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発明との出会い・没頭・そして・・・
早稲田大学 戦略マネージメントセンター 教授
◎略歴 1969 早稲田大学 理工学部応用物理学科修士課程 修了 1969 東洋レーヨン株式会社(現東レ)入社 中研配属 1982 東レアメリカ(ニューヨーク駐在員) 1988 東レ滋賀事業場フィルム生産課長 1995 東レ滋賀事業場ペフ製造部長 1997 東レ本社生産技術第2部主幹 2001 早稲田大学研究推進部参与(TLO技術移転) 2004.12 先端科学・健康医療融合研究機構MOT研究所教授 2005.4-2006.3 先端科学・健康医療融合機構 戦略マネージメントセンター代表 2006.4 先端科学・健康医療融合研究機構戦略マネジメント研究所教授 |
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1.発明との出会い「児童生徒の発明・工夫展覧会」 小学校4年生の時、クラス担任の先生が実験や装置を作るのが大好きで、 たまたま「発明・工夫展覧会というのがあるので風間君何か装置を作ってみないか」といわれて、装置を作り、出展したのが始まりでした。 当時は「発明」という言葉の意味も分からず、日頃不思議に思っていた「飛行機の飛ぶ原理」を実験できる装置を作った次第です。 風の流れが飛行機の羽にあたると飛行機が浮くと考え、 (1)風を発生する装置、(2)軽い板を接着剤で固めた飛行機、(3)飛行機の先端と 固定用のポールとを毛糸で結束し、(1)から(2)に風を当てて飛行機があがるかどうかを試すという簡単なものでした。その作品は小学生の部で努力賞を受け、朝礼時全校生徒の前で表彰状をいただき、生徒から拍手を受けたのを今でも鮮明に記憶しています。 |
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2.宇宙は呼んでいる その後、中学校・高校では、発明とは特別関わりはありませんでしたが、アイデアとしては、「タイヤ1本だけの車が作れないか」とか、歯を磨くのが嫌だったのでを磨かないでもいつでも真っ白で、きれいな状態を保てないか」など空想するのが楽しみでした。 中学生当時はむしろ「真空」という概念がどういう状態かとか、「宇宙の果てはどうなっているか」など、一般的に科学に興味を持つ少年の一人であったと思います。また、中学・高校を通じて「数学」だけに没頭する偏った生徒でもありました。当時のモットーは「宇宙は呼んでいる」でした。 |
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3. 物の理屈・・・ 大学への進学の際、数学を利用した「物理」がすべての基本と考え、 早大の応用物理学科を選びました。当時、「物理」は「物の理屈」なので これを勉強しておけば何にでも応用できるはずと思いこんでいた節がありました。 修士課程を経て、進路をどうするか考えていたとき、電気が専門の先生から、「研究が面白ければ大学に残り、儲かることが楽しいと考えるのであれば 企業に入ればよい」というようなお話しを聞き、それでは「儲かる研究を したい」、と考え企業に入ることにしました。 |
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4. 発明への没頭 修士課程を修了した昭和44年、東洋レーヨン(株)(現東レ)に入社しました。 入社後大津にある中央研究所に配属され、最初の業務は電子線架橋のポリオレフィン発泡体のプロセス・用途開発でした。 そのころから、技術開発の成果を特許として権利化することが本来業務であるとたたき込まれ、自ら明細書を作成する訓練を受けました。 その後、将来のコアー事業として当時から期待されていた二軸延伸ポリエステルフィルム(商標名:'ルミラー")の技術開発分野に異動し、26歳から約10年間、製造能力の抜本的改善プロジェクトに参画し、キーとなる発明技術の実用化に傾注しておりました。当時の特許の書き方は、特許の明細書を他社の技術者が克明に読んでもマネができないような記述が重要ということで、KH(ノウハウ)は一切開示しないように工夫しておりました。 いくつかの特許技術が製造能力の抜本的改善に結びつき、その後の世界的需要の爆発的拡大も相まって、世界的な製造者の地位を獲得するに至っております。配属時点日本で5,000トン/年であった製造・販売能力がその35年後の現在、全世界に8カ所、350,000トン/年以上の能力を保有し、さらに拡大続けていることは、技術者の一人として今でも誇りに思っております。発明・考案技術としてユニークで有効であったものは、1.濾過技術及び 2.延伸技術ですが今でもKHとして機密にされているので、紹介できないのが残念です。 |
