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戸田貴子(Takako Toda)

第18回06/04/17

戸田 貴子(Takako Toda)

早稲田大学大学院日本語教育研究科教授

「音声コミュニケーション研究」という新領域から、
日本語コミュニケーションの進化に貢献する

オーストラリアで結びついた音声学と日本語教育

 私の専門領域は、「音声学」という言語学の一領域です。音声はコミュニケーションにおいて、とても重要な役割を果たしています。人は発音や音調によって微妙な意味を使い分けており、人と人が対面してコミュニケーションを行う場面では、音声が意思の疎通を左右すると言っても過言ではありません。

 言語学では長い間、構造言語学という、言語の構造的な側面に焦点を当てた研究が主流になっていましたが、最近になって、コミュニケーションに焦点を当てた言語研究へと関心が広がってきており、この流れの中で音声学への注目が高まっています。日本でも、コミュニケーション教育や語学教育への社会的関心の高まりとともに、音声学への期待はいっそう高まっており、挑戦すべきテーマもたくさんあります。

 現在は、音声学と日本語教育との関わりを研究対象としていますが、最初からそのような道を考えていたわけではありません。高校を卒業して、オーストラリア国立大学という、キャンベラにある大学の文学部言語学科に進学しました。自然が豊かで大らかなところで学びたかったこと、高校生の時から言語というものに漠然と関心があったことから、多言語・多民族国家であるオーストラリアに行ってみたいと思いました。

 オーストラリア国立大学の言語学科は、アボリジニという原住民の言語を記述して研究するといった活動が盛んです。政府が白豪主義を取っていた時代に、アボリジニに英語を使わせるようにしたことから、アボリジニの言語は死に絶えていく運命にあります。大学の先輩たちがバックパックを背負って、砂漠や森を越え、生き生きとフィールドを駆け回って言語データを収集し、分析する姿を見て、自分も何か社会に貢献できることがしたい、世の中に残せる仕事がしたいと思ってきました。

 学部時代に、音声学・音韻論の基礎を一通り学びました。卒論の指導教員は、ケンブリッジから移られてきたイギリス人で、中国語の声調分析を専門とされていました。この先生のもとで、中国語の声調分析をテーマに卒論を書きました。北京語の声調は四声あることはよく知られていますが、南方の上海方言などではもっと声調が多くて、習得がとても難しい。私は、この呉方言の声調分析に取り組みました。

 やがて大学院に進む頃に、オーストラリアに日本語教育の波が押し寄せてきました。日本経済が世界に台頭して、海外での日本への認識が一挙に高まった時期です。日本語を学びたいという学生が激増し、日本語が教えられる人が求められていて、たまたまそこに私が居合わせたわけです。講師として母校で教鞭を取る機会に恵まれて、これこそ社会貢献の良いチャンスだと思い引き受けました。

 まさに日本語バブルと言っていい大ブームで、1クラス150人も学生がいて、大講堂で講義を行うという、外国語教育の常識からは考えられない異常な状況でした。実は留学前に、何かの助けになればと、日本語教員養成のごく基礎的な短期研修コースを受けてはいましたが、そんな機会が訪れるとはまったく予測していませんでした。これが日本語教育にかかわるきっかけになりました。

 大学院を出た後も、引き続き日本語教師として専任で残ることになり、オーストラリアのキャンベラには結局10年ほどもいました。キャンベラは首都ですが、裏山でカンガルーがぴょんぴょん飛んでいるような田舎です。夕方5時になると店は閉まってしまうし、何も遊ぶところがないのが、留学生にはかえって良かった。もっぱらホームパーティーが社交場で、いろんな人と知り合うことができて、毎日とても楽しかったです。

 日本に戻ってからは、日本語教育と音声学を結びつける研究に本格的に取り組んできました。音声コミュニケーション研究は新しい分野ですから、文法研究などに比べて先行研究が少なく、何を研究してもパイオニアになる可能性があります。私もこの分野で、常に新しいテーマを切り開いてきました。

言語学習のまことしやかな「仮説」を、体系的な調査で検証し直してみる

 その後、2001年に本学の日本語教育研究科が新設されるにあたり、2000年度の準備委員会から関わってきました。本研究科は、理論と実践の両立を理念としてスタートしました。研究科は大学院だけですが、下部組織として日本語研究教育研究センターを持っています。世界中からやって来た留学生を対象に、ここで日本語教育を実践しています。
(早稲田大学大学院日本語教育研究科ホームページ http://www.waseda.jp/gsjal/

