D. アーノルド:エジプトの建築(試訳)

(1997.10.10作成、1997.10.19改訂)


 準備中

 註:  本書には多数の図版が用いられていますが、このページにおいてはそれらを掲載することができません。御了承ください。編集上、註についても取りあえず省略させていただきます。

 目次

謝辞
まえがき
第1章 準備
第2章 石材の取得
第3章 石材の運搬
第4章 建造
第5章 その他の建築活動
第6章 道具とその使用方法
付録 モルタルとプラスター


 謝辞
 本研究を進めるに当たってさまざまな便宜を図っていただき、古代エジプトの建造者が用いた工具の素晴らしい展示品、また調査地域に関する膨大な記録や遺物の写真など、エジプト部局やトーマス・J・ワトソン図書館内に保管されている資料を使わせてくださったニューヨークのメトロポリタン美術館に感謝を申し上げたい。多量の写真を新しく撮影してくださったビル・バレットと、古いネガから写真を焼いてくださった同美術館の写真部に御礼を申し上げる。発掘調査の写真を数多く所蔵し、その使用を許可していただいたカイロのドイツ考古学研究所と所長のライナー・シュタデルマンにも感謝を申し上げる。1979年から1984年にかけて、この研究の基礎資料を集める手伝いをしてくれたウィーン大学エジプト学研究所の私の以前の学生諸君にも御礼を申し上げたい。  ゲールハルト・ヘーニー、I・E・S・エドワーズ、ピーター・グロスマン、ジャン・ジャケ、マーティン・アイラー、クリスティアン・ヘルツル、ライナー・シュタデルマン、デニス・ストックスたちは、さまざまな問題に関して話し合うことに長年つきあってくれた。
 バーバラ・ポーターは私の英文原稿を修正してくださり、アデラ・オッペンハイムには校正を担当していただいた。
 本書を刊行してくださったオックスフォード大学出版局と編集者たちにも、厚く御礼申し上げたい。

