学部入学案内
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Spirit早稲田大学の創設者大隈 重信(1838-1922)近代日本の設計者として大隈重信は佐賀・鍋島藩の武士の家に生まれ、後に長崎 に出て英語や近代的な学問を学びました。1868(慶応 4)年、浦上キリスト信徒事件をめぐり大隈は外交を担当する外国事務局判事になり、イギリス公使パークス との論争で卓抜した外交手腕を発揮し、大きな注目を浴びました。明治政府においては、参議・大蔵卿を歴任し、財政担当 の開明派の政治家として、近代財政を確立しました。貨幣としての「円」を誕生させ、前島密を起用し近代的 な郵便事業を開始し、伊藤博文とともに鉄道を開業させ、太陽暦を導入するなど、文明開化政策も次々に推進 させました。また後には、立憲改進党を組織し、1898 (明治31)年には日本初の政党内閣を成立させ、1914 (大正3)年にも第二次大隈内閣を組織しました。高等教育に力を注ぐ「一国独立の基礎は自主独立の精神にあふれた国民の形 成にある」という信念を持っていた大隈重信には、教育 に対する大きな情熱がありました。明治14年の政変で下野した翌年には、早稲田大学の前身となる東京専門学校を創設しました。当初は政府から謀反人の学校とみなされ、銀行が融資することを禁ずるなどさまざまな圧力を加えられました。大隈が目指したのは、国家が必要とする人材を養成する“官学”に対して、在野的な自由主義精神に富む人材 を育成することです。それが“学問の独立”をはじめと する理念となり、現在にも受け継がれています。また、日本女子大学の設立を助けるなど女子の高等教育に対する深い理解も示しており、後に早稲田は私立の総合大学としては初めて、一切の条件をつけずに全学部で女子を受け入れています。建学の理念早稲田大学の前身である東京専門学校は1882(明治15)年、大隈重信によって創設されました。以来、“官学に匹敵する高等教育機関の育成”という大隈重信の理想を現実のものとし、“私学の雄”としての道を着実に歩んできました。その歴史は“学問の独立”を中心とする「三大教旨」や「進取の精神」「在野精神」「東西文明の調和」といった理念により支えられています。こうした伝統を基盤に、2012年秋に策定された“Waseda Vision 150”のもと、世界の大学教育をリードする「WASEDA」であり続けるために、前進を続けています。Ⅱ

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