
早稲田大学創立125周年、誠におめでとうございます。一言、ご挨拶を申し上げたいと存じます。
早稲田の関係者でない方から、「なんで『125』なんて半端な時にお祝いするのですか?」と、聞かれました。本日、ここにいらっしゃる方たちはよくご存知の通り、大隈重信翁が「人間の寿命は125歳である」と説いたことによるものであります。
伺いましたところ、125周年を記念して行われている「駅伝ウォーク」は、山梨や千葉などから本日、早稲田大学に到着されるようですけれども、その距離 が125キロ。記念演奏会では、ベートーベンの「作品125」、いわゆる「第9」を演奏されるとのこと。かなりのこだわりようであります。
これはひとえに、早稲田大学関係者がいかに大隈重信翁を憶い、敬っているのか、その表れでありましょう。
かくいう私も、早稲田出身の政治家という立場から、大隈重信翁に対して、非常に大きな尊敬心を抱いております。大隈翁の教えとは何かを、私なりに忖度してみました。まず第1に、健全なる在野の精神、すなわち自主自立の精神であります。
大隈翁は、2度の首班を務めておられますが、長い政治家生活のほとんどは在野であり、反骨と信念の、そして何より大衆に愛される政治家でありました。
大隈翁の葬儀に150万人が参列したという事実だけでも、いかに大衆から慕われていたか、又、広い支持を得られていたかがわかります。
その政治姿勢を最もよく表わしているのが、大隈翁が代表となった立憲改進党の設立趣意書に書かれてあります。
それは人類全体の幸せを考え実行するのが政治であって、一部の人のみが幸せになるような考え方には賛成できない、ということであります。
さらに申せば、正しい方法で、着実に前進させるのが大隈翁の考えの健全な在野精神であります。
そして在野精神とは、同時に自主自立の精神でもあります。野に在って他を頼らず、自ら考え自ら行動する、自立の精神であります。
この立憲改進党の設立趣意書は、早稲田大学を大隈翁と共に創立した小野梓先生が書かれたものであり、まさに自主自立の「早稲田精神」そのものと言って差し支えないと思います。 そして、第2の教えは、「東西文明の調和」であります。
早稲田大学校歌の2番に、「東西古今の文化のうしお、一つに渦巻く大島国(だいとうこく)の、大(だい)なる使命を担いて立てる、われらが行く手は、窮まり知らず」とあります。
東西の文化が一つに渦巻く、つまり調和し共に生きる、そんな理想の国家像をここでは謳っております。
明治時代の日本を取り巻く弱肉強食の国際環境。それを憂えた大隈翁の心の叫びが聞こえるようです。「東西文明の調和」とは、そのような状況の中で互いに 考えや価値観が違う国々が、違いを乗り越えて、共に手を携えて生きていこうという意味であると考えます。 事実、早稲田大学は1882年の設立の2年後に当時の朝鮮から最初の留学生を受け入れ、1905年には清国留学生部を設置し、多くの留学生を受け入れた そうでございます。この留学制度がきっかけとなって、アジア各国の若者が早稲田に集まることとなり、戦前の一時期には全学生の2割が留学生であったそうで す。
現在も2,400名を越える留学生が在籍していると聞いておりますが、その多くはアジアからの留学生です。大隈翁の精神は1世紀を超えて脈々と今に引き継がれ、早稲田大学の大きな財産となっています。
人間としての大きな懐と温かさを持った大隈翁の考えが、「違いを乗り越えて共に生きる」、「立場の弱い人を助ける」、すなわち「共生」の思想であると考えます。
いみじくも、私が政権を担当させていただくことになった現在、掲げております「自立と共生」という指針を、すでに大隈翁は125年前に考えておられたと いうことであります。大隈翁の考えを引き継ぐ先達は数多です。二・二六事件直後の国会で軍国主義的傾向を批判した斎藤隆夫先生、東條英機と対立して投獄された中野正剛先生、 日ソ・日中の外交を推進した石橋湛山先生など、信念の政治家が数多く存在し、伝統は脈々と引き継がれております。いま私は、その末端に加われることに、無 常の喜びを感じる次第です。私は「大器」ではありませんが、「晩成」のようでございます。諸先輩に負けずに、これからも頑張って参りたいと思います。今日 は渡海紀三朗文部科学大臣、渡辺喜美国務大臣が同席しております。同門のよしみでご指導をくださるよう、お願い申し上げます。 早稲田大学の発展ぶりは誠に目覚しいものがございます。次の125年のお祝いを、楽しみに致しております。
ぜひ白井克彦総長を先頭にご健闘くださるよう、心からお祈りいたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。