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『論座』 2007年3月号     

Book Review
岩波講座「帝国」日本の学知
第4巻『メディアのなかの「帝国」』

■ 近代日本のアクティブな新聞史とプロパガンダ
 メディア史・マスコミ発達史研究の第一人者、山本武利が筆頭編集委員をつとめる『「帝国」日本の学知』が完結した。このシリーズの目的は、「開国期に欧米の学問を移入する形で出発し日本の『帝国』化の過程で構築されていった日本の諸学の形成過程に改めて焦点をあてることで、いわば帝国的認識空間の位相を明らかにすること」であるという。したがって、本シリーズはたんなる歴史的考察の集積ではなくて、ここでは「学知」を「実践文脈のなかで捉え直す複眼的視点」が提示されている。このようにオリジナリティーあふれる内容であり、量、質ともに重厚な点をあわせてみれば、近年まれにみる傑出した企画であることはまちがいない。
 ところで、山本武利に対する評価は最近ますます高まってきているようにみえる。このことは、『新聞と民衆 ―日本型新聞の形成過程』(紀伊國屋書店)や、『近代日本の新聞読者層』(法政大学出版局)といった過去の著作が、読者のリクエストによって続々と復刊されていることをみてもあきらかだ。
 そこで、ここでは、「学知」シリーズのうち、山本が責任編集を担当した第四巻『メディアのなかの「帝国」』をとりあげてみたい。
 この巻では、「『帝国』時代のメディアと権力の関係を主として宣伝の視点を入れて分析している」という。まず全体をざっと見渡すと、新聞学、徳富蘇峰、社会民主党宣言、総合雑誌、通信系メディアと国家、「帝国」とラジオ、映画ネットワーク、日本軍のメディア戦術・戦略、といったキーワードが目に飛び込んでくる。
 一見してヴァラエティーに富んだコンテンツだが、一定の視点を持てば混乱することはない。その視点とは、おおまかに分けて二つある。一つ目は、「帝国」時代における新聞史である。当時メディアの根幹をなしていた新聞を権力との関係でどのように捉えるか。「日本はこの近代、常に『帝国』を国内で形作り、国外では戦争という形でそれを膨張させた」が、その際に新聞が、とりわけ軍部に対していかなるスタンスをとっていたかという視点である。ちなみに、明治初期から大正期にかけての新聞史については、前記『新聞と民衆』に詳しい。
 二つ目は、ラジオや映画を含むプロパガンダの手法についての視点である。満洲国あるいは中国において、プロパガンダはどのように行われ、いかなる効果をもたらしたのか。これも山本の『ブラック・プロパガンダ ―謀略のラジオ』(岩波書店)において、米国OSS(戦略諜報局、CIAの前身)の謀略活動を中心に詳述されている。本巻第六章「『帝国』とラジオ」では、ブラック・プロパガンダにはあまり触れていないが、プロパガンダにはホワイトとブラックの二類型があることを知っておくと、メディア戦略の理解の助けになる。すなわち、ホワイト・プロパガンダとは、「オーディエンスがそのソースを確認でき、メッセージも正確性、真実性が比較的高いもの」(『ブラック・プロパガンダ』)であり、ブラック・プロパガンダとは、「非公然のソースから出た作りごと、にせのメッセージを敵国のオーディエンスに伝える活動」であり、「その欺瞞性を隠し、信用性を高めるため、敵国内の反体制勢力や内通者(略)に偽装した活動をとる」(同)ものをいう。
 さて、これら二つの視点を軸に、「編集者ジャーナリスト」と「総合雑誌」のファクターを付け加えれば、本巻の全体を把握できる。そうすれば、各著者によって独立に書かれた論考が有機的につながってくるだろう。なぜなら、本書は山本がこれまで展開してきた新聞史とプロパガンダについての考察を発展・拡大したものだからである。
 では、『新聞と民衆』や『ブラック・プロパガンダ』からの展開は、本書においてどのような形で提示されているのか。それらは本書のいたるところに宝石のようにちりばめられているのだが、私なりに二つばかりサンプルを取り出してみたい。
 第一に私が驚いたのは、第二次大戦中に、「敵の宣伝の学知を学び、現実的な防衛策を講じようとし」「『真摯に科学的な研究』を行おうとする姿勢がこの戦争末期でも貫かれて」いたという事実である(序章四「満洲、本土での欧米学知のしたたかな吸収」)。一九三六年に満洲で発刊された『宣撫月報』は、「ファナティックなナチ関係書よりも有事に役立つ実践的、合理的な欧米の学知を導入しようとし」、敵国である米英の論文を翻訳掲載していた。「多くは皇国史観に深く色づけられた時局迎合の学者や評論家の『帝国』賛美の宣伝論」が本土を席巻していた一方で、「『負け組』として英米の学知を吸収し、戦中からそれを自己の著書にしたたかに挿入しつつ、敗戦後に備えていた」研究者の存在には瞠目させられる。
 第二に注目したのは、「明治期のジャーナリストはいずれも二一世紀の今も読み応えのある論説や記事を残した」という指摘である(序章六「『帝国』を担いだメディア人と学知」)。「彼らは『対立意識』あるいはプロパガンダ性を持って、日常起こる問題を歴史的、総合的に分析、評価できる自己の立場や視点を持っていた」とし、「メディア編集・経営責任者としての人生をかけた練り上げた言説を『対立意識』をもって読者に発信していたからこそ生命力を持ったメディア論や政治論などを残せた」と高く評価している。
 私としては、同じ言葉を、山本自身の論考(第八章「日本軍のメディア戦術・戦略」)に向けたいと思う。それは「欧米学説のアプリオリな適用ではなく、日々の厳しい諸勢力との接触や観察から帰納的に習得した分析力、批判力を持って」いるからである。
                                      保前信英(ジャーナリスト・作家)

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