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38歳で管理職になった以降は、東レアメリカのニューヨーク事務所の
駐在員として日本から輸入されるプラスチック製品の技術対応等の業務や、(大企業の常である)製造ラインの課長、部長職、本社生産技術統括部署、
プラスチック海外技術統括等20年弱、発明とは直接関係ない業務に従事 してきました。 但し、海外技術統括時代フィルム製品の海外生産展開が急速に始まり 技術(技術・製造・設備)の窓口として、海外工場の立地選定、製造設備仕様決定、合弁での海外進出での合弁相手との折衝等ライセンス契約等に携わった経験がその後の転身に役に立ったと思います。 |
![]() オリエント急行 |
そして、 東京本社の生産技術部で中国国営企業とのフィルムに関する合弁会社の設立が決まり仕事が一段落していたとき、たまたま、日本テクノマート(現発明協会の一部門)から早大TLOの派遣されていた特許流通アドバイザーから声がかかり、後任を引き受けてくれないかとの打診が入りました。TLOでの特許流通アドバイザーの主たる業務は大学の研究成果を特許として出願・取得・維持する過程で、特許を技術として企業等へライセンスすることとの話でした。技術部署で発明の経験があったこと、多少なりとも海外企業とのライセンス交渉経験があったこと、また当時日本の製造業の多くが生産拠点を海外にシフトさせ、日本が空洞化することへの危機感があり、企業がやめてしまった基礎研究を大学等の研究機関がどのような知の受け皿になりうるかについて大きな関心を持っていたときでしたので、すぐに後任を引き受けさせて欲しいと答え、人事部と折衝の上、日本テクノマートへの出向という形で、早大TLOに2001年4月着任しました。 それから2004年11月末(60歳の定年退職)まで、早大TLOでお世話になりました。 早大TLOでの4年半、100件以上の早大出願や早大/企業の共同出願の実施契約条件交渉に携わり、多少なりとも大学の研究成果の発信(いわゆる産学間マッチング業務)にお役に立てたと考えております。特に逢坂先生らとNECの技術者らのFe/Co/Niからなる高密度磁気ヘッドの特許技術を第3者の大手電子メーカーにライセンスという厳しい交渉を担当させて頂いたことがよい経験になりました。 |
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そしてさらに・・・
2004年秋、ご承知の通り、早大S-COEが文科省から採択され、知財に関する専門家として、S-COEで採用された研究者への知財に関する啓蒙・支援活動を行うことを目的としてメンバーの一員になった次第です。 S-COE(ASMeW)での私に課せられた課題は、基礎研究をされている 研究者にも知財に関する意識を持って頂くことにつきます。 研究テーマを設定する段階で対象研究分野での論文・学会発表と同等に、自ら先行特許文献を調べる習慣をつけて頂くことが肝要と考えております。私はこれを「特許の源流管理」と呼んでおります。実際、研究を始めた後でその分野で重要な特許が存在すると研究成果そのものが知財という観点で無意味なものになってしまう恐れがあることです。 企業でも新たな研究を開始する前に研究者に先行特許をよく調べることを義務つけているのは、このためです。研究費を使った後で、重要な先行特許が見つかるような事態になると、企業は無駄な研究投資を支出したことになります。大学の研究者の場合、「安心して自らの研究を続ける」ための必須の作業と位置づけて欲しい訳です。すなわち、基礎的研究者にとって、「特許は取得し企業にライセンスして、企業からライセンス収入を得る」というよりも、「基本特許を取得して安心して研究をできる」と考えたほうがより大切と思います。 我々の機構の使命の一つは「先端科学」と「健康医療」の融合分野での新たな研究を推進する人材を輩出することにありますので、個人的にも「前頭前野」をさらに活性化させて、ASMeWのお役に立つよう頑張りたいと思います。
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