トゥーム・チャペルとは NEW



ここに記載した内容は、エジプト学研究所の和田浩一郎が「エジプト学研究」第4号(早稲田大学エジプト学会、1996-1)、pp. 58-74で発表した研究ノート「サッカーラにおける新王国時代のfree-standing tomb-chapelについて」をもとに平易に書き改めました。
This text is a excerpt of Koichiro Wada: "On the free-standing tomb-chapel in the New Kingdom at Saqqara" (in Japanese), in Ejiputo-gaku Kenkyu (Studies in Egyptology) 1996-1, pp. 58-74 (Waseda University, Tokyo 1996).


1.トゥーム・チャペルとは
新王国時代の貴族墓というと、ルクソール西岸に見られるような、美しい装飾を持った岩窟墓がまず思い起こされますが、実は全く異なった外観を持つタイプの墳墓も存在していました。それがダハシュールで発見された、トゥーム・チャペルを備えた墳墓です。
岩窟墓が墓の礼拝堂を岩盤の中に造っているのに対して、このタイプの墳墓は、日乾レンガや石灰岩ブロックを用いて地上に礼拝堂を建てており、サッカラやグラーブ、アビュドスなど、平坦な地形の墓地でよく採用されました。

サッカラ新王国時代の墓域分布図
Distribution Map of Cemeteries in the New Kingdom

ところでトゥーム・チャペルという名称は、マスタバ墓や岩窟墓など、さまざまなタイプの墳墓に付属する礼拝施設(礼拝堂)全般の総称で、特定の墳墓形態を指したものではありません。この名称がよく使われるのは、現時点でこの墳墓形態を指す名称が確立していないためです。名称の確立についてはまだまだ解決しなければならない問題がありますので、ここでは便宜的にサッカラの例に従い、平地上に建設された礼拝施設に限定してトゥーム・チャペルという呼称を用いることにします(註1)


2.トゥーム・チャペルの種類と構造
サッカラのトゥーム・チャペルはその大部分が東西に長軸を据え、内部が壁体によっていくつかの空間に分けられた長方形プランを基本としており、以下のように大きく三つに分類できます。


タイプA:祠堂と前庭部のみで構成されているもの。
タイプB:祠堂と一つの中庭で構成されているもの。
タイプC:祠堂と二つの中庭で構成されているもの。


ダハシュールの例は、将軍ホルエムヘブや宝庫長マヤ、宰相ネフェルレンペトなどかなり有力な人物達が造営したタイプCに属しており、被葬者の地位の高さがうかがわれます。


ダハシュール・イパイの
トゥーム・チャペル

Tomb-chapel of Ip3y in Dahshur
トゥーム・チャペルAタイプ
Tomb-chapel, Type A
トゥーム・チャペルBタイプ
Tomb-chapel, Type B
ホルエムヘブのトゥーム・チャペル(Cタイプ)
Tomb-chapel of Horemheb (Type C)
マヤのトゥーム・チャペル(Cタイプ)
Tomb-chapel of Maya (Type C)
ネフェルレンペトのトゥーム・チャペル(Cタイプ)
Tomb-chapel of Neferrenpet (Type C)
3つ並んだサッカラのトゥーム・チャペル(Cタイプ)
The Three tomb-chapels located in parallel (Type C)
参考:テーベの被葬者不明の
トゥーム・チャペル
Anonymous tomb-chapel at Thebes
参考:テーベの被葬者不明の
トゥーム・チャペル
Another anonymous tomb-chapel at Thebes


現在サッカラで確認されているトゥーム・チャペルを備えた墳墓は、ツタンカーメンの時代(第18王朝末期)王都がアマルナからメンフィスに移った以降に造られたもので、当初は日乾レンガが主要な建築材料となっており、レリーフを施した石灰岩の石板を建物の内壁に貼り付けていました。ラメセス2世の時代(第19王朝前期)になると、それまで内壁の化粧石として用いられていた石灰岩の石板が主要な建材となりました。
次にトゥーム・チャペルを構成している諸要素を少し詳しく見ていきましょう。


・祠堂
祠堂はトゥーム・チャペルの西端を占め、その典型的な構成は中央の主礼拝室と、その左右に側室を配した三室構造です。主礼拝室の奥壁には、儀式の対象となる長方形のステラが置かれていました。ふたつの側室は、副礼拝室あるいは儀式の道具などを保管する倉庫として機能していたようです。

・ピラミッド
ピラミッドが王族以外の墳墓に導入されるのは、新王国時代における墓制の特徴です。サッカラのトゥーム・チャペルの場合も、祠堂の上に日乾レンガ造の小型ピラミッドが載せられていたようです。ラメセス2世の治世下には、祠堂の背後に石造の小型ピラミッドを持った墳墓もありました。ピラミッドの頂上部分を構成するピラミディオンは石灰岩や花崗岩で造られ、表面にはレリーフが施されることが一般的でした。

・中庭
中庭は通常石敷で、タイプCを中心に列柱を備えたものも多数ありました。また彫像や供物卓が配され、祠堂と同じように儀式の場として機能していたようです。タイプBやタイプCの第2中庭には地下の埋葬室に至るシャフトが穿たれています。タイプCでは第1中庭にもシャフトを持つ例がいくつか知られていますが、その性格についてはまだ不明確な部分があります。シャフトの開口部は第18王朝末期のものが南北、第19王朝以降は東西方向に長辺を据える傾向が認められます。シャフトは土砂で塞がれたわけではなく、開口部に蓋石が載せられていました。
墳墓の地下は、スロープや階段、シャフトによって何層にも分かれた複雑な構造をもつ例もあります。

・塔門
第18王朝末期のタイプCに見られる堅固な塔門型の入口は、第19王朝になるとより多くのトゥーム・チャペルで採用されるようになりました。
塔門や列柱の導入は、トゥーム・チャペルに神殿的な外観を与えました。そのため該期のトゥーム・チャペルは「神殿型礼拝施設」と称され、実際神殿を意識し、その構成要素を取り入れた建造物であったと考えられます。


3.小結
サッカラで数多くの類例が検出され、近年注目されているトゥーム・チャペル研究の今後は、アビュドスやテーベに造営された多様な貴族墓の変遷の中で、どのように位置づけていくかが課題となると思います。そういった意味で、ダハシュール北地区で発見されたトゥーム・チャペルを備えた墳墓は、新たな地区、新たなプランの検出例として重要な意味を持っていると言えるでしょう。


(註1)筆者の個人的意見としては、このタイプの墳墓の呼称として、酒井傳六氏が用いた「祭殿墓」という名称が、現時点ではもっとも適した呼称ではないかと思います。スペンサー、A. J.、酒井傳六・鈴木順子訳、『死の考古学ー古代エジプトの神と墓ー』、法政大学出版局、1984年、279-283頁(原著:Spencer, A. J., Death in Ancient Egypt, Hamondsworth, 1982, pp.238-242.)
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(First drafted: 21 June 1998)
(Last revised: 18 February 2002)