 研究科の方では、音声学、音韻論、音響音声学などの講義を担当しています。日本語研究教育センターでは、日本語の発音指導を担当しています。日本語教育を行っているコースの中でも、発音のクラスが独立して開設されており、しかも初級・中級・上級とすべてのレベルを持っているのは、本学の私たちのセンターだけです。留学生も発音クラスの充実ぶりには驚いているようです。

 現在、具体的に取り組んでいるのは、日本語を学んでいる外国人の発音習得過程の分析です。言語習得には「臨界期仮説」という、一定の年齢を超えてしまうと、ネイティブレベルの習得はできないという仮説があります。例えば、音声については、6歳頃までに学習を開始した場合はネイティブレベルの発音になるけれども、12歳を過ぎると何らかの形で外国語のアクセントが残ってしまうという仮説があります。何となく直感的にみんなそう思って信じていますが、立証はされていません。この仮説に対して疑問を抱いて、検証に挑戦してきました。

 調査の結果、「臨界期を過ぎてもネイティブレベルの発音習得は可能である」ということが分かってきました。例えば、日本語の学習を始めたのが18歳、日本に初めて来たのが22歳で、ネイティブレベルの発音習得を達成した人がいます。調査を進める中で、こういう人が複数見つかりました。

 彼らにインタビューをしてみると、それぞれ独自に学習の工夫をされています。特に、高い習得度を達成されている方々には、学習方法に共通性があります。テレビ、ラジオ、映画など、リソースを最大限に活用する。そして、例えばドラマや映画を見ながら、その役柄になりきったつもりで、聴こえた台詞をすぐにリピートする。聴いた言葉をすぐに繰り返すことを「シャドウイング」と言いますが、シャドウイングの実践が、語学学習の成功者には、特に共通してみられました。

 なかには、いつも日本人が喋るのを見ながらクチパクをしながら小さな声で真似ているために、「気持ちが悪い」と言われたという人もいました。この人の場合、いつもいつもやっていたために、クチパクがすっかり日常のクセになってしまっていた。また、いつも鏡に向かって、ドラマの主人公などの役になりきって練習している人もいました。本当に皆さん、素晴らしい努力をされているなと感心させられます。

 会話の練習は、コミュニケーションが行われている場と意味と対話者の人間関係を念頭において行うと、効果的な練習になります。成功した人たちへのインタビューで分かったことですが、自然な会話、自然な文脈で出てきたものを、そのまま繰り返し発音して練習しています。教師の側によくある間違いは、日本語のレベルに応じて、簡単な語彙や文型から学ばせようとすることです。高い習得度を達成した学習者は、難しくても意味が分からなくてもいいから、とにかく耳に入った音声を自分でも発音しているのです。

 生きた会話を学ぼうとするオープンな姿勢こそが、語学習得の成功の秘訣なのです。こうした工夫を体系化して、ぜひ教育現場に活用していきたいと考えています。日本人が外国語を勉強する時にも役立つようなことばかりです。

 語学教育には、臨界期仮説をはじめとして、定説がたくさんあります。例えば、「発音のうまい人は、歌がうまい」「女性の方が語学は向いている」といったことが、まことしやかに言われます。こうした常識をまず疑ってみる、そしてしっかりと体系だった調査を行って結果を得ることが非常に大切です。

 先ほどの、臨界期仮説の検証は、文部科学省の科学研究費補助金を取って、2年間の調査を進めてきましたが、現在その報告書をまとめています。さらに今年から3年間の科学研究費補助金を受け、今後プロジェクトをさらに発展させて、高いレベルの語学習得を可能にするストラテジー、学習の方略について体系化し、実践に役立てる方向へ進めていきたいと考えています。

早稲田大学日本語教育研究センター ホームページ
早稲田大学日本語教育研究センター ホームページ
http://www.waseda.jp/cjl/
 図1 日本語学習者に発音が難しい例
図1 日本語学習者に発音が難しい例

場面によって音声を使い分けることでコミュニケーションが円滑になる

 他にも、様々な研究に取り組んでいます。もっぱら、学習が進む過程で、学習者の内面に起こる変化に着目して、それを教育方法に還元していくという視点から研究を行っています。

 日本語を学ぶうえで、外国人にとって明らかに難しいのが、「特殊拍」と言う、促音、長音などの使い分けです。日本人は、「聞いてください」「着てください」「来てください」「切ってください」「切手ください」といった具合に、特殊拍やアクセントの使い分けをしています。ところが、外国人日本語学習者はこうした使い分けがなかなかできません。本人は使い分けているつもりでも、全部同じような発音に聞こえてしまいます。

