポールでも国の成り立ちと全国民による「トータル・ディフェンス」の概念は裏表の関係にある。身体が「非自己」を認識し外部からの異物を排除するのが免疫。国が外的を認識して排除するのが軍事。どちらも何がselfで、何がself でないかをわからないと始まらない。現在は self が揺らぎ、境界が点線になったり、点滅したり、或いは常に揺れ動いている状態になっているといえる。 |
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自立し自律する「学習する組織」は決して企業経営だけの話ではない。むしろ大学こそそのフロントランナーでなくてはならないという使命を帯びていると私は思う。大学は率先して「学び」における先進的な組織となることを実践しなくてはならない。南洋工科大学とのダブルMBAプログラムによる国際展開とASMeWにおける文理融合研究。どちらも境界が溶けていくステージにおける新たな学びと際立ちへの挑戦といえる。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 自分では見えない「横顔」はが写真では見ることができるように、「思い」は書きものにしてみることによって認識される。文字によって自分の考えが自分にフィードバックされ更に新たな思いがトリガーされることで思いの自己増殖が起こってしまう。多分それは書くことの本質かもしれないが、それこそ際限がない。支えてくれた妻と家族に感謝しつつ一旦ここでボーダーを引くことにしよう。 参考図書: |
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