情報化推進レター

早稲田大学の学生・教職員の皆様に情報化推進計画のお知らせを配信させていただきます 。

教員コラム

頻波

松山 泰男
理工学術院 教授

しきなみ、次々に寄せてくる波を意味する響きの美しい大和言葉である。ところが、これが情報産業に関連してくると、ドッグイヤーという殺伐たる表現になってしまう。ICT(情報通信技術)の分野では、変化の波がこれでもかという頻度で次々に打ち寄せてくる。

トフラー(Alvin Toffler)が1980年に著した「第三の波」では、それまでに至る波の数は三つとされている。第一の波は狩猟採集社会から農耕社会に移行した約15,000年前における農業革命、第二の波は18から19世紀にかけての産業革命、そして第三の波は20世紀後半における脱産業社会化であり、情報革命と言い換えられることも多い。これを見て分かるように、波の間隔はとんでもないスピードで速まっている。このことは、ほとんどの人々が如実に感じていることであろう。そこで自分自身の体験に照らし合わせて、第三の波にとそれ以後に打ち寄せてきている大小の波について思い起こしてみてみたい。

体験の初めになったのは、1ドルが300円弱であった1974年のことである。これは、博士課程の修了とともにこの年から数年間ほど、日本学術振興会と国際教育協会の基金により、米国の機関に所属していた時のことである。世界中の留学生の集まりであるので、最初の2か月は生活に関する訓練があり、場所は地方とでもいえるカンサス大学であった。その中で鮮明に覚えているのは、個人宅から回線を用いて遠隔でコンピュータを使う体験であった。私はその直前まで、MNCの前身である早稲田大学電子計算室の学生職員として、IBM 7040の徹夜運転の資格を有していた。そのようなわけで、回線を用いてのコンピュータ利用は彼我のレベルの差異を思い知らされる出来事であった。従って、それより10年以上も遅れて始まったわが国のコンピュータ回線は、ドッグイヤーの意味では遅すぎたと感じている。このコンピュータネットワークは、第三の波の発表当時は夢物語と思われたエレクトロニックコテージを通り越して在宅勤務すら可能にしており、毎日Eメールで飛んでくる仕事にうんざりさせられる時代に至っている。

体験した次なる波は大学院での授業である。同じ1974年の後半からはずっとスタンフォード大学に身を置いていたが、教室の各机には1台ずつTV端末があり、教員の手書きは映像として映されていた。そしてさらに講義風景とその映像は無線通信を通じて近郷の企業に放映されており、修士修了資格まで取れるというディスタンスラーニングがすでに定着していた。

次なるさざ波が大波になったものは、情報の秘匿化すなわち暗号である。暗号そのものは軍事・政治的にはシーザーの時代からあり、特に第二次大戦ではコンピュータの開発とも関連していた。ここでの話題は、民事に暗号を用いてよいかということが問われていた1976年のことである。ある日、何気なく学内新聞を手に取ると、そのトップに「大学における暗号研究の自由を守る」という記事が載せられていた。これは、この時期にHallman教授らによって開発されつつあった公開鍵暗号の研究に対して、米国の国立標準局が不適切研究として待ったをかけたことに対する擁護の動きを伝えたものであった。現在の高度情報化社会にあっては、情報通信の秘匿化は当然のことであり、まさに隔世の感がある。またこの時期、敷地が隣り合わせになっていたゼロックス研究所やアップル社ではウィンドウの概念やマウスの誕生があり、これも現在では当然のツールになっている。

実はさらに大きな波が、以上のようなICTの胎動期に続く1980年代から起きていた。それらは、Yahoo!やGoogleの突然ともいえる出現である。大学と学科でいえば、これらの創始者はいずれも私の後輩に当たるのであるが、残念なことにその予測はできなかった。これは昨年出会ったYahoo!創始者の指導教授にとっても同様であったらしい。そんなわけで、Yahoo!やGoogleの台頭を予測できなかったことについては、なまじ出自が同じであっただけに特別に残念な気持ちが残っている。そこで、少なくとも近未来に起こりそうな波を以下に示してみよう。

まずは携帯端末の広範な浸透である。携帯電話のネットコンピュータ化はすでに始まっていて誰もが目にしていることであり、これは予測とは言えないであろう。ただし、この中で特段の注目に値するのはネットブックである。書籍をどのような形でそしてどこまでの利用範囲で電子化してよいのかについては、法的整備もままならないうちに社会への急激な浸透が起こりうるであろう。大学における講義の形態は大きく変わるかもしれない。

しかしながら、それらのレベルをはるかに超えて第四の波とでもいえそうなものとして、バイオとICTとの連動が起こるように思えている。各個人のゲノム情報の保存はたかだか1ギガのメモリーで十分であり、その診断料金もいずれは1,000ドルを切ることになる。そうなるとBio-ICT時代の到来である。これには、今まで以上に生命・情報・倫理・法律が重くのしかかってくる。そして経済の動向も大きく左右される。

今後やってくる波は第三の波で論じられたような波らしい形ではなくて、波頭が複合した見苦しいものになりうると考えている。その意味で、以上の予測は当たらずといえども遠からずになるのであろう。


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