 何人もの学習者の音声データを録音し、比較分析していますが、面白いことに、母語なまりの強い発音で自信満々で話す人よりも、自信がなさそうで発音がおぼつかなくても、自分の耳で自分の発音をちゃんとモニターしていて、何となくおかしいことに気づいている人の方が、学習の進歩は早いのです。スラスラと発音できている人の方が学習進度は上と考えられがちでしたが、一概にそうは言えないということです。これも調査から得られた新しい知見です。

 日本語教育の教材では、「今日の打合せは夕方4時からになりました」「そうですか」といったやり取りはよく見かけます。ところが、「うちの娘が東大に受かったんですよ」「そうですか」とか、「ここは私に払わせてください」「そうですか」など、同じ「そうですか」でも、それぞれどんな言い方(声の高さ・強さ・長さや間の取り方など)をすればいいのかといったことは、ほとんど取り上げられてきませんでした。

 円滑なコミュニケーションを身に付けるには、こんな何気ない言い回しを、場面によってうまく発音を使い分けて言えることがとても大事です。そんな問題意識があって、2004年に『コミュニケーションのための日本語発音レッスン』という本を出しました。音声とコミュニケーションを結びつけて、場面ごとのロールプレイレッスンなども取り上げています。こういう側面から日本語教育を扱った書籍としては初めてのものです。

 これから研究の新しい方向性として、「発音の習得とアイデンティティ」というテーマを考えています。例えば、韓国人や中国人、あるいは日系の人たちなど、外見が日本人にとても似ている人たちが、母語なまりの強い発音で日本語を話すととても奇妙に思われるのですが、欧米の人たちのように、外見が日本人とまったく違う人たちが多少不自然な発音をしても、そんなに気にされません。外見が日本人と似ている人たちの発音に対する日本人の意識と、学習者の発音習得に及ぼす影響に関心があります。

 日本語教育研究科は、2005年度で5年目となり、完成年度を迎え、博士課程の修了生も出しました。本研究科の教員による共同執筆で、日本語教育の専門書の出版も進めており、近々上梓される予定です。私が編集長を務めており、「早稲田日本語教育の歴史と展望」というタイトルで、それぞれの専門分野から見た日本語教育の歴史と展望をまとめています。

 日本語教育研究科は、あくまで日本語を母語としない人を対象とした研究と教育を行っています。しかし、世の中では、子どもからおとなまで、日本人を対象とした日本語コミュニケーションの指導についての要請が高まっています。

 一方的に話して、双方向のコミュニケーションが成り立たない子どもたちが増えています。子どもたちのコミュニケーション能力の低下が問題になるなかで、平成14年度に施行された政府の国語教育の新学習要領では、相手がきちんと理解できたかどうかを確かめながら話すとか、あるいは口のカタチを意識してはっきり喋るといった、音声の問題も具体的に取り上げられてきています。

 一方向的に話すのでは、コミュニケーションになりません。どれくらいの速さで、どんな間合いを取りながら、どんな話し方で喋れば、相手にきちんと伝わるのか。こうした社会的要請にも、研究の成果を積極的に還元していきたいと考えています。

左『コミュニケーションのための日本語発音レッスン』右『日本語発音レッスン(韓国語版)』
左『コミュニケーションのための日本語発音レッスン』
右『日本語発音レッスン(韓国語版)』
研究会風景 戸田研究室
(インタビュー・構成/田柳恵美子)
戸田 貴子(とだ・たかこ)

■プロフィール

戸田 貴子(とだ・たかこ)

早稲田大学大学院日本語教育研究科教授

オーストラリア国立大学文学部言語学科卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程言語学専攻修了(言語学博士号取得)。同大学アジア研究学部ジャパン・センター非常勤講師、専任講師、同大学生涯教育センター日本語プログラム非常勤講師を務めた後、帰国。在日オーストラリア大使館日本語プログラムコーディネーター、筑波大学文芸言語学系留学生センター専任講師を経て、2000年に早稲田大学日本語研究教育センター専任講師に。同センター助教授、日本語教育研究科助教授を経て、2006年4月から教授。主な著書に『コミュニケーションのための日本語発音レッスン』『Second Language Speech Production and Perception: Acquisition of Phonological Contrasts in Japanese』
研究室ホームページ:http://www.f.waseda.jp/toda/