マリウスの死
松原俊文

代の我々が古代史家の書いた作品を史料として使おうとする場合、ほぼ常に突き当たる"引用"と"無断借用"の問題を扱う。一般に後代の作家が失われた古典作品を典拠を挙げて引用するとき、その引用は失われた作品の「断片」とされる。だが実際には、多くの場合、どこまでを厳密に"引用"として区切るかを判断するのは困難であり、また引用の正確さそのものにも疑問が残る。それでも、このように"引用"の出典が明示されているのは比較的幸運なケースであり、現実には、古代史家が引用の際にその出典を明記することはむしろ稀である。Quellenkritikとは、そのような"無断借用"された情報の典拠・経路を、文献を比較することで批判的に探り、その出処となった作品の内容を再構築しようとする試みである。このQuellenkritikには、テクストそのものを問題にするテクストクリティークの手法(語彙・文体の整合性)が適用されることもあるが、それが不可能な場合は、情報(およびそれに付随する解釈・プレゼンテーション・バイアス等)の整合性が判断の根拠とされる傾向がある。本報告では、この研究の方法論と問題点を、哲学者ポセイドニオスの『歴史』を例に紹介する。

現在は失われているポセイドニオスの史書は、プルタルコス・ストラボン・アテナイオス等による"引用"(=「断片」)の他に、多くの古代史家によって“無断借用”されたと考えられている。そのような史家の代表がディオドロスである。後者が『歴史』を史料として使ったことは疑いないが、問題は、彼がそれをどの程度まで、そしてどのように使ったか、という点である。ここでは、前86年のマリウスの死について、プルタルコス『マリウス伝』中に見られるポセイドニオスからの"引用"と、同じ事件を扱ったディオドロスの記事を一例として比較する。

一方のプルタルコスの記事には、一見様々な出典からの"引用"がモザイクの如く混在している。他方のディオドロスにおいては、出典は示されず、語られる時代的文脈も異なるものの、プルタルコスと非常によく似た記述が見られる。プルタルコスの記述のどの箇所がポセイドニオスの『歴史』に由来するのか、そしてディオドロスは同じポセイドニオスの史書を使ったのか − この二点について、従来様々な見解が出されてきた。古代史家のうちプルタルコスとディオドロスのみに共通する特異な歴史解釈、またその他の状況証拠から、私自身の結論は以下のように導かれる: 1) プルタルコスの記述の多くの部分とディオドロスの記述は共通の史料に由来する。2) その史料は、マリウスの死はスラの帰還に対する恐怖によってもたらされた、という点を強調しており、またそれを、彼が実際に死亡した前86年の文脈ではなく、88年の文脈の中で挿話の形で語っていた。3) その史料はポセイドニオスの『歴史』だった。以上がQuellenkritikと呼ばれる研究の一例である。更に私は、この結論が議論の絶えぬポセイドニオスの『歴史』の終了年の問題を解く鍵のひとつとなると考えているが、それについてはまた別の形で報告したい。



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