情報化推進レター

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教員コラム

数学の試験における証明問題

上江洲 弘明
メディアネットワークセンター 助教

上江洲先生

数学の授業をしていると、最近、証明が書けない学生・生徒が増えているように感じる。本来、数学記号・数式を用いた記述も通常の言語のみで書かれた文章と同様、他人に自分の説明したいことを伝えるためのものである。数学という教科においては、数学記号・数式を用いることにより、通常の言語のみでは的確に表現できない、もしくは表現しにくいことが表現できるようになる。

数学における証明とは、上記にもあるように他人にある事柄について伝達するためのものであり、そこにはきちんとした論理的な展開がなければならない。しかし、記述式試験などにおける証明問題の解答を見てみると、数式のみの羅列で自分の伝えたいことが表現されていないものが多い。たとえば、接続詞を書かない、何について式を立てたのか説明がない、式変形から何が言えたのかの記述がない、など論理的展開が不十分なものばかりである。そういったことを指摘し、つながりのあるような証明を書くよう指導すると、「先生、数学なのに日本語を書いてもいいんですか?」と言われ、がっくりと力が抜けるのを感じたこともあった。

このことは、現在のトピックのぶつ切りである数学カリキュラムにも問題があると思う。おちこぼれを減らすため、各単元のリンクを意識させず目先を次々と変え、新しい単元に入るやり方は広く浅くという意味ではいいかもしれないが、つながりを意識しにくい。それに何より、単元1→単元2→単元3→…というような流れを意識しにくい構造なので、基本的な概念・性質を積み重ねて問題解決を図る問題(主に証明問題)に対応できないと思われる。

数学を学ぶことにより身につく能力は、論理的思考ができるようになるということではないかと思うのだが、学生・生徒に証明問題を解かせるたびに論理的思考力が足りてないな、と痛感する。自分ならどう考えるか、どう解決するかを思考して得られた知識は、その深さが違うと思うし、そういう学習経験をするにはプロセスを問う証明問題こそ最適ではないかと思うのであるが…。証明問題は計算問題などと違い、正解・不正解の判断が学生側からはしづらく、敬遠されるのは理解できる。しかし、敬遠されても基礎力を高める教育を毅然として実行する教員の強い姿勢も必要かもしれない。

今後、大きな教育カリキュラムの変更がない限り、学生の論理的展開力不足の傾向は続くと思われるが、教員の立場として「流れを把握させるような」「手本となるような」講義を意識して指導していきたいと思う。

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