ダハシュール北部
第2・3次発掘調査(1997秋期・1998春期)


煉瓦遺構のシャフトの下にはさらに部屋があることが確認され、そこに石棺が安置されていることが分かりました。またツタンカーメンやその妃、アンケセンアメンの名前が記された遺物なども墓域から見つかりました。

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ここで掲載している内容は、西本真一・遠藤孝治・吉村作治・近藤二郎・長谷川奏 ・柏木裕之・中川武の執筆による1998年日本建築学会大会論文梗概集、「ダハシュール北部で発見された新王国時代の建造物について 3」、及び「同4」などをもとに再構成したものです。

ダハシュール北部第2・3次発掘調査(1997秋期・1998春期):

ダハシュール北部で発見された新王国時代の建造物について、その3

1、はじめに

古代エジプトの古王国時代から中王国時代にかけて、王はピラミッドに埋葬され、貴族たちは岩窟墓やマスタバ墓に葬られたと通常考えられていますが、新王国時代に入ると、王もまた岩窟墓に埋葬されるという変化が訪れます。テーベにある王家の谷には集中して王墓が造営されることとなり、これと呼応して、実際の埋葬場所からは離れて大規模な葬祭殿がナイル川の岸辺に多数建てられるようになった点は周知の通りです。一方、新王国時代の貴族墓については引き続き岩窟墓が造られましたが、第18王朝の末期に至ると、平地に建つ神殿型の墳墓が新しく造営されるようになりました(トゥーム・チャペル)。比較的規模の大きい例では列柱を備えた中庭を有し、その背後に祠堂を配して、この上や後ろに小さなピラミッドを置くというのが共通した特徴であるように思われます(註 1)。こうした例はメンフィスやグラーブ、アビュドスなどで報告されているものの、建物の形式が変化する社会的背景などを踏まえた詳しい形成過程は未だ明らかにはされていません。1986年に開催された国際コロキウム(註 2)はこの点を討議することを目的とした会議であり、エジプト学においては今なお、多くの研究者が注目する論題のひとつとなっています。
これまで予備調査と3回にわたる発掘がおこなわれてきたダハシュール北部における調査(註 3)は、それまでまったく知られていなかった地域で新王国時代後期の墓域を発見し、複数の神殿型貴族墓に関する確認がなされたという点で画期的な意味を持つと考えられます。ここではこれまでの発掘成果を踏まえて、新しく見出されたダハシュールの墓域についての建築学的な知見を略記し、併せて今後の課題を記すこととします。

Map of Egyptエジプト全図 Chronological table of Ancient Egypt古代エジプト関連年表


2、第2次・第3次発掘調査の概要
ダハシュール第2次調査は1997年7月から9月まで、また同第3次調査が1998年2月から4月までおこなわれ、前回までに発見されたトゥーム・チャペルを中心とし、その内外において発掘調査がなされました。第2中庭のほぼ中央に位置するシャフトAを、中庭の推定床面より約10mほど下った場所にはRooms A〜Gが造営されていたことは第1次調査によって知られていましたが、第3次調査ではこれよりさらに下った位置にも部屋が存在するらしいことがうかがわれました。

Location Map at Dahshur 1調査地区 Location Map at Dahshur 2グリッド設定図


Location Map at Dahshur 3遺構分布図 Tomb-chapel, plan地上遺構平面図


General view of the tomb-chapel地上遺構概観 Room EE室作業風景


シャフトAには幅を掘り拡げようとした痕跡が明瞭に見られ、これはもとのシャフトの大きさよりも若干大きなものを入れようとした痕跡であるように思われます。シャフトの下には、また新たな部屋が発見され、石棺が安置されているらしいことも分かりました。ただし、石棺に納められている被葬者に関する詳細は全く不明で、来期の調査において明らかにされる予定です。

Shaft A, looking from aboveシャフトA、見下ろし Shaft A, plan and sectionシャフトA 平面・断面図


トゥーム・チャペルの残存煉瓦造壁体に関しては詳細な記録作業がおこなわれており、建造過程の復原考察が進められています。煉瓦に押印されていた2種類のスタンプについては第2次調査において初めて解読され、いずれにも「イパイ」という名前を読み取ることができました。

