ダハシュール北部第1次発掘調査(1997春期) UPDATED

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ここで掲載している内容は、西本真一・遠藤孝治・吉村作治・近藤二郎・長谷川奏・柏木裕之・中川武の執筆による1997年日本建築学会大会論文梗概集、「ダハシュール北部で発見された新王国時代の建造物について 2」、pp. 159-60などをもとに再構成したものです。


ダハシュール北部第1次発掘調査(1997春期):

ダハシュール北部で発見された新王国時代の建造物について、その2

1、はじめに
昨年の予備調査に引き続き、1997年3月に第1次ダハシュール北部の発掘調査がおこなわれました。トゥーム・チャペルの地上構造物に関しては詳細な記録作業が進められましたが、その過程において、予想通り第2中庭ではシャフト入口が見つかり、これに続く地下に設けられた諸室も発見されました。以下に調査の概略を報告し、建築学的観点から注目される点について触れることとします。

トゥーム・チャペルに関する説明はこちらです。

2、地上構造物

A building of the New Kingdom found at Dahshur, plan of the superstructure日乾煉瓦造建築、地上構造物平面図


発掘が始まってまもなく、基礎部の残存状況は思いの外、良好であることが確認されました。

Remains of Brick Building残存状況1 Remains of Brick Building残存状況2


Remains of Brick Building残存状況3 Remains of Brick Building残存状況4 Remains of Brick Building残存状況5


各室に関しては東から順にアプローチ、第1中庭、第2中庭、礼拝室、及びその両脇に位置する北側室、南側室と命名をおこないました。アプローチについては発掘の結果、第1中庭に至るためのスロープもしくは緩やかな階段であったことが再確認されました。
第1中庭東側壁体については昨年の予備調査で、増築により壁厚が増された可能性が示唆されていましたが、今回の調査ではそのような痕跡をまったく見出すことができませんでした。これは当遺構地上構造物における壁体の全般に当てはまり、増改築がおこなわれたことを示す痕跡は特に発見されていません。第1中庭と第2中庭との間には高低差があるために、第2中庭に至るためのスロープあるいは階段が第1中庭の西壁中央部に存在したはずですが、痕跡は残存せず、その大きさや形状は不明です。第1中庭における列柱の存在を明らかにするような痕跡も見つけることができませんでした。
第2中庭の北東隅には石灰岩の敷石が一部残存しているのが確認されました。しかしこの部屋に列柱が立っていたことを示す痕跡はやはりまだ見つかっていません。第2中庭の北壁の外側には日乾煉瓦の散乱が観察され、これは第2中庭の北壁が外側に倒壊したものであると思われます。煉瓦積みの約20層ほどが確認することができ、少なくとも3mほどの壁体が立ち上がっていたと復原されます。
この付近からは石灰岩製のピラミディオンも見つかりましたが、通常刻まれるべき文字などは一切記されていませんでした。一辺は59cmほど、高さは41cmまで残っていますが、欠けている頂部を復元するならば、おそらく本来は53cm前後の高さを持っていたと推定されます。

A pyramidion found at Dahshur (limestone, no inscriptions)発見されたピラミディオン


礼拝室からは黄色砂層の他はほとんど何も見つかっていません。南北の側室との区画壁は予備調査時の推定よりも良好に残存することが明らかにされましたが、西側については不明な点が少なくありません。現状では第2中庭の床高より低い位置に礼拝室と双方の側室の壁体が残りますが、これらは基礎部分であって、当初はさらに高く壁体が立ち上がり、その上に床が形成されていたはずです。第2中庭と礼拝室との間の壁は全体の平面構成から見るときわめて脆弱な作りがなされている点が注意を惹きます。
礼拝室の西には、さらに西方に伸びる煉瓦列が残存しており、構築物が接続していた可能性が指摘されますが、詳細は不明です。この壁の北側には、かつて石敷もしくは石壁があったことを示すわずかな痕跡も観察されました。

3、地下構造物
第2中庭の中央部に存在が推定されていたシャフトが実際に確認されました。ただし平面形状は東西に長い長方形です。この部屋の床下で見られた地業層では、岩盤を掘り進む過程で生じた土砂を充填物として再利用し、床下の埋め戻しに用いた痕跡がうかがわれました。強固な岩盤に到達するまでの間、シャフトの内壁には石灰岩板が積まれていましたが、南北の壁にはシャフトの幅を広げるために広い面積にわたって掘り凹めようとした跡が認められます。しかしながらさらに幅を広げる必要が生じたと見られ、北壁は一部石積みを外して、位置を北方に約10cmほどずらし、積み直した形跡が観察されました。内壁に積まれたこの石灰岩は、本来は強固な地盤から第2中庭の石敷まで続いていたと推定されます。シャフト内壁を構成するこの石灰岩は多くの場合、大きさが揃えられており、石積みも本来は入念になされていたと考えられます。

