教育学部
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3守屋 それからは、ひたすら卓球をやっていたのですか。岩渕 そうですね。卓球って体格差が出にくい競技なんです。体が大きければ強いかというとそうでもない。勝つために、自分で工夫できるというところが魅力のひとつだと思っています。いきなり全国レベルの人と一緒にやらなければいけないような環境だったら諦めていたかもしれませんが、自分よりも少しだけ強い人がいて、チームの中で半分よりは上くらいの位置でずっとやってこられたので、いま振り返ると、目の前の課題に向かって楽しく練習できていたのかなと思っています。守屋 手が届きそうなくらいの身近な目標をクリアしていくことで、ステップアップしていったわけですよね。非常に理想的なステップアップの仕方ですね。若林 中学1年生で卓球をはじめ、中学3年生のときに地域のスポーツクラブに入って、そこでパラリンピックに出られるのではないかと言われたそうですが、部活とスポーツクラブの両方でやっていたのでしょうか。岩渕 部活では先輩から教わっていたのですが、本格的な指導を受けたいと思って、友達が通っていたスポーツクラブに通いはじめました。そこでパラリンピックに出られるということを初めて聞いたときは、すごく驚きました。自分に障がいがあるという認識があまりなくて、僕が出てもいいのかなという気持ちもありましたが、実際に出てみたら全く違う世界だったのですごく驚きました。 卓球は、ボールを打つ前の体勢やラケットの向きでボールの軌道を予測します。パラ卓球では、体の使い方やタイミングの取り方が、健常選手と違うので予測しづらく、やりづらさがあります。その中で障がい上出来るプレー、難しいプレーを把握し、戦術に落とし込みます。障がいを巡る駆け引きにも注目していただきたいです。若林 障がいが人によって違ってそれをどう克服するかで、何か競技の幅がすごく広がって複雑になっていく感じがして、いわゆる健常者の卓球ももちろんいろんなバリエーションがあると思うんですけど、それとは違う何か幅広さと奥深さと難しさがあるんだなあということを初めて知って、知的好奇心を喚起するような感じがしますよね。岩渕 そうですね。卓球は自分の特徴を活かした駆け引きができることがすごく魅力です。うまくいくと強い相手に勝てたり、逆に初戦で3対0で勝った人に、今度は0対3で負けてしまったり。サービスに乱れが出たというだけで、ガラッと戦術が変わってきたりするので、そういうところも面白さのひとつです。守屋 当時感じたのは、何か一つのことに集中して極めていった人ってみんなそうだと思うんですけど、スポーツという対象に対して取り組んでいるんだけども、やってるやり方とか、考え方ってきっと大学生として勉強することとすごく共通点があるんだろうなと思いました。だからきっと、「ポン」と違うものを与えられても「スッ」と受け入れられたりするんだろうなと思って見ていました。学生生活とアスリートの両立。若林 大学に入って、1年生のときからずっと海外転戦していたそうですが、大学と両立する上での苦労はありましたか。岩渕 3年生でゼミに入ったときは、リオに向けたポイントレースの佳境で、5月・6月の試合で一気にポイントを上げることができて、パラリンピック出場の当落線上にいました。そこで、9月に開催されるチェコオープンという試合でポイントを稼いで安全圏まで持っていきたかったのですが、直前に北海道巡検という野外実習がありました。1週間丸々ボールを打てなかったので大丈夫かなあと思ったのですが、そのときはうまく気持ちを切り替えられました。そういったイレギュラーを克服するということも、いまに活きているのかなと思います。大学での学びや出会いは、社会に出てからも活きています。守屋 岩渕君は、どうして教育学部を選んだのですか。岩渕 小学生のとき、もちろんスポーツも好きだったのですが、両親に連れて行ってもらった国立科学博物館が大好きでした。化石が壮大に展示されていたり、大恐竜展にも並んで行きました。大学を選ぶときに、やっぱり化石のことを勉強したいなと思って、地球科学専修を志望しました。卒論のテーマも、恐竜がいた時代の何かに触れるようなものにしたいと思って選びました。守屋 そうか、恐竜少年だったんですね。実際に入学してみてどうでしたか。岩渕 本当は自分で何か化石を発掘したかったのですが、叶いませんでした。それでも興味を持ったことを勉強することができて、よかったなと思います。あとは、毎週プレゼンしたり、卒論でも自分なりにプレゼンをしたのですが、それもすごく今に活きているなと感じています。僕はパラスポーツの面白さだったり、パラ卓球の素晴らしいところを伝えるということを目標にしています。東京パラリンピックで金メダル以上という目標を掲げているのもそこに繋がっています。小学校や中学校のオリパラ授業で、お話させていただく機会も多いです。そのときに、どうしたら伝わるかということを考えて、スライドを使って、卒論で学んだような構成でやっています。守屋 研究室でプレゼンをする際には、自分が何を発見して、それは先行研究と比較してどういう意味があって、これからこうなっていくんだというある程度の形式があります。社会に出ても、例えば新商品を開発しようと思ったときに、世間にはどういう商品があるのか現状を観察して、足りないことを列挙して、何を作ったら売れるのかという新しいアイディアを出すことが必要になる。そのためのトレーニングとして常々やってもらっていたのですが、それが役に立ったといってもらえると大変ありがたいです。岩渕 発表するということでいえば、記者の方の質問に答えることもそうですし、講演で30分、40分、話をさせていただくときも、構成をしっかり練ってやるようにしています。大学は基礎を整えた上で、より深く学ぶ場所。守屋 入学前に、自分が教育学部で学べるであろうことへの期待と、実際に卒業してみて期待通りだったこと、あるいは期待と違ったところはありますか。岩渕 大学に入るときは、自分の興味のあることが学べたらいいなという気持ちでした。実際には、スポーツでの目標設定の仕方や頑張り方を勉強に活かせたり、逆に勉強でやっていることをスポーツに活かせたり、卒業研究で学んだノウハウを自分のプレゼンに活かせたり、卓球にも活かせている。全部がつながっていて一緒なんだなということは、卒業してから初めて感じることができました。岩渕 幸洋パラ卓球選手理学科地球科学専修(2016年度卒)先天性で両足首に障がいを持ち、左足には装具を付けプレーをする。中学1年時に部活動として卓球をはじめる。卓球をはじめた当時は自分が障がい者としての認識はなく、中学3年のとき、卓球クラブのコーチの紹介でパラ卓球と出会う。最初はパラ卓球独特の戦術、技術に翻弄され全く勝てず。そこから自分の障がいに合うスタイルを考えはじめ、高校3年時に国際大会初出場。大学4年時にリオデジャネイロパラリンピックに出場するも結果は惨敗。東京では雪辱を誓う。現在はプロ選手として活動。東京パラリンピックで金メダルを獲得し、パラスポーツの発展、魅力の発信を目標とする。Iwabuchi Koyo

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