古代ギリシア哲学者たちの故郷を訪ねて
高野義郎

代ギリシア哲学者たちの故郷を訪ね、その雰囲気に包まれて、時間を超え、彼らの創造の秘儀を垣間見ることはできないだろうか。ここに二つの疑問がある:

  1. ピュータゴラース学派の聖なる数10は、何に起源するのであろうか?
  2. ミーレートスの、ヒッポダモス方式の街路の方向は、どのようにして定められたのであろうか?

これらの疑問は、それぞれにゆかりの地を訪ねて、答が見出されたように思われる。

  1. 聖なる数10の起源
    ピュータゴラースの生地サモスの、ロイコスとテオドーロスとによるへーラーの神殿は、すべて、数10と比1:2:3:4(1+2+3+4=10)に基づいて建てられている。
    アルゴスのへーラーの新神殿、オリュンピアーのへーラーの神殿、ポセイドーニアーのへーラーの古神殿、新神殿についても同様である。へーラー信仰の聖数は10だったのであろう。
    エレウシースの秘儀も、聖なる数は10であるように思われる。一般に、死と再生、多産と豊饒の女神、地母神の聖数が10なのではなかろうか。
    そして、聖数10は、受胎から出産までが10ヶ月であることに由来するのではあるまいか。
    ピュータゴラース学派は、聖数10の、自然哲学的、音楽的、宇宙論的な意味を見出したのである。

  2. ヒッポダモス方式の街路の方向
    ミーレートスの街路は、東西南北ではなく、時計回りに、30度近く傾いている。一般に、古代の人々は方向にも形而上学的な意味を秘めていた。いま、その街路を、ほぼ西南の向きへ延長してみよう。この直線はクレータ島の東部を通り、そこにミーラートスの地名を見出すではないか。この都市こそ、ミーレートスの人々の故郷、母なる都市メートロポリスであり、ミーレートスの名の由来するところなのだ。
    また、アレクサンドレイアの街の中心には、アレクサンドロス大王の廟があり、そこで、東西方向の大通りカノーボスと、南北方向の大通りソーマとが直角に交わっていた。このアレクサンドレイアの碁盤目の街路も、ちょうど東西南北ではなく、それから約30度、反時計回りに回転させた方向に付けられている。そして、西北の向きへ街路を延長すれば、それは、マケドニアの首都であり、アレクサンドロス大王の生地でもある、ペッラの辺りを通るのである。思うに、アレクサンドロス大王の廟は、彼の故郷へ向けて築かれていたのであろう。

メートロポリスは、父祖の地、生命の創られた処であり、聖数10は、受胎と出産の象徴、生命の創られた時である。すなわち、古代ギリシアの人々は、彼らの生命の根源と、空間的にも、時間的にも、幾何学によって密接に結ばれていたのであった。

なお、講演の第3部として、上記の諸都市を含め、古代ギリシア哲学史ゆかりの地を、スライドを使って紹介した。

詳しくは、拙著『古代ギリシア科学史の旅』(丸善、1996年)を参照されたい。

また、ホームページ http://www05.u-page.so-net.ne.jp/sf6/yoshirot/ にも、多くの遺跡の写真が載せられている。



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