Brick stamp of Ip3y 1煉瓦に押印されたイパイのスタンプ


トゥーム・チャペルの周囲にはいくつものシャフトが散見され、今後の発掘が進展するに伴い、さらに数は増加すると推定されます。これまでこの墓域からは、ツタンカーメンの指輪や、ほぼ同時代と思われるレリーフ片などが見つかっていましたが、今回の調査においてはツタンカーメンの妃であるアンケセンアメンの指輪が発見されました。

Ring of Tutankhamunツタンカーメンの指輪 Ring of Tutankhamun, transcription指輪に見られるツタンカーメンの名前


Ring of Ankhesenamunアンケセンアメンの指輪 Ring of Ankhesenamun, transcription指輪に見られるアンケセンアメンの名前


Relief fragment found at the site 1レリーフ片 1 Relief fragment found at the site 2レリーフ片 2 Relief fragment found at the site 3レリーフ片 3


Faience pyramidion 1ファイアンス製ピラミディオン Faience pyramidion 2ファイアンス製ピラミディオン


Scarab 1スカラベ 1 Scarab 2スカラベ 2


Scarab 3スカラベ 3 Scarab 4スカラベ 4


Necropolis sealネクロポリス・シール


Shabti 1シャブティ 1 Shabti 2シャブティ 2 Shabti 3シャブティ 3


トゥーム・チャペル北側の直下には煉瓦造の壁体が残存し、前身遺構があったことも確認されました。この前身遺構に属するものと思われるシャフトの入口が検出されており、かつては小規模のトゥーム・チャペルが建てられていたが、後に解体されたとみなされます。
残存するトゥーム・チャペルの周辺でこれまで見つかったシャフトのうち、北西に位置するシャフト17号に関しては廃土の除去を終えることができました(シャフト17号のウォークスルーはこちらをどうぞ)。出土遺物は第18王朝末期に属するものを主としており、特にツタンカーメンの名前を記したワイン壷の封、また襟飾りなどが注目されます。ここから見つかった割られたステラも、接合してかなりの程度、復原することができました。

Tomb 17, plan and sectionシャフト17号、平面・断面図

Tomb 17, remains of blocking of doorwayシャフト17号、 残存封鎖壁 Tomb 17, Seal impression on the blocking of doorwayシャフト17号、封鎖壁上の押印

Jar sealing found in the shaft tomb No. 17シャフト17号出土、ツタンカーメンの名前を記したワイン壷の封 Transcription of the jar sealingワイン壷の封のツタンカーメンの名前


Necklace found in the shaft tomb No. 17襟飾り Stela found in the shaft tomb No.17ステラ


3、考察
トゥーム・チャペルの地下室、及び周辺地域からは、人名が記された多種多様の遺物が発見されており、人物名の総数は現在までのところ、20名分以上に上ります。前稿において報告をおこなったように、多くを占めるのは第18王朝末期から第19王朝初期にかけての遺物であり、この時代に営まれた墓域であると想定するのが妥当でしょう。追埋葬がおこなわれた痕跡は至るところで観察され、錯綜した状況はこの墓域の形成過程を解きほぐす試みを阻んでおり、煉瓦に見られる「イパイ」が何者であるかも未だ確定されるに至っていません。しかしツタンカーメンの時代に行政を実質的に担った重要人物、ホルエムヘブやマヤのトゥーム・チャペルと規模の点で匹敵することは貴重な手掛かりを与えるように思われます。この建物の建立年代については、シャフトAの内側に整然と積まれた石材の大きさが約52L×26D×22Hcmであって、「タラタート」と呼ばれるきわめて特殊な建材と一致する(註 4)こと、煉瓦壁体に石灰岩製の薄板を貼るといった第18王朝末期から第19王朝初期にうかがわれる工法が採られていること(註 5)などから、まだ他の文字資料では知られていない「イパイ」という名の、第18王朝末期を生きたかなり高位の地位にあった人物により、前身建物が解体されてからトゥーム・チャペルがその上に造営され、その後、このトゥーム・チャペルを巡る状況に変化が生じて、シャフトよりも大きな何かが地下に納められたと仮想されます。

Tomb-chapel of Ip3y, the first phaseイパイのトゥーム・チャペル、第一期 Tomb-chapel of Ip3y, the second phaseイパイのトゥーム・チャペル、第二期


