ヨーロッパ中世・ルネサンス研究所 第九回研究会報告


去る4月21日に早稲田大学にて当研究所の第九回研究会が開催されました。



プログラムは以下の通りです。
(報告者のお名前に報告要旨のリンクを張っております。)
全体のテーマ:「リヴァイヴァル―ヨーロッパ文化における再生と革新」

報告者: 唐沢 晃一(早稲田大学非常勤講師)
「「ローマ人の皇帝」と「セルビア人の王国」―辺境からみた二つのローマ―」
   
     長沢 朝代(早稲田大学大学院博士課程)
「シバの女王の図像的系譜 ―アレッツォ《聖十字架伝》への手がかりとして―」

唐沢氏は、10-14世紀における世界の中心であった二つの「ローマ」、すなわちコンスタンティノープルとローマに対しブルガリアやセルビアが、どのような視点で関わりをもっていたのか、先行研究と史料を詳細に検討しながら考察された。周辺諸国にとっては第二のローマであるコンスタンティノープルは内政が不安定な時期であっても強力な政治的規制力を保ち続けていた。10世紀ブルガリアのシメオン帝はコンスタンティノープル遠征を行い、ビザンツ風に「ローマ人の皇帝」と称している。これに対し、1349年にヴェネツィアに軍事同盟を打診しコンスタンティノープル遠征を試みたセルビアのドゥシャン帝は、「ロマニアの皇帝」という称号を用いた。同帝はセルビア総司教から「セルビア人とギリシア人の皇帝」として加冠され(1346年)ローマ教皇からは対オスマン十字軍司令官に任命されている(1355年)。ドゥシャンの意識においてはローマ帝国皇帝への普遍的志向と、セルビアを中心とする領域王国の君主という伝統的理念が揺れ動きながら同居していたと考えられるだろう。

長沢氏は、ピエロ・デッラ・フランチェスカによるアレッツォのサン・フランチェスコ聖堂の壁画『聖十字架伝』に描かれた「シバの女王とソロモン王の会見」を読み解く端緒として、図像の源泉の一つとされるフィレンツェ大聖堂付属洗礼堂東門扉、ギベルティの『天国の門』の「シバの女王とソロモン」を再検討された。当時としては珍しい同主題は、先行研究において東西教会の再統一公会議の寓意的暗示と解釈されていたが、報告では、シバの女王とソロモンが手を取り合う身振りや人物の配置に着目し、改めてその図像的源泉を探るとともに、『天国の門』の図像プログラム創案者アンブロージョ・トラヴェルサーリの関与が指摘された。とりわけ、トラヴェルサーリが研究していたオリゲネスやニュッサのグレゴリウスら初期キリスト教教父の著作のうち、シバの女王を「教会」と見なしソロモンを「キリスト」と解釈する『雅歌講話』を、「シバの女王とソロモン」図像の文学的典拠の一つであったと結論された。
お運びくださった皆様、ありがとうございました。
盛況であり、また活発な質疑応答がなされたことも付して感謝申し上げます。            (文責:毛塚)

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