A building of the New Kingdom found at Dahshur, detected shaft 1日乾煉瓦造建築、発見されたシャフト 1


A building of the New Kingdom found at Dahshur, detected shaft 2日乾煉瓦造建築、発見されたシャフト 2


A building of the New Kingdom found at Dahshur, detected shaft 3日乾煉瓦造建築、発見されたシャフト 3


このシャフトを約10mほど下った場所に、さらに複数の部屋が存在することが確認されました。シャフトの東側と北側にそれぞれ入口を持ちますが、おそらく北側の入口は後に造られたと思われます。部屋には土砂が堆積しており、さまざまな遺物が混入している状態にあり、炭化物の散乱もうかがわれました。略奪を被った際に副葬品などが燃やされた可能性が高いようです。類例との比較からは、西側にある部屋にはさらに降下して玄室へと続くシャフトが存在する可能性が指摘されますが、詳細については次回以降の調査対象としました。

A building of the New Kingdom found at Dahshur, plan of the substructure日乾煉瓦造建築、地下構造物平面図


シャフトは第2中庭の中央にあるものの他、第1中庭の北側でも発見されました。さらには第1中庭と第2中庭とを区画する比較的厚い壁体の北側部分も深く掘り込まれており、ここにも後代に墳墓が造られた可能性があります。側室にも壁体に小さな掘り込みが見られ、土器、人骨などが出土しました。アプローチ北側からも木棺の頭部側半分が発見されました。時代はかなり下ったものであるように見受けられます。

4、出土遺物
遺構からは今回、煉瓦スタンプが23例発見されました。ほとんどの場合、長方形の枠のみが確認されるに過ぎませんが、大きさの違いから少なくとも2種類あることが知られます。古代エジプト新王国時代以降になされるようになった日乾煉瓦への押印においては建造主の名や建造物の名前などが記され、資料的な価値はきわめて高いと思われます。本遺構では現在までのところ、2種類のスタンプが確認されています。北側室から見つかったものでは冒頭がWsir、「オシリス神」という語で始まり、その次に「王の書記」という被葬者の称号が確認されます。その後に続くのは名前でしょうが、最初の文字「イ」は読み取れるものの、詳しいことは分かりません。スタンプの最後の部分は類例から考えて、「声正しき者」というよく用いられた死者への称号が記されていたと判断されます。
もうひとつの種類は縦に2行書きで、やはり「王の書記」という称号で左行から始まり、「清められた両手」などという称号を挟んで右行のほぼ中央に人名(損傷が甚だしく、読むことができない)、そして称号「声正しき者」で終わります。明瞭なスタンプが発見されれば被葬者を特定することができ、今後引き続き精査が望まれます。

A building of the New Kingdom found at Dahshur, stamped brick日乾煉瓦造建築、押印煉瓦


シャフト及び建物周囲からの出土遺物は限定されていますが、いくつか見つかっている石灰岩に施された彩色レリーフ片や小神像片などは、アマルナ時代の特徴を良く伝えているように思われます。第2中庭シャフト入口で発見された完形のファイアンス製指輪は、カイロ博物館のアマルナ美術展示室、トゥトアンクアメンの墓からの出土品展示室で見られるものと同じ品です。地上構造物内からはまたコバルト・ブルーで彩られた大型の彩文土器片も見つかっていますが、第18王朝末期という年代と矛盾しません。

A small sculpture wearing atef crownA small sculpture wearing atef crown


Relief fragment 1Relief fragment 1


Relief fragment 2Relief fragment 2


A lid of canopic jarA lid of canopic jar


Ring 1Ring 1


Ring 2Ring 2


被葬者の特定がまだできない段階ですが、第18王朝末期の墳墓である可能性は高く、正面の広大で緩やかな上昇路の採用や、漸次昇っていく床高、また正方形に囲いこんだ第2中庭など、自信に満ちあふれた堂々とした建築の風格は第18王朝末期の特質をよく伝えていると思われます。

5、小結
シャフトとこれに続く地下の諸室が確認されたことによって、大規模なトゥーム・チャペルとしての建築構成がより明らかとなりました。地下構造物からの遺物などから、被葬者については特定される可能性は高いと考えられます。本遺構の建立年代は、未だ不明な点が多いアマルナ時代と重なるように思われ、いくつかの問題に新たな光が当てられることが期待されます。


ご意見・ご質問は早稲田大学エジプト学研究所 (institute-egyptology@list.waseda.jp)、あるいはこのページの保守管理者である早稲田大学理工学部建築学科助教授、西本真一 (nishimot@mn.waseda.ac.jp) 宛にお寄せください。


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(First drafted: 15 February 1996)
(Last revised: 25 January 2000)