この墓域に地上構造物がかつて存在したことは、ピラミディオン、名前の記された戸口脇柱、石灰岩の薄板に施された多量のレリーフ片、またヴォールト天井を築くための特別の煉瓦などが出土している点からも明らかですが、これらすべてがひとつのトゥーム・チャペルからもたらされたと考えるべきではなく、遺跡の性格から推し量るならば、メンフィスやテーベの場合と同じように、かつては神殿型貴族墓がいくつも立ち並んでいたと推定をおこなうべきでしょう。

4、小結
発掘状況はメンフィスにおける同時代の墓域と酷似する(註 6)一方で、ダハシュールの場合ではメンフィスのように新王国時代以前の遺跡の上に造られず、今までのところ処女地が選択されたらしいように見受けられる点は大きく様相を異にします。「王の乳母」という肩書きが複数出土していることも注目され、行政機関の中枢にあった高官たちとはまた別の、王に近しい者たちが埋葬された可能性も示唆されます。調査は開始されたばかりであり、これまではテーベを中心に扱われがちであった新王国時代の社会構成を知る上でも、大きな意味を持つ稀有な遺構であると思われます。


註:
註 1: Kitchen, K. A.: "Memphite Tomb-chapels in the New Kingdom and Later", in M. Goerg and E. Pusch eds.: Festschrift fuer E. Edel (Hamburg 1979), pp. 272-284.
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註 2: Zivie, A. P. ed.: Memphis et ses necropoles au Nouvel Empire. Actes du colloque international CNRS (Paris 1988).
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註 3: ダハシュールにおける予備調査、及び第1〜2次調査の概要については、「ダハシュール北部で発見された新王国時代の建造物について 1」、『日本建築学会梗概集』、日本建築学会、1996年、pp. 391-2; 「ダハシュール北部で発見された新王国時代の建造物について 2」、『日本建築学会梗概集』、日本建築学会、1997年、pp. 159-60; 「エジプト、ダハシュ−ル北地区予備調査報告」、『人間科学研究』、第10巻第1号、早稲田大学、1997年、pp. 115-122; "A Preliminary Report of the General Survey at Dahshur North, Egypt", in Mediterraneus: Annual Report of the Collegium Mediterranistarum (『地中海学研究』)XX、地中海学会、1997年、pp. 3-24; 「エジプト、ダハシュ−ル北地区予備調査報告 - 1997年第1・2次調査」、『人間科学研究』、第11巻第1号、早稲田大学、1998年(印刷中); "Preliminary Report of Excavations at Dahshur North, Egypt: -1st Field Season, March-April 1997-, -2nd Field Season, July-September 1997", in Mediterraneus: Annual Report of the Collegium Mediterranistarum (『地中海学研究』)XXI、地中海学会、1998年(印刷中); またインターネットにおける公開ページ、http://www.waseda.ac.jp/projects/egypt/sites/Dhshr-E.htmlなどを参照。
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註 4: 第18王朝末期の王、アクエンアテンは建造作業を早めるために石材を同じ大きさに切り揃えてこれを用いました。石材の大きさをあらかじめ標準化することは、古代エジプト建築においてはきわめて稀です。現在までに見つかっているタラタートは、いずれもアクエンアテンの時代のものです。Cf. Gohary, J.: Akhenaten's Sed-festival at Karnak (London 1992), p. 215; Kemp, B. J. ed.: Amarna Reports V (London 1989), pp. 138, 140.
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註 5: Van Dijk, J.: "The Development of the Memphite Necropolis in the Post-Amarna Period", in A. P. Zivie ed., op. cit., pp. 42-3.
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註 6: Martin, G. T.: The Hidden Tombs of Memphis (London 1991); Tawfik, S.: "Recently Excavated Ramesside Tombs at Saqqara 1", in Mitteilungen des Deutschen Archaelogischen Instituts Abteilung Kairo 47 (Mainz 1991), pp. 403-409.
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ご意見・ご質問は早稲田大学エジプト学研究所 (institute-egyptology@list.waseda.jp)、あるいはこのページの保守管理者である早稲田大学理工学部建築学科助教授、西本真一 (nishimot@mn.waseda.ac.jp) 宛にお寄せください。


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(First drafted: 10 June 1998)
(Last revised: 25 January 2000)