 ニューヨーク、1989年10月 ディーター・アーノルド

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 まえがき
 たとえ見方を拡張するとしても、世界各地に建てられた少なくとも紀元前5000年にまで遡る新石器時代の巨石建造物に、エジプトの石造建築の源を求めることはできない。新石器時代のエジプト-----およそ紀元前5200年(もしくは4800年)から紀元前3200年(あるいは3000年)-----における通常の建築材料は土、泥煉瓦、葦、そして木であり、石で造られた建築は存在しなかった。なぜ第1王朝や第2王朝において初めて、建物の構造部分やその他の重要な部分に石が用いられるようになったのかという問いには答えることができない。真正の石造建築は第3王朝(およそ紀元前2700年)に、サッカラのジョセル王葬祭複合施設として彗星の如く出現した。この形式に先んじた初期のものが別に存在する可能性も考えられるが、それらの形跡は今のところ見つかっていない。
 煉瓦造建築がすでに隆盛を極めていた時代に比較的遅れて石造建築が出現したことは、エジプト建築における形態の展開に甚大な影響を及ぼした。エジプト建築のすべての基本的な特徴、斜めに倒して建ち上げられる壁面やエジプト式のコーニス、目隠し壁、偽扉、また多様な柱の形式などといったものには実際に、違った素材によって造られた建物の明瞭な痕跡がうかがわれ、これらは石に造り換えられた。造り換えのこの過程はまた、新しい建物の大きさにも影響を与えた。それらは煉瓦によって造られる建築の大きさと同等であり-----少なくとも過渡期にあっては-----、人体尺度を越えるものではなかった。煉瓦造建築の建造方法は、最初のうちは石で建物を建てる場合に準用された。小さく、大きさの一定した石材が煉瓦の組積方法にならって積まれ、この組積はしばしば内側に傾けられたり、あるいは多量のモルタルを用いて接ぎ合わされたりした。煉瓦造建築のこれらの特徴は、しかしながら双方ともまもなく消え去った。ジョセル王の後のスネフル王やクフ王、カフラー王といった幾人かによる治世においては、200トンにまで及ぶ重さの石材が用いられてピラミッドと巨大な附属神殿が建造された。
 なぜ石造建築の唐突な生起がおこったのかという理由も、なぜ人体尺度を遥かに超えるような展開を急に遂げたのかという理由も分かっていない。私たちにはただ、アメリカのプレ・コロンビア文化のような、比較すべき文化の度合いや観念を持つ社会の中に類似した現象を見て、神々の支配下にあったり、強大な組織によって統治されていた初期の社会においては、記念性を重んじるその大きさによって個人が矮小化されるような建築の観念を彼らは持ち、それが示威されたり永遠化される傾向にあると憶測することができるだけである。古代エジプト人たちは、確かに典型的な方法でこれを達成した。彼らは彼らの王権や冥界の概念を石に移し換えたばかりでなく、儀式や壁面に記した呪術文によって、これら石の複製に生命を吹き込んだ。彼らはまた建物と、太古の水面から源初の丘が隆起するさまや太陽が毎日運行する現象とを結びつけた。石へ正しいまじないをかけることによってのみ、エジプトの宇宙の動きは保証されたように思われる。
 この大きな望みを果たすために、エジプト住民のかなりの人数が、直接的にまた間接的に、国中のあらゆるところで頻繁に建造計画に携わった。古王国時代のピラミッドの建設、あるいは新王国時代のアメンヘテプ3世やラメセス2世の巨大な神殿は、この活動における最も著名な頂点でしかない。数十万立方メートルの石灰岩、砂岩、アラバスター、花崗岩や玄武岩が、ナイル渓谷に沿った絶壁や周囲の砂漠から切り出された。数百隻分の材木がレバノンから輸入されねばならなかった。夥しい量の道具と備品、原始的な石製斧から30mの長さの木製の橇や数百トンの重さの石の運搬のための巨大な船までが作り出されねばならなかった。砂やナイルの泥土の山が、レンガの製造のために運ばれなければならなかった。最後に、これらすべての膨大な材料が建設地へ運ばれ、定められた場所へ持ち上げられねばならなかった。この目的のために、数千人の人々を複雑な手順に従って徴集し、数多くの建造計画へ向かわさなければならなかった。これらの人々に訓練を施し、食料を与え、衣料をあてがわねばならなかった。巨大な組織は巧みに動かされ、神官たちや高官たちに支えられた王によって実施された。このような規模の徴集は、強要なしにはおこなうことができなかったが、しかしこの行程は確かにほとんどの住民によって支持されていた。
 大規模な建設計画はおよそ3000年にわたって続けられ、アビュドスのセティ1世葬祭殿におけるような実質的に損なわれていない神殿の広間といったものから、建築史家だけが解釈できるような単なる基礎溝まで、さまざまな保存状態で無数の記念物が残された。
 建造過程に関連するたくさんの道具や他の遺物が発掘されている。パピルスに書かれた記録や墳墓の壁面装飾に描かれた技術的な手順の再現は、エジプトの建造作業に関する私たちの理解にさらに多くをもたらしてくれる。この資料源は、初期の文明において石製の道具が広く使用され、真正の滑車や起重機を使わず、また車が稀にしか用いられないで建造計画が遂行されたことを伝えており、貴重である。
 エジプト建築における技術的側面については、エジプト建築の歴史的な論評やその宗教的な機能に関する研究の影に隠れて、長い間無視され続けてきた。エジプトの建造方法について包括的に論じた最後の書であり、古典とされているのがソマーズ・クラークとレジナルド・エンゲルバッハによる「古代エジプトの組積方法」(CEAEM)であるが、これは今から60年も前のものである。それから後、新しい資料は全体像を描き変え続けている。古典時代以前、ギリシア・ローマ時代、中世、そしてインカの建築における建造方法の研究もまたかなり進展し、比較資料を提供している 。本書ではまた、ある技術的問題を古代エジプト人たちがどのように解決したかについてあれこれ憶測している論考への反駁も試みられている。これらの研究には、時として根拠のない理論が満ちあふれており、私たちの見解は貶められている。
 専門分化が進んだ今日、本書は包括的なものとも最終的なものとも見做すことができない。事実、いくつかの項目については、引き続きおこなわれている発掘調査によってすでに時代遅れになっているかもしれない。この本は、著者が長い年月にわたって携わってきた中王国時代の建築にどうしても偏りがちでもある。文中における多くの例がこの時期に属している。
 本研究では、王朝時代から紀元前5世紀までの建築活動における技術的側面に論点を置いている。この時代以降の建築では異なった技術が用いられており、これらについてはギリシア・ローマ時代の建築や技術の文脈上で考察すべきである 。技術に主眼を置いた本書ではまた、エジプト建築の柱や扉、排水機構といった構成部位の形状に関する包括的な記述も割愛している。
 註において頻繁に引用される文献は略して示されている。これらの省略形については参考文献の項に、略さない形を併記して掲げた。

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 このページは早稲田大学理工学部建築学科建築史研究室・西本真一が作成し、保守管理をおこなっております。
 御意見・御質問は西本真一 (nishimot@mn.waseda.ac.jp) 宛にお寄せください。

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