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1868(明治元)年3月、大隈は徴士参与兼外国事務局判事に抜擢され、キリスト教徒処分問題で英国公使パークスらとわたりあって敏腕をふるいました。これがきっかけとなって大隈は中央政府に認められ、12月に外国官副知事となり、翌年の大蔵大輔を経て1870(明治3)年に参議に就任、1873(明治6)年に大蔵卿を兼務しました。こうして大隈は、明治新政府で財政担当の開明派官僚として、近代化政策の中心的担い手となります。
このとき大隈が展開した財政政策は、わが国近代財政の基礎を確立したものとして「大隈財政」とよばれました。それは、近代財政の基本である税制・土地制度を改革するための地租改正であり、旧藩時代の家禄や藩債の処分、また貨幣の統一、予算決算制度の創設や銀行の設立などでした。これら近代財政を基礎として、工部省・内務省を新設し、博覧会を開き、郵便制度を設け、また官営事業を興し民間企業を援助して、欧米に負けない近代国家をつくるのが大隈のねらいでした。
(『図録 大隈重信』より)
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